食後に「苺」を食べたが・・。
食後に果物などを食べさせてもらっているが・・・。
昭和35、6年(1960~61)の頃だったろうか、学生時代。
学校裏のしもた屋の軒先に、古びた暖簾だけを出している食堂があった。「カツ丼」などがおいしかったのだが、1番の思い出は、そこの定食ではないが、「うどんとめし」と「たくあん2切れ」という貧乏学生向きのメニューがあった。値段は思い出せない。うまかったなあ!なんで、今頃大しておいしくないものを思い出すのかなあ!
「食べ物」ということで記憶を手繰ってみても、高価なもので思い出となるようなものはない。お腹を空かしているような時代の、食べるという感覚が最高なのかも知れない。同じようなメニューに挑戦してみても、喜びはない。
これも、数十年まえだった。某中小企業の社長も、同じような感覚の持ち主だったので驚いたことがあった。「かんころ」(西日本では、ゆがいたサツマイモを輪切りに平たく切って干したり、短冊のように細長く切って干したりした素朴な「おやつ」だが、ムシロの上で干す故にワラなどがくっついているのが当たり前)が大好きだった。公式の会議などでも、得意先の私たちに勧めた。純真で素朴で本当に好きそうで、うれしくなった記憶がある。
人間は、なになんだろうか?大しておいしくない料理を、その値段ゆえに、有難がたがって食べていたのだろうか。それとも味覚が狂っていたのだろうか?
食後に果物などを食べさせてもらっているが・・・。
昭和35、6年(1960~61)の頃だったろうか、学生時代。
学校裏のしもた屋の軒先に、古びた暖簾だけを出している食堂があった。「カツ丼」などがおいしかったのだが、1番の思い出は、そこの定食ではないが、「うどんとめし」と「たくあん2切れ」という貧乏学生向きのメニューがあった。値段は思い出せない。うまかったなあ!なんで、今頃大しておいしくないものを思い出すのかなあ!
「食べ物」ということで記憶を手繰ってみても、高価なもので思い出となるようなものはない。お腹を空かしているような時代の、食べるという感覚が最高なのかも知れない。同じようなメニューに挑戦してみても、喜びはない。
これも、数十年まえだった。某中小企業の社長も、同じような感覚の持ち主だったので驚いたことがあった。「かんころ」(西日本では、ゆがいたサツマイモを輪切りに平たく切って干したり、短冊のように細長く切って干したりした素朴な「おやつ」だが、ムシロの上で干す故にワラなどがくっついているのが当たり前)が大好きだった。公式の会議などでも、得意先の私たちに勧めた。純真で素朴で本当に好きそうで、うれしくなった記憶がある。
人間は、なになんだろうか?大しておいしくない料理を、その値段ゆえに、有難がたがって食べていたのだろうか。それとも味覚が狂っていたのだろうか?