レフティやすおの新しい生活を始めよう!

50歳からが人生の第二段階、中年の始まりです。より良き老後のために良き習慣を身に付けて新しい生活を始めましょう。

左利きは【心】=【身体】の欲求に任せる-週刊ヒッキイhikkii280号より

2011-10-06 | 左利き
先週に引き続き、メルマガ登録読者のみならず、より広く、より多くの方にお読みいただきたい、という思いで、今回も、以下に先週発行分の内容を丸ごとを転載しておきます。

第280号(No.280) 2011/10/1
「創刊7年目へ~よく生きるために~(2)前回言い忘れたこと」


------------------------------------------------------------
『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii≫ 創刊7年目へ
 左利きの問題に関して今一番思うこと~よく生きるために~
 (2)前回言い忘れたこと
------------------------------------------------------------
先週から7年目に入りました、お知らせしました。
読者さんからお祝いの言葉もいただいています。

改めて、ありがとうございます。

まずは自分のため、できれば人のためになるように、
今後とも努力してゆきます。

よろしく!

 ・・・

先週ちょっと書き忘れたことがありますので、
今週も書いておきます。


 ◆利き手は心につながっている

先週、左利きの問題は、【身体】の問題だけれど、
実は、【心】の問題なのだ、と書きました。


それは、
私がいつも言ってきた持論―

 【利き手は心につながっている】

という見解から生まれたものでもあるのです。

その点を指摘するのを忘れました。

きっかけは、左手用カメラを手にしたことだ
ということは書きましたが…。


私たちが利き手を使うのは、
それは、誰かから教えられたからではなく、
それが身体の自然な動作だからです。

内発的な力によるもので、
外発的な力によるものではありません。

内発といっても、意志/意思的なもの―【頭】の作用よりも、
もっと肉体―【身体】そのものに内在した力によるもの、
という気がします。

理知的な意思が高度の知的反応だとすれば、
もっと原始的な(に~んげん?的な)反応そのものではないか、
という気がするのです。

脳神経系のなかでは、
大脳半球の左右の機能分担に発するものが、
利き手の違いにつながるというのが、
一般的な解釈になりつつあるようです。

しかし、
もっと下部の神経系に起因するものもあるのではないか、
というのが、私の考えです。


 ◆【心】と【身体】そして【頭】の関係

精神科医の泉谷閑示先生の著作

『「普通がいい」という病』講談社現代新書1862(2006.10.20)

「第3講 失楽園~人間の苦しみの起源~」<人間の仕組み>の
62ページの図3-1は、
【心】と【身体】そして【頭】の関係を図示したものです。

ちょうど「H」という字のような形です。
(↓こんな感じだと思ってください。)



「H」の左側の柱「|」の上部の先っぽに当たる部分が【頭】、
まん中から下部が【心】で、右側の柱「|」が【身体】を示し、
【心】と【身体】を横棒「―」がつないで、
両者が「一心同体」の存在であることを示しています。

【頭】と【心】の間には「フタ」(上図の∠)があり、
これは【頭】によって開閉されます。

これが閉じているときは、【頭】と、【心】=【身体】が
「内部対立」や「自己矛盾」の関係にあることを示しています。


【頭】は理性の場で、
【心】は感情や欲求の場で、
【身体】と一心同体につながっていて、感覚の場でもある。

(利き手も【身体】の性質の一つですから、
 【心】につながっている! と言えるのです。)


【頭】は、理性の場で、
コンピューターのように1/0の二進法で、
計算や情報の蓄積、それをもとにした情報処理―
推測・分析・計画・反省などを行う。
「~すべき」「~してはいけない」という。
論理的で因果関係を考える。
時間・空間の認識では、過去を分析し、未来をシュミレートする。
過去の「後悔」や未来への「不安」などはここで生まれる。
自分の【心】や【身体】を含めて、
何でもコントロールしたがる特性を持つ。

