数日前の話になりますけども
月曜夜の慶ちゃんNEWSにシゲがゲストで来てまして。
黒髪カムバッークです!! イェーイ!
いや、茶髪のシゲもちょっと若々しくて、見慣れると悪くはなかったんだけど、やっぱり黒髪のほうがシゲはずぇーったいに男前やと思うのよ?
てか、茶髪の新米弁護士はドラマ的にも、彼が演じるキャラ的にもアカンでしょうから、黒髪に戻して当たり前なんですけども。
ポスターも早く見てみたいなー
日テレ、チン♪も早く見たいなー
あ、そういえば、同じ日テレの「おせん」には内くんの出演も決まったから、シゲと内くんで同じスタジオで顔を合わせることもありそうだよね!
どっちのドラマの番宣も今から楽しみじゃんねー
ああもう、4月は見なきゃならんドラマがありすぎで困っちゃいますー!
「おせん」 日テレ 火曜10時
「ホカベン」 日テレ 水曜10時
「ラスト・フレンド」 フジ 木曜10時
「バッテリー」 NHK 木曜8時
「ごくせん」 日テレ 土曜9時
てか、日テレ多くね?(笑)
さて。前振りが長くなりましたけども、ここから今月のエッセーです。
そのエッセーですけども、これから毎月20日にアップすることにしました!
「Myojo」発売前などという曖昧な期限ではなく、ちゃんとした「掲載日」を決めました。
前回も、たまたまだけど20日に載せてたんですよね。
今回は、最後の最後まで何を書こうか、ホンマに悩みました!
自分的にはあんまり満足してない内容なんだよねー
シゲのエッセーをあらためて読んで、ちょっと敵わんわーとプチ落ち込み中(笑)
************************************************
ご近所に咲く沈丁花の甘い芳香。自宅の庭先の梅から漂う柔らかくほのかな香り。
春が来たことを感じるのは、温み始めた大気だけでなく、沈黙と忍耐の冬を乗り越えて、この時が来るのを待ちかねたように解き放たれる春の花の香りだったりする。
しかし近年、そんなささやかな発見の喜びを失わせてしまう花粉症の被害もまた、春の風物詩になってしまっているようだが。
新緑の森に充満している若葉の香り。
海原から運ばれてくる潮の香り。
耕されたばかりの畑から立ち上る土の香り。
果樹園にただよう収穫前の果物の香り。
自然が作り出す香りは、季節の繊細な変化を、そして大地が生きていることを感じさせてくれる。
何かを予感したり、思い出を記憶したり、誰かを思い出したり。香りひとつで、自分の中のいろいろな感覚が呼び覚まされることがある。
嗅覚の記憶は、視覚や聴覚での記憶に比べると、具体的な言葉では表現できない、非常に曖昧なものでありながら、実は一番インパクトがあって印象に残るのではないだろうか。たとえば、昔、付き合っていた男がつけていた香水の香りだとか。
どんな香りだったか、今となっては記憶の底を探ってもはっきりと思い出せないものだが、時に、街や駅の雑踏の中で、その香りに突然出逢うことがある。その瞬間、記憶は深い闇の底から一気によみがえる。ああ、あの人の香りだ、と。
かつて私も自分の香りにこだわっていた時があった。
パルファンは特別な時しかつけなかったが、普段は、とある外資系化粧品ブランドのパフュームと同じ、フローラル系の香りをもつボディミルクを愛用していた。パフュームやオードパルファンほどは香らないが、近づくと仄かに香りを感じる程度。私は毎朝、その甘い香りのボディミルクを肌に馴染ませ、身にまとわせていた。その香りイコール私自身であることを主張するかのように。
今は、グリーンノート系の軽い香りのボディ用化粧水を使っている。自分でもつけていることを忘れてしまうほどの軽い香り。昔と比べて、香りに対するこだわりはなくなったし、香りで自分を主張したいとも思っていない。女としてそういう気合いの足りない考え方はどうかと思うのだけれど、香りや匂いに敏感な日本人の中で、TPOに合わせた香りをまとわせることの難しさを思うと、主張する香りよりも、空気の中に溶け込んでその存在自体を隠してしまうような香りがいいと思う。しかし、理屈っぽい綺麗ごとにも聞こえる、この言い訳の根底に、今の私の冷めた恋愛観が垣間見えるような気がしてならない。
香りにこだわらなくなったのは、私が本気の恋をしなくなったからなのではないだろうか。
彼からの贈り物。彼と一緒に見た映画。彼と訪れた場所。彼と交わした会話。
それは私にとって懐かしさを感じるものであっても、心を揺さぶられることはない。たぶん、それらが、脳裏に映像として表現できるハッキリした記憶だからかもしれない。しかし、彼といるときに身にまとっていた香りに出会うと、私の胸はきゅっと締めつけられる。
懐かしさより切なさ。懐かしさより狂おしさ。懐かしさより息苦しさ。懐かしさより強烈な愛しさ。
香りとともに蘇ってくるのは、感情の記憶だ。
自分を主張する香りを身にまとわなくなった今の私は、そんな激しい感情をどこかに置き忘れてしまったのではないだろうか。
香りも感情も、どちらも具体的に形をなさず、儚く、移ろいやすい。そこに共通する繊細さ。私は、私の中の繊細さを失いつつあるのかもしれない。年とともに、気付かないうちに。
そんな人生は、つまらない。せっかく女として生まれたのに、つまらない。
そうだ。春の香りとともに、私の新しい香りを探しにいこう。
月曜夜の慶ちゃんNEWSにシゲがゲストで来てまして。
黒髪カムバッークです!! イェーイ!
