南斗屋のブログ

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埋もれていた史料〜「市原郡村々民事々件諸用留」

2018年01月16日 | 鳥海代言人業務日誌


今年は江戸時代が終わって150年の節目の年です。

私は歴史が好きなので、昔の裁判というのはどういうものなのかに興味があります。


その中でも千葉県での裁判ということになると、これを知るには「千葉県弁護士会史」をおいてほかにはないのではないかと思います。


「千葉県弁護士会史」は、千葉県弁護士会が1995年に発行したもので、既に絶版。古本でも売ってないもので、市場流通がされていないという貴重というかマニアック過ぎる本というなそういう部類のものです。


発行当時に千葉県の弁護士には無料で配布されましたので、書籍をきちんと蔵書されている方は今でも書棚にあるのではないでしょうか。


かくいう私は暫く蔵書していたはずですか、いつのときにかブックオフさんに売却した記憶があり、今は手元にはありません(笑)。



さて、明治時代の当初は弁護士というものがどうだったのかといいますと、そもそも「弁護士」という言葉自体がありませんでした。


「弁護士」と呼ばれるようになったのは、1893(明治26)年からなのです。

それ以前は、「代言人」と呼ばれていました。


しかもしかも当初は試験自体がなかったのです(試験ができたのは1877=明治9年)。


代言人となった人はどのような人だったのか、どうやって活動していのかは非常に興味があるところですが、この辺はほとんど史料がないようで、「千葉県弁護士会史」では全くといってよいほど論述がありません。


だだ、 「代言人の 資格を定めなかったため 無学 無識の 代言人を 多数輩出させる いわゆる三百代言の悪名を残してもいる」ということしか書いておりませぬ。

つまりは、史料がなくてお手上げ状態だっため、「三百代言」という言葉に言及したに過ぎないということなんでしょう。


こんなマニアックな本ですら、明治当初の代言人の活動が書いていないのならば、これはもうお手上げなのかと思っていましたら、昨年(2017年)5月に面白い本が出版されていました。


「明治初年の裁判」(橋本誠一著)

著者は静岡大学の教授で、法学がご専門らしい。


この中で、「ある代言人の業務日誌」という章があって、その副題が「千葉県立中央図書館所蔵『市原郡村々民事々件諸用留』」となっています。


「ある代言人の業務日誌」は文字どおり業務日誌でそれを翻刻したものです。翻刻した文章が延々と掲載されていて、あとはどうぞ皆さんでお読み下さいという体裁になっている。


うん、ちょっとは解説が書いてはあるんですが、ほんの一部。それを手がかりに読むほかありません。

翻刻されたものといっても、漢文みたいなものなのですよ。

その漢文調の文章と悪戦苦闘して、噛み砕いて説明してくれる方がいれば良いのですが、今のところそのような方も出ていないようです。


「市原郡村々民事々件諸用留」とググってみたところで、検索結果として表れるのは、橋本教授のお名前ばかり。


千葉の方もまだ気が付かれていないのか、少なくともネットの世界では全然広がりをもっておりません。


私のこの駄文が「市原郡村々民事々件諸用留」が少しでも広まる契機となれば良いのですが。


 

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