今、考えると、それは不思議な再会でした。
2年前の春、実家に帰省した時に、県立美術館にでかけました。
美術館は、熊本城の二の丸公園の一角に位置し、考古、絵画、版画 、彫刻、工芸など、
古代から現代美術までを収蔵、展示されています。
古代の造形美を日本 美術の原点としてとらえた装飾古墳室が常時観覧できます。
絵画だけを鑑賞した後、美術館を出て二の丸公園から、お堀に沿って歩いていると
県立美術館の分館のギャラリーで「○○○展」という案内板を見かけました。
ふと、目に留まった○○○展の文字に、何気に観てみようかな~と思いギャラリーに入りました。
受付の若い女性たちの明るい笑い声を背にして
展示されている絵画の作品をひとつひとつ観て歩きました。
「宜しかったら名簿に、記帳して頂ければうれしいです。」
と、受付の若い女性の笑顔に、自宅の住所と名前、感想などを書きこみ
さらに、もう一度油絵を観ていると、背の高い中年男性が私の傍に寄られました。
その時、22歳だったあの頃の事が甦ってきました。
「あっ・・・・・・・○由が丘で?」
22歳の頃、私鉄沿線の○由が丘に住んでいました。
その頃通っていたのが、白いドアの小さなジャズ喫茶「P○○N」です。
当時はG・Sやジャズの全盛期で
ヴォーカリストのカーメン・マックレーやF・シナトラ、ペリーコモなどリクエストしていました。
店内は、コーヒーの香りと、煙草の匂いで充満し、
ジャズのリズムに乗ってスイングする若者たちでいっぱいでした。
お店の常連だった美大生Aさんの紹介で、モデルを頼まれたことがありました。
その時の画家が、Tさんでした。
22歳の私に
「モデルのお礼は何がいいですか?」
そう聞かれたときに、即、私は、「絵がいいです。」と答えました。
そしたら、彼は、「絵は個展があるから、あげられないけど、そうだね、食事でもしますか?」
苦学生だった彼は、私が下宿していた家の近くのラーメン屋さんでアルバイトをしていて、
通りすがりに何度か見かけると、お互いに挨拶をする程度でした。
当時、私には彼がいたので(今の夫)
苦学生のTさんとは、画家とモデルというだけでした。
あの頃と同じように背が高く、風貌は年齢を増した分だけ、多少変わっていても、
どことなく面影が残っていました。
ただ、口の上の無精ひげは消えていましたが・・・。
30数年ぶりに故郷で、こんな形で出会うなんて、ほんとに奇遇です。
Tさんの個展案内のパンフレットから、
受付で華やいでいた3人の若い女性は、彼のお嬢さんたちで、
明るく聡明な奥様の支えがTさんの力になっているようです。
大病を乗りこえてのTさんの油絵の個展、感慨深い思いでした。
年が明けて、「はるばる遠方よりありがとうございました」と書かれた礼状が届きました。
Tさん、いつまでもお元気で、好きな絵を描かれてくださいね。