~バックハウス・カーネギー・ホール・リサイタル(1954年3月30日)第2集~
ベートーヴェン:ピアノソナタ第32番
ピアノソナタ第25番「かっこう」
シューベルト:即興曲Op.142-2
シューマン:幻想小曲集Op.12より第3曲「なぜに?」
シューベルト(リスト編曲):ウィーンの夜会第6番
ブラームス:間奏曲Op.119-3
ピアノ:ウィルヘルム・バックハウス
録音:1954年3月30日、ニューヨーク、カーネギー・ホール
発売:1972年
LP:キングレコード(ロンドン・レコード) MZ 5099
このLPレコードは、ドイツの大ピアニストのウィルヘルム・バックハウス(1884年―1969年)が、ニューヨークのカーネギー・ホールで行ったコンサートのライヴ録音の第2集(第1集は別掲)である。この夜のコンサートは、バックハウスのアメリカにおける実に28年ぶりの演奏であった。実際のコンサートでの演奏曲順は、このLPレコードとは異なり、ベートーヴェン:ピアノソナタ第25番に続き、ピアノソナタ第32番が演奏され、最後にアンコールに応えて4曲の小品が演奏された。一般的に言って、当時のライヴ録音は音質が悪く、鑑賞には向かないものが多いが、このLPレコードは、ライヴ録音ながら何とか鑑賞に耐え得る音質となっている。バックハウスは、ドイツ・ライプツィヒ出身(1946年にスイスに帰化)。16歳(1900年)の時にデビュー。1905年、パリで開かれた「ルビンシュタイン音楽コンクール」のピアノ部門で優勝を果たす。第二次世界大戦中は、ヒトラーがバックハウスのファンであったためにナチスの宣伝に利用され、これが戦後に禍し、ナチ協力者として米国でバックハウスの来演を拒否する動きが起こった。このことが、このLPレコードの「アメリカにおける実に28年ぶりの演奏」の真相であったのだ。そう思ってこのLPレコード聴くと、聴衆の熱狂の真の意味を理解することができる。このニューヨークでのコンサートの後、同年4月5日~5月22日に訪日を果たし、日本のファンの熱烈な歓迎を受けることになる。バックハウスは、1969年6月28日にオーストラリアでのコンサート演奏中に心臓発作を起こす。しかし、医師の忠告を聞かず、最後まで弾き終え、運ばれた病院で亡くなった。このコンサートの最後に弾いたのが、このLPレコードにも収められているシューベルト:即興曲Op.142-2であった。バックハウスは、よく“鍵盤の獅子王”と言われるが、バックハウスの技巧の素晴らしさを言い表したもの。LPこのレコードのA面に収められているベートーヴェン:ピアノソナタ第32番は、正に“鍵盤の獅子王”に相応しく、威風堂々と曲に真正面から取り組み、スケールの大きな表現でこのベートーヴェン後期の大作が持つ、深い精神性を余すところ無く表現し尽している。一方、第25番は、ベートーヴェンの中期の比較的簡素なピアノソナタであるが、バックハウスは、決して手を抜くことはせず、全力で一気呵成に弾きこなす。こんなところがバックハウスの魅力なのでろう。アンコールで弾いた4曲は、いずれもこれらの曲に込められたバックハウスの深い愛情が聴き取れる優れた演奏となっている。(LPC)