橋本胖三郎『治罪法講義録 』・第11回講義
第11回講義(明治18年5月29日)
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前回に引き続いて、告訴が必要な事件について説明していきます。
第二 幼者を略取・誘拐する罪
幼者の略取・誘拐罪は、脅迫罪と同様、被害者側からの告訴がなければ公訴を提起することができません。
略取・誘拐罪は、刑法第341条以下に規定されています。「略取」とは、有形力を使って幼者を連れ去ること、「誘拐」とは、欺罔の手段によって幼者を連れ去ることをいいます。「幼者」には、12歳以下の者と12歳以上20歳以下の者とが区別されており、また、男女も区別されています。
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(略取誘拐罪の性質)
幼者の略取・誘拐罪に告訴が必要な理由について検討するには、この犯罪の性質をみる必要があります。
略取や誘拐の被害者は女子が多く、男子は非常に稀です。もっとも、刑法には、単に「幼者」とだけ規定されていて、男女の別は明記されていないため、被害者が男子でも略取誘拐罪となります。
同罪の目的は、幼者を保護することにあります。幼者はまだ知識も体力も十分には備わっておらず、心身ともに未熟であるため、特に法律の保護が必要な存在とされています。世の中には悪漢や凶悪な者が多く、どのような不幸な事態に遭遇するかも予測できません。そのため、法律は幼者を保護する必要があるとしたのです。
また、幼者には必ず監督者がいます。略取や誘拐する者はの他人の監督権をも侵害することになります。
たとえば、幼い子どもが通学中に略取されたり、だまされて連れ去られたとします。この行為は、監督者である父母の権利を侵害するものです。したがって、略取・誘拐を罰する目的は、第一に幼者を保護すること、第二に幼者を監督する父母やその親族などの権利を侵害する者を罰することにあります。
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(略取誘拐罪が告訴を必要とする理由)
このような略取誘拐罪の性質からすると、この犯罪は他人の身体と権利を侵害するものであり、これを罰するのは国家の安全を守るためといえるでしょう。そうであれば、個人の意向によって訴えが左右されてしまうのは問題だとも思えます。被害者やその親族からの告訴があって初めて公訴を提起できると定めているのは、不思議に思われるのではないでしょうか。
略取誘拐の被害に遭うのはほとんどが女性であり、男性がその対象になることは極めて稀です。
女性に対する略取や誘拐は、多くの場合、淫事に関わることが多いので、被害者や親族の告訴を待たずに検察官が直ちに公訴を起こすと、その淫事が世間に公開され、結果として被害者の名誉を損なうおそれがあります。そこで、立法者は、被害者または親族の告訴を待つべきものとしたのです。
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(他国の立法例)
ドイツ刑法においても、略取誘拐の罪については被害者または親族の告訴を必要とするものとされていますが、被害者が女性の場合に限られており、男性の場合は告訴は不要です。
フランス刑法では、略取誘拐を受けた女性がその略取者と婚姻した場合、その婚姻を取り消さない限り、略取の罪を訴えることはできないと規定しています。
ローマ法では、略取誘拐をもって強姦の罪があるとみなしています。
このように、略取誘拐は多くの場合女性に関わるものであり、その女性を保護する精神から刑法に制裁を設けているものが多いのです。
日本の刑法も同じ考えです。もっとも、刑法の条文には「幼者」とのみ記され、性別の区別はしていないので、日本では、被害者が男性であれ女性であれ告訴を要することになります。
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第三章 猥褻および姦淫の罪
(猥褻および姦淫の罪が告訴を必要とする理由)
猥褻および姦淫の罪は被害者の名誉を傷つけるため、犯罪にあったことを隠して公に訴えようとしないことが多いのです。検察官が摘発できるとすると、人を保護するための法律がかえって人の名誉を損なうおそれがあります。そのため、被害者の告訴を待つべきものと規定されたのです。
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(すべての姦罪に告訴を要することは妥当か)
本邦の刑法ではすべての姦罪に告訴を要するのですが、問題もあります。
たとえば、強姦罪は、名誉を損なうというよりは、身体に対する犯罪と考えるべきです。それにもかかわらず、告訴がなければ罪に問えないとするならば、警察官の目の前で強姦罪を目撃しても不問に付さざるを得ないことになってしまいます。このようなことでは、女性が安心して暮らせないでしょう。強姦罪には告訴は不要ではないでしょうか。
すべての姦罪に告訴を要すると規定しているのは、現実に適していないように私は考えます。
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(強盗強姦罪に告訴は必要か)
刑法第381条には「強盗、婦女を強姦したる者は、無期徒刑に処す」と規定していますが、告訴がなくても、検察官は強姦罪を起訴することができるでしょうか。
私がかつて検事をしておりましたときに、このようなケースに少なからず遭遇しました。
一般的にいって、法律で例外事項を規定する場合は、例外事項は明記しているものに限り、例外を拡大適用しないのが原則です。
刑法第381条には、第350条を適用すべきとは規定されておらず、明文がない以上、第381条の場合に第350条を適用することはできない、つまり、告訴がなくてもその罪を問うことができると考えるべきです。
強姦は社会の風紀を乱し、秩序を乱すものであり、重刑に処すべきです。脅迫して財物を奪い、それでもなお満足せずに欲望をむき出しにするという大悪を犯しているのですから、これを不問に付すとすれば、かなりの弊害を生みます。
このように、条文と道理の両面からから、強盗強姦罪に、告訴は不要と考えるべきです。
しかし、単に強盗罪のみを取り調べ、強姦罪についてはまったく取り調べを行わずに裁判所へ送致しているのが現状です。この点については、諸君に大いに注意を促したいと思うところです。
