劇団☆新感線のシェイクスピアものといえば、あのマクベスを大胆に脚色した『メタル・マクベス』が記憶に新しいのだけれど、今回はシェイクスピアの原作のままということで、去年の「IZO」で笑いなしでもイケる新感線を見ているこちらとしては、今までにないシェイクスピアへの期待と同時に、「実際どうなん?ホンマに面白いん?」という不安のような予感も若干あった。
ただ、主演の古田さんほかキャスティングに『重厚感』と新感線らしい『通好み』を感じたので、なんだかなんだ言ってやっぱり楽しみであったのだけど。
大阪公演、仙台公演、そして東京公演。2月1日が楽日ということで、31日のソワレでは、ほぼ完成型に近い舞台を観たといっていいだろう。
大阪公演を観た人の感想などを見てみると、最初の頃と演出もいろいろと変わってきているらしい。特に後半ほど「新感線らしさ」が出てきたというので、楽日の前日に観た私はかなりラッキーだ。
ほかにもラッキーといえば、公演前に配られた資料の中に、いのうえさん力作(?)の「『リチャード3世』をご覧になる前に…これまでの話」というレジュメが入る。これがまたよくわかりや~すく、なんというか非常に下世話的にこのお話の背景を書いてあるのだ。聞くところによると大阪公演の時にはこのレジュメはなかったとか。
レジュメ以外にもステージ各所に置かれたテレビ画面で、登場人物の写真を使って系図など入れながら、レジュメの話をさらに視覚的に紹介するのもあった。これも大阪公演ではなかったこと。
どうやら今回の舞台は初日の幕が開けてから試行錯誤の連続だったようだ。
だけど、「シェイクスピアなんだから」と大上段に構えることなく、観客目線に下りてきて、芝居を楽しんでもらおうと導入レジュメやVTRを用意したりしてくれるのは、やはり劇団☆新感線ならではだろう。
演出も新感線らしい遊び心にあふれていた。
リチャードの独白をボイスレコーダーで表現したり、離れた相手との連絡に携帯電話を使ったり、リチャードの陰謀によって嵌められた人々の話を「EGN速報」といってテレビ画面で流したり、リチャードやリッチモンドの演説シーンを「LIVE中継」したり。
テレビ画面を使った演出は「SHIROH」の時にもあったが、今回はより「メディア」的な要素として使われていたのが印象に残った。
幕開けからいきなりリチャードの長い独白から始まるこの芝居。ボイスレコーダーはその長すぎる「独り言」の不自然さを消すのに実に効果的だったし、携帯電話による会話はストーリー展開にスピード感を与えてくれた。そして映像表現は、同じ「エドワード」という名前が2人も出てきたりするこの芝居の複雑な人間関係を分かりやすくしてくれた。
「リチャード3世」の世界観を崩すことなく、それでも観客が理解しやすいように工夫されたいのうえ演出。
そしてタイトルロールを演じた古田さんがやっぱりいい。リチャードの権力への渇望があまり見えなかったのがちょっぴり気になったけれど、狡猾さ、根暗な性格、いやらしさの中の色気といった、リチャードの悪の魅力は存分に発揮されていたから。
あと、リチャードを取り巻くクセものぞろいの中で一番インパクトに残ったのは、マーガレットを演じた銀粉蝶さん。
リチャードたちに呪いの言葉を吐きかける、追放されたランカスター家の先の王妃マーガレット。狂気混じりのたたみかける台詞にも王妃らしい重みが感じられ、とにかく迫力に満ちていて圧倒された。
伝統と革新。
ふとそんなことをこの舞台を観終えたときに感じた。
シェイクスピアの普遍性。
劇団☆新感線の遊び心。
そう、普遍の中にこそ自由がある。
シェイクスピアの魅力をまた教えられた、いのうえ新感線流「リチャード3世」だった。
ただ、主演の古田さんほかキャスティングに『重厚感』と新感線らしい『通好み』を感じたので、なんだかなんだ言ってやっぱり楽しみであったのだけど。
大阪公演、仙台公演、そして東京公演。2月1日が楽日ということで、31日のソワレでは、ほぼ完成型に近い舞台を観たといっていいだろう。
大阪公演を観た人の感想などを見てみると、最初の頃と演出もいろいろと変わってきているらしい。特に後半ほど「新感線らしさ」が出てきたというので、楽日の前日に観た私はかなりラッキーだ。
ほかにもラッキーといえば、公演前に配られた資料の中に、いのうえさん力作(?)の「『リチャード3世』をご覧になる前に…これまでの話」というレジュメが入る。これがまたよくわかりや~すく、なんというか非常に下世話的にこのお話の背景を書いてあるのだ。聞くところによると大阪公演の時にはこのレジュメはなかったとか。
レジュメ以外にもステージ各所に置かれたテレビ画面で、登場人物の写真を使って系図など入れながら、レジュメの話をさらに視覚的に紹介するのもあった。これも大阪公演ではなかったこと。
どうやら今回の舞台は初日の幕が開けてから試行錯誤の連続だったようだ。
だけど、「シェイクスピアなんだから」と大上段に構えることなく、観客目線に下りてきて、芝居を楽しんでもらおうと導入レジュメやVTRを用意したりしてくれるのは、やはり劇団☆新感線ならではだろう。
演出も新感線らしい遊び心にあふれていた。
リチャードの独白をボイスレコーダーで表現したり、離れた相手との連絡に携帯電話を使ったり、リチャードの陰謀によって嵌められた人々の話を「EGN速報」といってテレビ画面で流したり、リチャードやリッチモンドの演説シーンを「LIVE中継」したり。
テレビ画面を使った演出は「SHIROH」の時にもあったが、今回はより「メディア」的な要素として使われていたのが印象に残った。
幕開けからいきなりリチャードの長い独白から始まるこの芝居。ボイスレコーダーはその長すぎる「独り言」の不自然さを消すのに実に効果的だったし、携帯電話による会話はストーリー展開にスピード感を与えてくれた。そして映像表現は、同じ「エドワード」という名前が2人も出てきたりするこの芝居の複雑な人間関係を分かりやすくしてくれた。
「リチャード3世」の世界観を崩すことなく、それでも観客が理解しやすいように工夫されたいのうえ演出。
そしてタイトルロールを演じた古田さんがやっぱりいい。リチャードの権力への渇望があまり見えなかったのがちょっぴり気になったけれど、狡猾さ、根暗な性格、いやらしさの中の色気といった、リチャードの悪の魅力は存分に発揮されていたから。
あと、リチャードを取り巻くクセものぞろいの中で一番インパクトに残ったのは、マーガレットを演じた銀粉蝶さん。
リチャードたちに呪いの言葉を吐きかける、追放されたランカスター家の先の王妃マーガレット。狂気混じりのたたみかける台詞にも王妃らしい重みが感じられ、とにかく迫力に満ちていて圧倒された。
伝統と革新。
ふとそんなことをこの舞台を観終えたときに感じた。
シェイクスピアの普遍性。
劇団☆新感線の遊び心。
そう、普遍の中にこそ自由がある。
シェイクスピアの魅力をまた教えられた、いのうえ新感線流「リチャード3世」だった。