歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

歴史作家 智本光隆のブログです。

祈念―がんばろう東北―

桜の花に癒され、地震の爪あとに涙し・・・しかしながら確実に仙台の街は復興しております。1歩づつではございますが、前進していきたいと思っております―8年前、被災地からこの言葉をいただきました。今年もまた、春がめぐって来ました。今も苦しい生活を送られている方々に、お見舞いを申し上げます。本当に1日も早い復旧、復興がなされますよう、尽力して行きたいと思っております。

サンダーバードは熱風を抜け・・・

2019-08-04 10:34:36 | 日記

先月は更新がまったくなかったですが、

取材で福井県に行きまして、

敦賀駅に降り立つと・・・

 

「999に乗りなさい」

「・・・いや、俺もう少年という年と大昔に通り過ぎたんだけど。ネジになりたくないし」

あとメーテルさん、この日は35度くらい・・・暑くない?

 

 

結局、999は使わずに歩くと敦賀駅から気比神宮まで銅像が

それを見ながら行くと・・・

 

参拝時間終了(20分前)

 

挫折・・・

 

「メーテル、気にしないでラーメンでも食べようよ」

 

 

お後がよろしのかよろしくないのかw

(※3枚目はメーテルが冥王星の氷の下の自分の本当の体を前にして、

泣いているシーンの銅像です)

 

 

まったく知らずにいったのですが、敦賀市が「鉄道と港の町」をアピールして、

銀河鉄道999と宇宙戦艦ヤマトの銅像を設置したとのこと。

松本零士先生は九州じゃなかったっけ?と混乱したw

 

なお、うちの妹は前に「メーテルは少女の前には現れてくれないのか?」と

言っておりました。どうなんでしょうか松本先生?

 

 

智本光隆


夏越大祓-冠稲荷神社-

2019-06-30 21:55:52 | 日記

太田の冠稲荷神社です。

天治二年(1125)、源義国公創建。義国の子が新田氏初代の新田義重。

伏見、豊川、信田、王子、妻恋、田沼と合わせ、日本七社のひとつに数えられています。

名前の由来は源義経が奥州下向の際に、冠の中に勧請してきた、

京都伏見稲荷大社の御分霊を鎮祭しまことから。

元弘三年(1333)の新田義貞鎌倉攻めにおいても、

義貞が社前に必勝を祈願しています。

どこまでも源氏と縁深い。

 

 

まず、平成の最後にもらった御朱印

 

 

そして無病息災を願って夏越大祓バージョンをいただいて参りました

 

 

 

智本光隆


牡丹の花に癒されて 龍真寺

2019-06-04 22:25:04 | 日記

一か月検診が無事に終わる!

そして、自分が胃腸炎ぽい症状でのたうち回る(現在は回復!)

まあ・・・家族側も健康を維持していないと、役に立たないと思った今日この頃w

 

 

さて、、、

さすがに桜を紹介する季節でなくなっておりまして、

桐生市新里町の新川山龍真寺。

 

 

別名は「牡丹寺」です。

 

 

 

実は2回いっているんですが、御朱印の日付から分かるように、

牡丹の季節から外れています。

そして、全体写真を撮ってもいない・・・

 

 

ちなみに、こちらは元和二年(1616)創建の曹洞宗の寺院ですが、

その際に、我が先祖が関わったとかなんとかw当時、隣村の庄屋だったので。

・・・一族しかいないような村だけど、それは置いといて。

 

 

 

 

智本光隆


桜の花に癒されて2019②世良田東照宮

2019-05-08 22:25:35 | 日記

そんなこんなで、桜の季節はすっかり過ぎ去っておりますが、

続けますw

 

本日は5月8日、新田義貞が旗揚げした日でありますが、

その新田氏の館跡と伝わる場所に現在あるのが世良田東照宮です。

 

 

 

 

徳川家康は新田義重末裔を称していたので、この地は江戸時代を通じて栄えました。

なお、『太平記』にも世良田は富家が多いとあるので、

義貞の時代から新田荘の中心だったようです。

 

世良田東照宮御朱印(平成31年4月5日)

 

 

 

 

智本光隆


さらっと書く!

2019-04-30 22:32:00 | 日記

今日で平成が終わり・・・

どうにか、さらっとブログが再開できる見込みとなりました。

なのでさらっと再開!

まず、家族が健康であるということが何よりも幸福であると、

当たり前ですが知った次第です。

そんなわけで、ちょこちょこブログは再開させていきます。

本日でブログ開設3098日。これが平成最後の更新で。

今後ともよろしくお願いします!

 

 

 

智本光隆