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(強姦致死傷罪について)
強姦致死傷罪についても同様の問題があります。
刑法第351条には、「前数条に記載された罪を犯し、よって人を死傷に致したる者は、殴打創傷の各本条に照らし、重きに従って処断す」とあり、その但書には「強姦によって廃篤疾に致したる者は有期徒刑に処し、死に致したる者は無期徒刑に処す」と規定されています。
強姦罪のみであれば告訴が必要ですが、もしその行為によって人を死傷させたときには、告訴は不要です。道理上もそのように考えられますし、第351条の「前数条に記載された罪を犯し、よって人を死傷に致したる」という規定が、第350条よりも後に規定されていることからも明らかです。このように考えなければ、強姦によって死亡させた場合でも第351条により殴打や創傷(傷害)に規定されている重懲役刑の刑が上限ということになってしまいます。
第351条但書には「死に致したる者は無期徒刑に処す」と規定しており、同じ罪に対して、告訴がない場合には重懲役、告訴がある場合には無期徒刑というのは不均衡です。
強姦致死傷罪は一罪であり、分離すべきものではありません。刑法第351条を第350条の後に置いたのは、第351条の場合には告訴を必要としないことを明示するためです。
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(姦通罪での告訴の効力及びその趣旨)
次に、姦通罪についてです。
刑法第353条第2項但書には「本夫、先に姦通を従容したる者は、告訴の効なし」と規定されています。
世間には利を計る等の事情から、妻に他人と密かに関係を持たせるような夫が少なからず存在します。この場合、夫はすでに自らの権利を放棄していますから、姦罪での告訴を認めるべきではありません。この訴えを許すとすると、社会の風紀を乱し、弊害を招くでしょう。
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(姦通を従容した場合の効力)
ところで、「先に姦通を従容したる者は、告訴の効なし」と規定されているのは、従容した姦通に限られるのか、それとも妻が犯す姦罪全体に適用されるものなのかという問題があります。言い換えれば、一度姦通を従容した場合、他の姦夫に対する姦罪についても告訴の権利を失うべきか否かですが、同条は従容した特定の姦夫にのみ適用されるべきものであり、他の姦夫に関する事件には適用されるべきではないと考えるべきです。
同条を他の姦夫に対する事件にも適用すると、数年前に姦通を従容したという理由で、数年後の姦罪も訴えることができなくなってしまいます。このような結果は、夫の権利を著しく害することになりますので、同条が本来予定するものとは考えられません。
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(離婚した場合の告訴の権利の有無)
婚姻を解消した後に、夫婦であった時の姦罪を訴えることができるでしょうか。
このような問題が生じるのは、我が国の婚姻法が不完全であるからだと思われます。現行の婚姻法は非常に簡素で、町村の役所に入籍の届けを出すだけで婚姻が成立し、離婚も同様です。
離婚後の告訴が無効だとする論者は、「法律には『本夫』とあるが、すでに離婚した者はもはや本夫ではなく他人である。したがって、他人となった者には訴える権利はない」と主張しています。
しかし、私はこの考えには賛成できません。この論者の主張は、法文の解釈を誤っています。一度離婚したとしても、前夫や前妻であったという身分が消滅するわけではありません。甲男が乙女が私通し、その後乙女が丙男の妻となったとしましょう。この場合、丙が婚姻前の姦罪を訴えることができるかといえば、反対論者でさえこれを訴える権利はないと言わざるを得ないはずです。丙が訴える権利を持たないのは、姦通当時に夫婦関係がなかったためです。
これに対して、姦通を訴える場合は、告訴時点で本夫の身分を持っていないとしても、姦通が結婚していた時に行われたものであるならば、訴える権利を行使することに何の支障もありません。
姦罪は単に一個人に対する罪ではなく、社会の秩序や風紀を害する最も甚だしいものです。姦罪は社会の秩序や風紀を維持するために設けられているものであるため、結婚時に行われた姦罪は、告訴時点で本夫の身分ではないとしても、告訴可能と考えるべきです。
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第四 誹毀罪
この犯罪は一個人の名誉を害するものであるため、それを訴えるか否かは被害者の自由に任されます。検察官が被害者の意に反してこれを公訴すると、国民の権利を保護すべき法律がかえって害を与える結果を招くことになりかねません。したがって、被害者の告訴を待ってその罪を処罰するものと定めたのです。
このような扱いはヨーロッパでは一般的です。
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第五 牛馬等の家畜を殺す罪
この犯罪が告訴を必要とするのは、他に深い理由があるわけではなく、単に被害者がこれを訴えなければ社会に害がないものと見なされるにすぎません。被害者が告訴をした場合には、ある程度の公益に害があると推定するのです。
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第六 罵詈・嘲弄の罪
この犯罪が告訴を必要とする理由は、誹毀罪における理由と同じです。
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(刑法以外の法律における告訴)
刑法以外の他の法律でも、告訴を要するものがあります。新聞条令、商標条令、専売条令など等です。これらの犯罪は、概して公益を害するよりも、むしろ一個人の権利を害するものです。そのため、告訴がなければ、法律上被害者がいないものとみなされます。これが、告訴を待ってその罪を論じるべきものと定めた理由です。
以上で、告訴を待って受理すべき事件についての説明を終わります。次回からは、告訴以外の公訴の停止について説明します。
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