放送が中先代の乱に入っていますが・・・
この回はタイトルの通りに、後醍醐天皇が隠岐に流されます。
で、、、高氏が鎌倉で北条高時に父・貞氏の葬儀を願い出ますが許されず・・・
この回ですが、本放送当時、高時と高氏のやり取りを一緒にみていたうちの父が、
「これは馬鹿じゃねえな」と言っていたのを思い出します。
改めてみると、高時はけっこうな内容を外様の高氏にぶっちゃけているんですが、
高氏の方は「高時は醜く、帝は美しい」
それを絶対視しており、逆にここで北条を見限ったように見えます。
で、、、足利荘で執り行われた貞氏の葬儀に、根津甚八さんに「変身」した、
新田義貞が渡良瀬川にて登場!
萩原健一さんが降板した7話から義貞は登場していません。
この時、キャラ設定が「策謀家」から「武骨愚直な鎌倉武士」に変更された様子。
詳細は発表されておりませんが、地元では好意的に受け入れられていた記憶があります。
やはり新田義貞は「武骨な鎌倉武士」であるべき・・・みたいのは地元にはありますね。
仮に萩原義貞のままなら中盤以降がどうなったか興味はありますが。
中盤以降がどうなったのか・・・
なお、萩原義貞の時の設定の一部はリセットされたのか?
(妻の縁者が陸奥安東氏、日野俊基と接触している・・・など)
同時に岩松経家も登場しますが、こちらは原作『私本太平記』は阿波の水軍として出ており、
後醍醐天皇の隠岐脱出に活躍します(ドラマでも少し出ますが)
そしてこの回のラストで楠木正成が再起する・・・と。
智本光隆
大河ドラマ「太平記」の感想のやっぱり1話から書こうかと。
全話書かないと思いますがw
91年放送の「太平記」のいろいろな意味で自分の原点となる作品です。
初めて大河ドラマを見たのは「独眼竜政宗」なのですが、
(「宮本武蔵」も見た記憶がありますが)
全話見たのは「太平記」が最初だったかと思います。
理由は・・・私の家が新田義貞と多少の縁があるのでw
1話の序盤で渡良瀬川で又太郎(尊氏)と義貞が言い合いになりますが、
これがこのドラマの核のひとつになりますね。
ちなみに、この時点で新田義貞役はショーケンとこ萩原健一さんです。
個人的にグループサウンズ時代や太陽にほえろは知りませんが。
当初企画では、義貞は「策謀家」として描かれるような雰囲気でしたが、
数話でて萩原さんが病気降板となりました。
そのままだったらと、気にはなりますが・・・
この回で気になっているのは又太郎出産の場面。
裸の巫女が素焼きの器を叩き割るというのは、白河院の時代の
『餓鬼草紙』に描かれている出産の光景です。
足利貞氏が笹の葉?らしきものを持っているのは、へその緒を切るためのものか?
当時の大河は歴史考証が細かいなぁと、今になって思う次第です。
しかし、赤橋登子さんは当時から美人・・・
あと、このドラマの馬は天皇陛下即位パレード(現上皇陛下)で、
使用される案があったのですが、結局は車になって残念・・・
智本光隆