1997年の3月末、 小学校を卒業した12歳の長男はシドニーへ留学するため日本を経ちました。
彼のシドニーでの留学期間は、UTS(シドニー工科大学)を卒業するまで11年に及びました。
かれこれ25年前の話です。
夫は「高校卒業したら帰国枠で東京の大学を受験」を望んだが、「シドニーの大学に行く」を曲げなかったナガオ
大学も決まり、2月からシドニーで大学生だ。
◆2003/02/17(火)◆
住いを探せ!
~シドニー一日目(1)~
昨夜関空までオットに送ってもらい、本日の昼過ぎシドニーへ無事到着。
は~、夏だ夏だ!
寒い日本の気候から脱出して極楽、極楽である。
体力を温存するため、機内で食ってはひたすら寝ていたので体調は万全だ。
まずは、タクシーに乗って滞在するアパートメントへ向かった。
今回は息子の住まいを整えるのに経費がかかる。
少しでも経費を節約するために、アパートメントで自炊をすることに。
1週間の宿泊費は$700日本円にして約5万5千円(1ドル=85円)
借りたアパートメントの窓から見た景色。
ここは、シティの真ん中。
ここは、シティの真ん中。
住いの移動が目的でわたしがシドニーに来るのはこれで3度目。
たった1週間ほどの滞在中に住いを探すのに、それはそれは、涙の出るような苦労をしてきた。
たった1週間ほどの滞在中に住いを探すのに、それはそれは、涙の出るような苦労をしてきた。
5年ほど前、ホームスティ先を変えるために来たときは、
喘息が出ていて体調が最悪のときだった。
「飛行機に乗ってしまえば、何とかなる」と薬持参で出かけたこともあったっけ。
人間の体とは不思議なものだ、とつくづく思う。
滞在わずか1週間の間に、ホームスティ先を探す、という難題を解決するのを
体が、というよりわたしの脳が、体の細部に指令を出すのだろうか。
シドニー滞在中、わたしは一度も喘息の発作を起こすこともなく、
ナガオの住まいを見つけて無事帰国した。
気持ちの持ちようって、大きいなと思う。
「倒れられない」と思うと、倒れないものだ。
それにしても飛行機の長旅はさすがに疲れる。
しかし、ゆっくりなんてしてられない。
しかし、ゆっくりなんてしてられない。
アパートメントに着くと荷物の整理もそこそこに
夕方から家の物件を見に行くために、
1件目の物件がある「パリントン」までバスに乗ってでかけたのだった。
「一番、期待してる」とナガオはわくわくしていたが、
部屋を見たとたん、がっくりと肩を落とすナガオ。
狭い上に汚い。これじゃちょっとなあ・・・・・
こんな物件でも7,8人の学生たちが見に来ていた。
ここはゲイの多い町だそうで、今月『ゲイ』のパレードが催される。
この物件で決まりだったら、道路側が一面窓のこの部屋から
パレードが楽しめたのにね。
まだ1件目だ。そう落ち込むことはないさ。