日向ぼっこ残日録

移り気そのままの「残日録」

この違和感!

2009年05月28日 20時10分58秒 | 残日録
今日、循環器の病院に検査結果の診察を受けた。

例に漏れず長い待ち時間であったが、診断結果は、予想を超える良いものであったと言える。

心臓の冠動脈MRI断層写真は、こんなに綺麗に写るのかというほど見事に捕らえられていた。コンピューター上の画像と他のデーターとを照らし合わせて・・・
手術の必要は否定された。うれしい出来事だった。先生に、言葉で素直に喜びを表せた。

経過が順調なら(血圧や脈拍の申告)もう少し薬の服用を続けてのち、経過検査をすることとなった。(朝食後のランデル1錠+プロブレス2錠の服用)
聴診器による診察はなかったが納得した。(一部の名医は、心臓の雑音や血流音によって診断もするらしいが・・・。そんな、胸を開いて聴診器を当ててもらったり、口を大きく開いて・・・なんていう診察に憧れを持っている老人ですが、今や古い化石か?)

しかし、胸痛や背中の違和感については、不安感が残った。(直接レントゲン写真などで肺に関する所見もなかった)

胸痛について;【神戸新聞より:豊臣秀吉は脚気(かっけ)で亡くなったとする新説を、姫路市御立東の脳神経外科医で作家の若林利光さん(56)がまとめ、近く日本病跡学会で発表する。晩年の秀吉の姿を書き記したイエズス会宣教師の手紙などを調べ、下痢や胸の痛み、精神状態が不安定になるなどの症状から判断。白米中心の食事がビタミンB1不足を招いたとみられ、若林さんは「症状をほぼ完全に説明できる」と自信を見せている。

秀吉は一五九八年、六十三歳で死去。死因は梅毒や結核など諸説ある。

若林医院の院長でもある若林さんは、これまでにも文献を基に源頼朝や中国の曹操などの死因を推理してきた。昨年、江戸幕府の歴代将軍の死因を調べた際、十四代家茂が晩年、胸痛を訴え、たびたび錯乱状態になるなど、秀吉の晩年と似ていることに気付いた。

家茂の死因は脚気。雑穀などに多く含まれるビタミンB1が不足すると発症する。歴史上、白米を食べる富裕層に脚気が多く、失禁や胸痛、歩行困難、錯乱などの症状があるという。

宣教師フランシスコ・パシオは秀吉の臨終までの様子をイエズス会に詳しく報告。亡くなる約二カ月半前に下痢となり、やがて床に伏せるようになり、死の前日には狂乱状態に陥った、と伝えた。また、家臣の日記にも秀吉が失禁した、との記述があるという。

 若林さんは「なぜ今まで脚気説がなかったのか不思議。一農民から天下統一を成し遂げた秀吉が、支配層に特有の病で死んだとすれば皮肉なこと」と語る。論文は六月十三日、名古屋大学で開かれる学会で発表する。(長谷部崇)】

ビタミンB1不足からくる「胸痛」もあると知り、早速「マルチビタミン」を買って飲み始めた(噛んで食べる)。