オーストラリア ヒロシのリタイヤ日記

1994年からメルボルン在住のヒロシです。留学後に現地で就職、国際結婚、2020年、55歳からリタイヤ生活。

スキーロッジ 2日目

2023年09月18日 20時30分39秒 | スキー

今朝はオーツ麦の朝食の後、バス停で循環バスを待ったのですが、、、やはり、昨日がスキー場の営業終了ですから、バスも来ないのかも、、、と30分程と思いながら、待っていると、バスが来ました。運転手さんに、バスはいつまで運行するのかと聞いてみると、今日の5時で終了だとのこと。しかもバスの運転手はこの人だけとのことでした。

バス停に来年のシーズンのバスの運転手募集の広告がバス停に貼ってあったので、バスの運転手が足りないの?と運転手さんの横に立って聞いてみると、「君もやってみないか?バスの免許がいるけど、、、。」などと、、、かなり熱心にバスの運転手になることを勧めてくれました。余程、運転手が足りないようです。住むところも用意してくれるみたいだし、スキーが好きな人は、応募したくなると思います。

「いやあ、大きなタイヤのスノーチェーンを付けないと、いけないんでしょう? 僕には無理ですよ、、、。それに、夜遅いと、酔っ払った怖い人達が、いるって聞くし、、。」と言うと、、「勤務時間は選べるんだ。夜が嫌なら、昼だけにすればいいよ。」などと、とても熱心でした。終点で、バスから降りても、勧めてくれました。

「僕はロッジの会員なので、住むところはあるので、、、それに、もうリタイアしましたし、、。」と言って、その場を離れました。

チェアリフトは動いていませんが、雪はまだ8割ほど残っているので、ツーリングスキーで雪の斜面を登ってスキーで滑ることを2時間ほどしていました。リフトの止まったスキー場でスキーの練習をしているのは、僕の他に、初心者の若者が一人と、後から、かなりの腕前と見られる重装備の若い女性が一人、僕には目もくれず、山の上の方へ登って行きました。

スキー場の営業終了ということは、スキー場のパトロール隊もいません。もしスキーで転んで動けなくなったら、直ぐに救助してもらうのは、難しいかもしれません。ただ、携帯電話の電波が届く所なら、警察や消防に連絡することは出来ますが、やはり、地面が土なら動けなくなっても助かる可能性は高いですが、下が雪の場合は、体温が急速に奪われますから、24時間はもたないでしょう。なので、念のため、今日は誰かに助けを求められる場所でスキーをしていました。

今日も気温が高かったせいか、雪が柔らかく、キレがないので、滑っていてもフワフワした感じで、それ程面白くはありませんでした。それで今日のスキーは2時間程で切り上げて、ロッジに帰ってうどんを作ることにしました。

このうどん、汁が下の方にありますが、、、僕はラーメンやうどんを作る場合、汁は極力少なくします。というのは、汁は塩分が多いので、体に悪いからです。それに、、、出汁やスープの素を使いますから、捨てるのは勿体ないです。作ったスープは捨てずに飲みたい派なので、飲み干すことが出来る様に、最初から少なくしてあります。

さて、午後からは、、、ハイキング。ロッジに泊っている人達も今日はハイキングをすると言っていたので、僕も行って来ました。午後1時半にロッジ出発。ロッジから12キロ離れたところにあるディナープレーンという町まで、ブラブラランというアボリジニーの名前がついた歩道があり、雪のある季節にはクロスカントリースキーのトレイルになる道を2時間歩いて、引き返して来ました。帰り道も一度も休まずに2時間あるいて、5時半にロッジ到着。午後は4時間歩いたので、いい運動になりました。

因みに、アボリジニーの人々は、昔、この辺りに大量発生する蛾を食べていたそうで、重要なタンパク源だったようです。鳥や獣と違って、昆虫は素手で比較的、簡単に捕まえる事が出来るし、栄養価も高いようです。ポテトチップスのような感じで蛾をポリポリと食べていたのだと思います。彼らは、夏の間、この高地に避暑と蛾の捕食に来ていたのかもしれませんね。

ロッジに帰ると、他の2家族もハイキングから帰ってぐったりしていました。グラムの家族は計6時間程歩いたそうです。僕も明日はグラムの家族の歩いたコースを歩こうと思います。

疲れていたので、早速、昨日余分に作りおきしておいたご飯とカレーを温めて、カレーライスを美味しく頂きました。

それでは、明日も、このブログでお会いしましょう。

コメント
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