オーストラリア ヒロシのリタイヤ日記

1994年からメルボルン在住のヒロシです。留学後に現地で就職、国際結婚、2020年、55歳からリタイヤ生活。

移住後に貧困層に転落したA子さん

2023年02月25日 13時37分41秒 | 国際結婚

今日は国際結婚してオーストラリアに移住した日本人女性のA子さんについて書こうと思います。

僕がA子さんに出会ったのは、20数年前のことです。後に旦那さんとなるインド系オーストラリア人のトニー(仮名)は当時、シェアハウスをしていて、丁度その頃に僕はシェアハウスを探していたので、トニーの所に間借りすることになりました。

トニーは当時、メルボルンの町にある専門学校で講師をしており、正社員ではなく、パートタイマーのアルバイトの身分でした。その専門学校に現れたのが、日本から、英語やビジネスを勉強しに海外留学生として来ていたA子さんでした。

A子さんは当時30代の半ばを過ぎていました。短大を卒業した後、小さな商社に事務職として10数年間、勤めていたそうです。しかし、ブラックな職場でサービス残業に嫌気がさし、遂に退職を決意。キャリアアップを目指して、以前から移住したいと思っていたメルボルンの、とある専門学校で英語やビジネスを勉強する為に一年間留学したそうです。

初めに声を掛けたのはトニーだそうです。何度かA子さんを学校で見かけて、オーストラリアに来たばかりで英語が話せず、孤独そうだったので、付き合えそうだと思ったそうです。それである日、トニーはA子さんが学校を出た所で「あなたに興味がある、今からコーヒーでもどうだい?」と声を掛けたのだそうです。当時A子さんは殆ど英語が分からなかったので、道端で変な男に付きまとわれたと思い、走って逃げたのだそうです。

その後、トニーは、学校でA子さんを見かける度に、アプローチをかけ、A子さんは、トニーがその学校の講師だという事で安心し、直ぐに交際に発展。数か月の交際の末、結婚。パートナービザを取得し、無事に移住することが出来たのでした。

ここまで書いて、ハッピーエンドだと思われた方も多いのではないでしょうか。僕も彼らの結婚式に出席して、幸せそうな彼らを祝福したのです。ただ、当時から、一抹の不安がなかったわけではありませんでした。

その不安とは、、、トニーは超が付くほどの肥満体で、身長は僕と変わらないのに体重が僕の3倍近くあったことです。そして肥満が原因で、20代で既に心臓のトリプルバイパスという大手術を受けていて、健康に大きな問題があったのです。そして彼の唯一の趣味は、、、コンピューターゲームでした。食生活も健康的とは言い難く、野菜は殆ど食べず、肉、ココナッツミルクのたっぷり入ったカレーライス、宅配ピザ、ハンバーガー、フライドチキンが大好物なのでした。

ここまで書けば、なぜトニーが普通のオーストラリア人女性をデートに誘わないで、代わりに、あまり英語が話せない外国人女性のA子さんを選んだかがお分かりだと思います。

実はトニーは今まで、幾人かのオーストラリア人女性とは友達になれても、だれも結婚を前提にしたデートをしてくれなかったそうです。なので、オーストラリアの女性は諦めて、代わりに、彼の働く専門学校でオーストラリアに留学に来たばかりで、英語もあまり喋れず、まだ友達もいなかった30代後半のA子さんを選んだのだと思います。

オーストラリアに来て、すぐに交際相手が出来、人生がバラ色だったA子さんですが、結婚後、トニーの収入が思いのほか低いのに驚きます。それもその筈、専門学校の講師というのは、正社員ではなく、日本の学習塾の学生アルバイトの様な収入、身分なのです。家のローンが大量に残っており新婚当初から家計は火の車でした。当然、新婚旅行に行けるようなお金もなく、一人目、二人目のお子さんが生まれると、更に生活は苦しくなりました。

何年かオーストラリアで暮らす内にA子さんの英語は少しづつ上達しましたが、それでも、夫婦で心の底から話し合えるほどの英語力はなく、仕事も見つけられませんでした。そこで、キャリアウーマンに憧れていたA子さんは40代半ばになったてから、大学のビジネス専攻にパートで入学しました。しかし、英語力のなさから宿題のレポートが書けず、いくつか単位を落としてしまい、結局退学することになりました。

若い時から心臓病を患っていた旦那さんは、遂に50代で他界され、A子さんは50歳で親子三人の母子家庭になってしまいました。生前、週末や学校の休みにはどこへも行かず、時間があればコンピューターゲームをしていた父親を見て育った子供達は、父親の死後、反抗期に差し掛かり、更に人生は暗転します。

父親を亡くしてから、少しづつ自分勝手に振る舞い始めた息子さんは、A子さんに暴力をふるう様になってしまったのです。そして、A子さんが英語を話す時は、文法の間違いを真似して笑うようになったそうです。学校は休みがちなり、遂に中学3年生から不登校が始まり退学。毎日、コンピューターゲームをして過ごすようになったそうです。今、息子さんは20代ですが、仕事もせず、引き籠りが続いています。

A子さんはオーストラリアに来て20数年間の間に一度しか里帰りをしたことがないそうです。家族で帰国する余裕はなかったので、娘さんだけを連れて一度、母親に会いに行ったそうです。しかし、生活保護を貰って生活しているA子さんは、もう10年以上、日本に帰っていません。

去年、A子さんに連絡を取った時に分かったことは、お母さまが亡くなられた時も、日本に帰るお金が無くて、お葬式に参列できなかった事。そして長年のストレスが原因で、A子さんは癌を患って大手術をしたとのことでした。手術後に更に新たな病気も見つかったので、今後はその病気の治療に専念するとのことでした。

もし、A子さんが、英語力をつけてからオーストラリアに留学していたら、肥満体で心臓の持病のあるインド系オーストラリア人のトニーと結婚することはなかっただろうと思うのです。手に職をつけて働けていたら、人生の選択肢が広がって、もっと幸せな人生を歩んでいたでしょう。英語力のなかったA子さんは、残念ながら、男性を選択する余裕はなかったのだと思います。国際結婚してからは、苦労の連続で、最近では健康までも損なってしまったAさん。日本にいた方が良い人生を送れたのではと思わずにはいられません。

では、明日も、このブログでお会いしましょう。


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