歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

歴史作家 智本光隆のブログです。

祈念―がんばろう東北―

桜の花に癒され、地震の爪あとに涙し・・・しかしながら確実に仙台の街は復興しております。1歩づつではございますが、前進していきたいと思っております―8年前、被災地からこの言葉をいただきました。今年もまた、春がめぐって来ました。今も苦しい生活を送られている方々に、お見舞いを申し上げます。本当に1日も早い復旧、復興がなされますよう、尽力して行きたいと思っております。

悠久の蒼柴神社

2019-11-14 22:49:34 | 日記

ちょっと所用にて新潟のへ!

 

蒼柴神社

 

享保7年(1722)に既京都の神祇道管領の吉田家より、長岡藩主・牧野忠辰に蒼柴霊神の神号が贈られ

第5代藩主牧野忠寿が長岡城東隅に社殿を造営して忠辰の霊璽を奉安したのが創建。

天明元年(1781)に悠久山の現在地に遷座。

 

 

こちらは本殿裏手の「悠久山招魂社」です。

北越戦争の慰霊碑です。

左奥に総督の河井継之助、大隊長の山本帯刀

そして、小隊長の千本木林吉ら長岡藩士

 

 

 

そして御朱印

 

 

 

 

智本光隆


龍頭舞う!!

2019-10-20 22:21:45 | 日記

本日は伊勢崎市にある千本木神社の神社秋季大祭にて、

恒例の龍頭神舞が行われました。

なお、前々から興味はあったのですが見たのは初めてです。

 

 

 

三人一組で各々が独立した一つの頭(カシラ)を被り舞い、

厄払いや雨乞いのために待ったと言います。

 

 

千本木神社は伊勢崎市の南千木町にありますが、

南北朝時代に日本ではじめて槍を使用した肥後の菊池軍が、

その勇猛さから「千本槍」と讃えられ、

南風競わずとなった後に新田氏を頼ってこの地に逃れたのが、

「千本木神社」の興りとの伝承があります。

なお、上杉謙信が戦勝祈願したとの言い伝えもあり。

 

 

 

智本光隆


10月8日

2019-10-08 22:21:57 | 日記

10月8日。

去年から今年は別れが多いと思う。

後悔もある。きっとずっとある。

みんなによろしく伝えて下さい。


群馬彫刻探訪⑥

2019-09-17 18:47:51 | 日記

はい、今回はちょっと毛色の違う作品をご紹介します。

 

 

 

「月と蛙」 1988年  千本木康亘

 

本作は上越新幹線上毛高原駅開業に合わせて作成され、

現在はJR後閑駅前に移設されています。

「月夜野」とは平安の昔、東の三峰山より昇る月の美しさから生まれたと伝えられ、

この蛙は大峰沼、古沼、大沼に生息するモリアオガエルです。

 

 

ちょっと前にコメントを寄せていただいた方が似た名前でして、

それでこの作品を思い出しました。

・・・・というかあることは知っていましたが、直接見たことはなかった。

なので、最初は上毛高原駅に行って空振りだったというw

思い返せばこのころ、なんかモリアオガエルの話題が出ていた記憶がありますね。

盛岡まで見にいくとか何とか。

お土産もらった記憶もないので、多分行ってないw

 

 

智本光隆


群馬彫刻探訪 特別編

2019-08-31 22:27:56 | 日記

本日8月最終日・・・

 

 

 

左から

ツイストリング(1991年)

芙(2005年)

ローリングウッド(2011年)

 

 

浮遊(2006年) 二科展文部科学大臣賞

 

 

なお、この下のガラス部分を最初に運ばされ・・・・・

もとい、運んだのは私だったりするとかしないとかw

後に「このガラスのところが好評だった」とかなんとか・・・

いや、重かった。

 

 

 

御列席の皆様には御礼申し上げます。

(私が言うのも変な気もしますがw)

 

 

 

 

智本光隆