いや、茶髪のシゲもちょっと若々しくて、見慣れると悪くはなかったんだけど、やっぱり黒髪のほうがシゲはずぇーったいに男前やと思うのよ?
てか、茶髪の新米弁護士はドラマ的にも、彼が演じるキャラ的にもアカンでしょうから、黒髪に戻して当たり前なんですけども。
ポスターも早く見てみたいなー
日テレ、チン♪も早く見たいなー
あ、そういえば、同じ日テレの「おせん」には内くんの出演も決まったから、シゲと内くんで同じスタジオで顔を合わせることもありそうだよね!
どっちのドラマの番宣も今から楽しみじゃんねー
ああもう、4月は見なきゃならんドラマがありすぎで困っちゃいますー!
「おせん」 日テレ 火曜10時
「ホカベン」 日テレ 水曜10時
「ラスト・フレンド」 フジ 木曜10時
「バッテリー」 NHK 木曜8時
「ごくせん」 日テレ 土曜9時
てか、日テレ多くね?(笑)
さて。前振りが長くなりましたけども、ここから今月のエッセーです。
そのエッセーですけども、これから毎月20日にアップすることにしました!
「Myojo」発売前などという曖昧な期限ではなく、ちゃんとした「掲載日」を決めました。
前回も、たまたまだけど20日に載せてたんですよね。
今回は、最後の最後まで何を書こうか、ホンマに悩みました!
自分的にはあんまり満足してない内容なんだよねー
シゲのエッセーをあらためて読んで、ちょっと敵わんわーとプチ落ち込み中(笑)
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ご近所に咲く沈丁花の甘い芳香。自宅の庭先の梅から漂う柔らかくほのかな香り。
春が来たことを感じるのは、温み始めた大気だけでなく、沈黙と忍耐の冬を乗り越えて、この時が来るのを待ちかねたように解き放たれる春の花の香りだったりする。
しかし近年、そんなささやかな発見の喜びを失わせてしまう花粉症の被害もまた、春の風物詩になってしまっているようだが。
新緑の森に充満している若葉の香り。
海原から運ばれてくる潮の香り。
耕されたばかりの畑から立ち上る土の香り。
果樹園にただよう収穫前の果物の香り。
自然が作り出す香りは、季節の繊細な変化を、そして大地が生きていることを感じさせてくれる。
何かを予感したり、思い出を記憶したり、誰かを思い出したり。香りひとつで、自分の中のいろいろな感覚が呼び覚まされることがある。
嗅覚の記憶は、視覚や聴覚での記憶に比べると、具体的な言葉では表現できない、非常に曖昧なものでありながら、実は一番インパクトがあって印象に残るのではないだろうか。たとえば、昔、付き合っていた男がつけていた香水の香りだとか。
どんな香りだったか、今となっては記憶の底を探ってもはっきりと思い出せないものだが、時に、街や駅の雑踏の中で、その香りに突然出逢うことがある。その瞬間、記憶は深い闇の底から一気によみがえる。ああ、あの人の香りだ、と。
かつて私も自分の香りにこだわっていた時があった。
パルファンは特別な時しかつけなかったが、普段は、とある外資系化粧品ブランドのパフュームと同じ、フローラル系の香りをもつボディミルクを愛用していた。パフュームやオードパルファンほどは香らないが、近づくと仄かに香りを感じる程度。私は毎朝、その甘い香りのボディミルクを肌に馴染ませ、身にまとわせていた。その香りイコール私自身であることを主張するかのように。
今は、グリーンノート系の軽い香りのボディ用化粧水を使っている。自分でもつけていることを忘れてしまうほどの軽い香り。昔と比べて、香りに対するこだわりはなくなったし、香りで自分を主張したいとも思っていない。女としてそういう気合いの足りない考え方はどうかと思うのだけれど、香りや匂いに敏感な日本人の中で、TPOに合わせた香りをまとわせることの難しさを思うと、主張する香りよりも、空気の中に溶け込んでその存在自体を隠してしまうような香りがいいと思う。しかし、理屈っぽい綺麗ごとにも聞こえる、この言い訳の根底に、今の私の冷めた恋愛観が垣間見えるような気がしてならない。
香りにこだわらなくなったのは、私が本気の恋をしなくなったからなのではないだろうか。
彼からの贈り物。彼と一緒に見た映画。彼と訪れた場所。彼と交わした会話。
それは私にとって懐かしさを感じるものであっても、心を揺さぶられることはない。たぶん、それらが、脳裏に映像として表現できるハッキリした記憶だからかもしれない。しかし、彼といるときに身にまとっていた香りに出会うと、私の胸はきゅっと締めつけられる。
懐かしさより切なさ。懐かしさより狂おしさ。懐かしさより息苦しさ。懐かしさより強烈な愛しさ。
香りとともに蘇ってくるのは、感情の記憶だ。
自分を主張する香りを身にまとわなくなった今の私は、そんな激しい感情をどこかに置き忘れてしまったのではないだろうか。
香りも感情も、どちらも具体的に形をなさず、儚く、移ろいやすい。そこに共通する繊細さ。私は、私の中の繊細さを失いつつあるのかもしれない。年とともに、気付かないうちに。
そんな人生は、つまらない。せっかく女として生まれたのに、つまらない。
そうだ。春の香りとともに、私の新しい香りを探しにいこう。