楢篠賢司の『人間とは』

人間とは何かを研究しています。現在は経済学を自分のものにしたいと目下勉強中です。

人間の経済活動の中でなぜ不況が来るのか? Ⅵ

2009-03-07 15:42:49 | Weblog
 水曜日朝、信濃町の駅をで、病院へ向かう歩道脇で「ザ・ビッグイシュー」を売っていたホームレスの方と出会う、私は彼らを見つければ必ず買うことにしている、それは彼らに援助する気持ちではなく、最近の内容の面白さが、つまらない週刊誌を買うよりかましという気持ちからだ。そしてその中で自分の勉強に役立つものをパソコンに打ち込む。今回114号においてはそれが2点あった。その一点はやがて最終的に書かなくてはならないであろう、未来の人間社会の労働のあり方としてのものであり、簡単にそれを説明すると、中島岳志の眼というコラム名で「商店街の危機と新自由主義」というタイトルで郊外型大型店にそれまであった駅前商店街がシャッターを閉ざしてしまっている。そのことにより車を運転できない高齢者等は生鮮食品の買い物ができなくなり、やむなくそれまで住んでいた町を離れなくてはならない。そのような地方が全国的に増えているという。

 今回はこの問題に触れることではなく。もう一点のコラムを引用しながら書いていきたい。

   「政治の焦りが生んだ政府紙幣構想」 『はま のりこ』の ストリート・エコノミックス

 このところ、「政府紙幣」という言葉がメディアにちらほら登場するようになっている。自民党内から、不況対策として出てきた構想だ。人間は追い詰められると突拍子もないことを考える。藁をもつかむ心境が、とんでもない思いつきにしがみつく行動をもたらす。これもその類だ。

 政府紙幣とは、要するに中央銀行券ではない紙幣のことである。日本で流通している通常の円紙幣は日本銀行券だ。中略=ところがそれとは別に政府が勝手に紙幣を発行しようというのである。それが政府紙幣構想だ。大型の経済対策を打とうにも、今の日本政府には金がない。何か対策を打ち出そうとすれば、国債を発行しなければならない。すると借金が膨らむ一方だ。それは困る。
ところが、政府紙幣を発行してしまえば、それは借金ではない。現金である。すぐに使える。利子を払う必要も無い。これは名案だ。打出の小槌だ。そういうわけで、政府紙幣構想が浮上してきた。

 政府紙幣の発行というのは、実をいえば戦時下で国々がよく使う手だ。戦費調達に行き詰ったとき、奥の手として出てくるのが政府紙幣だ。要は相当に強権発動色の強いやり方である。お上が発行するおカネなのだから、四の五の言わずに受け取るべし、というわけだ。こんな発想まで飛び出すようだと、政治家達の心理状態はかなり危うい。
 引用終わり。

  ここから私の文章になる。私が第一のパイ、第二のパイという形で貨幣を説明しようとしているのはなぜなのか。それは両者を分けない限り説明がつかないと考えているからだ。ここでいう政府紙幣を発行しなくてはならない状態とは、第一のパイに円紙幣としての中央銀行券と政府発行の硬貨が足りなくなるという状況があるからだ。ただ一概にマネーサプライ(注1)といっても現金の占める割合は九対1で1が現金であり、残りの九は第二のパイに入ることになる。

 ここでは第一のパイの中にある現金がなぜ不足していったのかを問題としたい。なぜなら政府紙幣発行という暴挙は第一のパイに不足した理由もわからずに現金を投げ込むということになるからだ。

 本日はここまで入院加療中の身で勉強しながら書いていくことは相当疲れる。


 注1=マネーサプライで第二のパイに入る九の部分。
マネーサプライの中で現金が占めている割合は一対九となっている、1が現金で9がM1・M2・M3・CD
M1=現金通貨と預金通貨の合計。
M2=M1と準通貨の合計。(準通貨とは、解約することでいつでも現金通貨や預金通貨となって、決済手段として使える金融資産のこと。定期預金・据置貯金・定期積金など、これを、定期性預金という)
M3=M2に郵便局・農協・信用組合などの預貯金や金銭信託を加えたもの。
CD=譲渡性預金(第三者に譲渡できる定期預金で、自由に発行条件を定めることができる預金。CDの法的な性格は「預金」、なので、CDを発行できるのは銀行など預金を受け入れる金融機関に限られている。CDの預金者は、金融機関及びその関連会社、証券会社などが中心になり。期間が1~3カ月のものが最も多く発行されている。CDの流通市場(CDを売買するための市場)では、事業法人等も買い手として参加している。



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