『リア王』のプロットを分析すると3つになる。
第1は、ゴネリルとリーガンがリアを虐待して狂気にするというもの。リアが浅はかにも王国を分配したことに始まり、彼の狂気に終わるという筋。
第2は、エドマンドが次々と悪事を重ねるというもの。エドガーの廃嫡に始まり、コーディリアの殺害に終わる。
第3は、ゴネリルとリーガンが劇の前半では同盟し、後半はお互いに滅ぼしあうという筋。劇の前半において第1と第2の筋は全然無関係に運ばれるが、そのモラルがよく似ている。
登場人物はそれぞれに対を成していて、第1の筋では、傲慢で、激しい性格のリアが中心に描かれている。第2の筋では疑うことを知らぬ、安易に生きるグロスターが中心である。
リアの傍らには、偽善的であり、忘恩で残忍なゴネリルとリーガンが立っていて、グロスターの傍らには、やはり偽善的で、忘恩で徳性に欠けているエドマンドがいる。
リアのもうひとりの娘コーディリアは正直で、恩に感じ、優しい。グロスターのもう一人の息子エドガーは正直で、恩に感じ、騎士道精神の所有者である。
その他の登場人物たちも反対の性格を持ていて、ケントは、主人から虐待されても、忠義の心を持ち続ける模範的な家来であるが、オズワルドは、女主人の悪徳に卑屈な好意を示す男である。
コーンウォールは乱暴な妻とお似合いの夫であるが、オールバニーは、積極的に悪事を働く女を妻とする消極的で善良な夫いった具合である。
第1の筋において、リアが自身の過失のために、二人の姉娘に乗じられて、彼女たちに、不当な富と権力を与え、孝行娘のコーディリアを追放する。このように彼は、優しさを追放し、残酷を手中においた。
第2の筋においては、私生児エドマンドが、父の侮辱的な言葉に恨みを抱き、父の信頼を利用し、嫡子である兄の破滅を計る。
こうして、リアは、ゴネリルとリーガンを厚遇し、コーディリアを虐待する。グロスターはエドガーを追放し、エドマンドを愛するのだ。
次にリアは、無分別からゴネリルとリーガンの手中に身を任せ、二人の娘は父の信頼を裏切り、それを悪用した。
一方、グロスターは判断を誤ってエドマンドを信用したために裏切られる。さらに、ゴネリルとリーガンの冷酷な仕打ちのために、リアは心の眼をなくし、気が触れ、グロスターは肉眼を失った。
この二人の愚かな父親は、不幸に陥ると、それぞれが虐待した子供の世話となり、リアはコーディリアの庇護を受け、グロスターはエドガーに守られる。ケントは召使に変装し、エドガーは乞食に変装する。
リアは、本当に気が狂い、エドガーは、そのふりをする。
リアは、本当に気が狂い、エドガーは、そのふりをする。
第3の筋では、2つの筋を結ぶ役割をしていたグロスターがエドマンドの代わり、彼を中心とした筋がゴネリルとリーガンの筋と一体になる。彼が王家のグループの中に入り込むと、ゴネリルとリーガンが彼を我がものにしようと争い、ともに破滅する。
最も人倫に背いた非道の残忍行為が行なわれるこの劇を、トルストイは不道徳と決めつけ、シェークスピアを非難したが、罪を犯した者も、犯さなかった者も、等しく破滅に巻き込まれてしまうという事に、トルストイは耐えられなかったかもしれない。
しかし、シェークスピアは、このような大罪をあがなう為には、大きな犠牲が必要であり、善人も悪人も、もろともに墓場の中へ引きずり込まなければすまないと、破滅は罪を犯した者の頭上はもちろんのこと、そうでない者の上にも落ちるということを言いたかったのではないだろうか。