歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

歴史作家 智本光隆のブログです。

祈念―がんばろう東北―

桜の花に癒され、地震の爪あとに涙し・・・しかしながら確実に仙台の街は復興しております。1歩づつではございますが、前進していきたいと思っております―8年前、被災地からこの言葉をいただきました。今年もまた、春がめぐって来ました。今も苦しい生活を送られている方々に、お見舞いを申し上げます。本当に1日も早い復旧、復興がなされますよう、尽力して行きたいと思っております。

豊臣蒼天録紀行22―覚醒の清水―

2012-07-07 12:39:25 | 豊臣蒼天録
さて、紀行もそろそろ終わりに近づいておりますが、
関ヶ原から作中の流れ通りに西へ・・・と。
今回は、、、




醒ヶ井宿でございます。
作中の時期は、醒井となりますが。
伊吹山の大白猪から死傷を受けた日本武尊命は、瀕死の状態でこの醒井へとたどり着き、
この地に伝わる「居覚の水」で覚醒し、一時的に命をつないだと神話にはあります。



別雷皇宮



加茂神社






そして、「居醒の水」です。
夏には梅花藻(バイカモ)という淡水植物が、水中に白い花を咲かせるそうですが、
ちょいと季節外れか(w


『豊臣蒼天録』の第2巻最終版、秀頼はこの地で意識を失います。
あの一連の流れは、プロット時点からあるにはありましたが、
イメージ的に固まったのは、醒井のこの場所に立ってですかね。
・・・いや、ちょっと飲んでみたときかな(w




そして、神話の英雄・日本武尊命。
さまざまな伝承で、結構おなじみですが、銅像ってはじめてみましたね。
この地で命をつなぐも結局、大和の地に帰ることなく命を散らせました。
弟橘媛(オトタチバナヒメ)とは、黄泉で再会できたのでしょうか?




地蔵川で見かけた光景。
再び、夏がやってきますね。

あとがきっぽい感じの3

2012-06-19 02:07:55 | 豊臣蒼天録
さて、今回わりと言われたのが、、、


「これって関ヶ原群雄伝の続編?」


ということですかね?
はい、違います。『関ヶ原群雄伝』の面々は、
矢矧川から東軍追いかけて、東海道を東へと行きました!
その結末は、作者しか知りません(w


・・・とは言え、まったく違うとも作者的に思わず、
随所に影響はあります。
なんか「関ヶ原群雄伝のどこかで物語が分岐して、
史実通りの関ヶ原の合戦を迎え、そして敗れた」
それから11年・・・のような気がします。
これは、作者の頭の中で自然にそうなった気が。
もちろん、それでも矛盾はあるわけで、キャラが全然違う人もいますし。


でも、1巻の大谷大学→秀頼への太刀の場面、
「主役交代」みたいな気で書いたのは確かでした。
終章はこの物語のために書いたものですが、
ラストのラストだけは、実は「関ヶ原群雄伝を家康討ち取るまでやったら!?」
で考えたものです。
あの場面を描けて、実はけっこうな満足ありました(w


『関ヶ原群雄伝』のキーワードのひとつに、「豊臣の子」がありました。
「それは秀頼でした!」では、そのまんまですが(w
でも、秀吉の形見の太刀の継承の物語は、これにて無事、完結となりました。
太刀がもう、必要でない時代が訪れたので。
今後、秀頼や吉勝がどこかに出ても・・・それは、それなのですが(w



智本光隆

あとがっきっぽい感じの2

2012-06-13 02:32:31 | 豊臣蒼天録
ここ数日、本ブログに「豊臣蒼天録4」でこられる方、けっこうおられまして。。。
えー・・・申し訳ありません、第3巻で完結してしまいました(w
というか、智本作品ではじめて、ラスボスが首だけになったような・・・


仮に続ける場合「豊臣秀頼対松平忠輝」しかないわけで。
この両者の勢力圏、一種のそれぞれが独立圏のように統治される・・・で物語は終わりました。
だが、それぞれが「国創り」を進めるうち、徐々に広がる国家像の差。
両者の間を暗躍する伊達政宗。
なんとか破局を回避させようとする千姫、五郎八姫。
豊臣家に絶対の忠義を持つ大谷吉治、忠輝へと己を賭けた真田幸村。
ついに東西は手切れとなり、元和の御代に再び太刀が抜き放たれる!!