【心】は、「~したい」「~したくない」「好き」「嫌い」と、
理由や意義・意味など一切関係なく、
いきなり判断だけを言ってくる。
時間・空間の認識では、「今・ここ」に焦点を当て、
シャープに反応する。
過去の情報に基づいた反応はしない。
(それは【頭】の仕事。)
喜怒哀楽の「深い感情」が生まれる。
(期待に対する反応としての感情は、
コントロール志向に由来するもので、【頭】から生まれる。)

【身体】は【心】と直結しているので、
欲求や感覚はこの両者によって生まれる。
【心】に元気がなければ、【身体】も元気がなくなる。

間違ってはならないのは、「欲望」は、
「欲求」と違って、【心】からではなく、
【頭】のコントロール思考から生まれるものだということ。

―と説明しています。


人間と他の動物とで決定的に異なる部分が、
この【頭】という部分にあると泉谷先生は言います。

この【頭】が人間にまつわる現象の鍵を握っている、と。


 ◆「快/不快」は【心】=【身体】の判断

先ほども言いましたように、
機能分化している大脳半球の左右どちらかの優位性が
利き手に関わっている、
というのが、昨今の有力な考え方のようです。

それに準じて言いますと、大脳の働きとは、
上記の【頭】の働きと、
【身体】をコントロールする働きとから成り立っています。

もちろん大脳以外の下部の脳神経系も【身体】に関与しています。


左利きに関して言いますと、
大脳であれ、下部の脳神経系であれ、
【頭】と【身体】の関係―せめぎ合いが【心】に影響している
と見られます。

【心】=【身体】のつながりから発せられる欲求を、
【頭】でコントロールして人間は生きています。

しかし、それが様々な障碍につながることにもなるのです。

不当に【頭】が介入することで、
自然な欲求の履行が妨げられることになります。


 《... 人間の「身体」も「心」も、本来は、「快/不快」とい
  うシグナルでもって、見事に適切な判断を自分に教えてくれ
  ているものなのです。... 》
   同書「第3講」<「心」=「身体」の知恵> p.77より


「利き手である左手を使いたい」という
【心】=【身体】の発する自然な欲求が、
【頭】によって、
「右手を使え、その方が色々便利なことがあるよ」
「左手だと不便だよ」
等の理由をつけて、理性的に妨げられる。

すると、そこに【心】=【身体】の不満が生まれてくる…。

昔から利き手の「矯正(変換)」により、
チック症状が出るとか、吃音になるとか言われるのは、
まさに、そういう身体的な不都合が生じた結果でしょう。


 ◆【心】=【身体】の欲求に任せる

【心】の平安のためにも、【身体】の健康のためにも、
私たちは【心】=【身体】の欲するままに、
自然に任せていいのではないか、という気がします。

なぜなら、右利きの人はそれで過ごしているのですから。

私たち左利きの人も、自然に任せていいのではないでしょうか。

そして、
それを社会が公認してくれるように、
今まで以上に、
積極的に働きかけていくべきではないでしょうか?


※参照:
・『「普通がいい」という病 「自分を取りもどす」10講』
泉谷閑示/著 講談社現代新書1862 2006.10.20
―頭と心と身体の関係だけでなく、
 「第9講 小径を行く~マイノリティを生きる~」では、
 少数派の苦しみについても書かれています。


----------------
◆先週号はこちら↓

・2011.10.1 左利きの子には生活の便不便よりも利き手を使う心の充足を!-週刊ヒッキイhikkii279号より
「お茶でっせ」版「新生活」版
第279号(No.279) 2011/9/24
「創刊7年目へ 今一番思うこと~よく生きるために~」

--
※本稿は、ココログ版『レフティやすおのお茶でっせ』より
「左利きは【心】=【身体】の欲求に任せる-週刊ヒッキイhikkii280号より」を転載したものです。
(この記事へのコメント・トラックバックは、転載元『お茶でっせ』のほうにお願い致します。ただし承認制になっていますので、ただちに反映されません。ご了承ください。)
--
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 左利きの子には生活の便不便... | トップ | メルマガ「左利きで生きるに... »
最新の画像もっと見る

左利き」カテゴリの最新記事