あまり自分のことは書きたくなかったが。
やはり手術を前にして集中力が無くなってしまったのか、連載の続きに手をつける気が起こらなかった。
いよいよ火曜日(4月14日)午前中、全身麻酔による手術となった。もはやなるようにしかならない。ただ年齢的に(71歳)では入院生活はボケの原因になるようだ。外科医の説明の中で、現実と幻覚の区別がつかなくなったときは身体拘束をすることになりますという文面に、家族立会いのもと署名を求められた。若い人にはこういうことは無いだろう。確かに麻酔は局部麻酔にしても覚めかかったとき、夢と現実の区別がつかなくなるようだ。
私自身血管造影というレントゲン検査のとき、(足の付け根の動脈に造影剤を入れる)ベットに戻ってから右足は血管が開くのを阻止するため最初の4時間は首だけ動かしてもよいが後は絶対安静、翌朝から安静はとけたが、夜中眼を覚ましたとき夢と現実の区別がつかない自分に気が付いた。
それは眼が覚めたとき夢と現実が同一になる。これが幻覚ではないかと思った。この思いが強かったら自分がどこにいるのか、何をされているのかがとっさに判断できないのではないか、そのことから自分の体についている点滴等のチューブをいれ全てのチューブを抜くという行為に出てしまう、それをさせないため身体拘束が必要になるということだった。
このようなことから身体的な健康状態を取り戻しても、頭のほうはどうなるのかこれは加齢から来るものでどうしようもないが、はたして文章を書くだけの集中力が得られるのかが疑問になってくる。
やはり手術を前にして集中力が無くなってしまったのか、連載の続きに手をつける気が起こらなかった。
いよいよ火曜日(4月14日)午前中、全身麻酔による手術となった。もはやなるようにしかならない。ただ年齢的に(71歳)では入院生活はボケの原因になるようだ。外科医の説明の中で、現実と幻覚の区別がつかなくなったときは身体拘束をすることになりますという文面に、家族立会いのもと署名を求められた。若い人にはこういうことは無いだろう。確かに麻酔は局部麻酔にしても覚めかかったとき、夢と現実の区別がつかなくなるようだ。
私自身血管造影というレントゲン検査のとき、(足の付け根の動脈に造影剤を入れる)ベットに戻ってから右足は血管が開くのを阻止するため最初の4時間は首だけ動かしてもよいが後は絶対安静、翌朝から安静はとけたが、夜中眼を覚ましたとき夢と現実の区別がつかない自分に気が付いた。
それは眼が覚めたとき夢と現実が同一になる。これが幻覚ではないかと思った。この思いが強かったら自分がどこにいるのか、何をされているのかがとっさに判断できないのではないか、そのことから自分の体についている点滴等のチューブをいれ全てのチューブを抜くという行為に出てしまう、それをさせないため身体拘束が必要になるということだった。
このようなことから身体的な健康状態を取り戻しても、頭のほうはどうなるのかこれは加齢から来るものでどうしようもないが、はたして文章を書くだけの集中力が得られるのかが疑問になってくる。
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