・・・という感じかな?
でも正直、秀頼はやりたくないと思いますよ。あの日、太刀は鴨川へと放ったので(w
もう、この国には必要ないと思っているので。
ただ、作者としてはご期待に応えたい思いもありますので、
希望の方は歴群編集部の方へ是非!!
なお、前に書いた『本能寺将星録』の後日、そして『関ヶ原群雄伝』なら、
アフターストーリーの構想ないわけではないので。
そちらの希望も(w



智本光隆

豊臣蒼天録紀行21―東西終焉の場所―

2012-06-08 22:58:23 | 豊臣蒼天録
さてと、関ヶ原取材も今回で終了で。
最後は東西両軍の御霊を祀った場所へ。



東首塚



西首塚


合戦後、家康は首実検を経て、土地の者に命じて首塚をつくらせたといいます。
東首塚が東軍で、西首塚が西軍とも言われていますが、確かでもないようです。
(作中では、西首塚が西軍・・・との設定)


東軍に敵対した、西軍将士に罪がないとはいえないが、
主君秀頼のために命を捧げたことに他ならず、憎めるものではない。
故に、豊臣の危機に直面し犠牲になった者を納め葬ることは、
仁義に厚い心得の成し得ることであり、まさに家康の教えが、
今の世に泰平をもたらしたと言えよう。

将来この首塚が、丘や谷に変り果てることの無いよう乞い願うものである。



この碑文はもう、あまりにも有名かも知れません。
東西両軍、共に求めていたものは「太平」である。
江戸時代を「平和の世紀」という言い方をすることが多いですが、
それを「敗者」として成し遂げたのが、西軍将兵であったと思います。
『豊臣蒼天録』の結末は、勝敗が逆です。
でも、「太平の世を創る」という結末は一緒にしたつもりです。


さて、後は紹介漏れ数枚を。



徳川家康最後の陣跡



関ヶ原合戦400年平和の杜



町内に翻る東西両軍の旗



君も三成に、家康に!!


そういえば、室内だったので写真は撮っていませんが、
関ヶ原町歴史民俗資料館内の武将紹介に、
「大谷吉継と木下頼継はあって、吉勝は何故か入っていない」
とかありました。
これは本気で「なぜ!?」と思った。どうして弟だけ?
あとは一階に、「平成日本で唯一の長期政権を樹立した総理」が来た時の、
写真とかあったなw


さて、関ヶ原取材も終わり。
この紀行もあと数回かな?

あとがきっぽい感じの1

2012-06-02 21:15:36 | 豊臣蒼天録
発売から1月たち、6月になりまして、
ちょこっと『豊臣蒼天録』の総括っぽいものでも書いてみます。


前々先の『関ヶ原群雄伝』は関ヶ原の合戦(まあ、関ヶ原で戦わないんだけどw)
そして『本能寺将星録』は本能寺の変が舞台です。
で、3作目になる今作、舞台は大阪の陣にしようと。
それを基本として、担当・A田氏と打ち合わせました。去年の1月だったかな?


とはいえ、『関ヶ原群雄伝』がけっこう、大坂の陣のキャストが出ていたりもしまして。
もうひとつ、これまでの二作は登場人物かぶっていたりもしましたが、
大坂の陣の時点では豊臣と徳川、双方かなりお亡くなりになっていたりもします。
で、いろいろ考える・・・と。


智本 「たとえば、○○とかどうですかねー?(豊蒼でかなり出ている人)」
A田氏「いや、もうちょっとメジャーな人のほうが」
智本 「○○とか・・・ああ、でも大阪の陣までに死んでますよね(関群にちょい出てた)」
A田氏「○○いいじゃないですか」(あ、出たことないな、この人は)
智本 「でも、それが大阪の陣段階で味方しても、それで何がどう動くのかと!?」
A田氏「あとはもう、いっそ秀頼で書いてみるかですよね」
智本 「あー・・・豊臣秀頼。秀頼か・・・・・」



・・・・・秀頼ね。
みたいな流れでしたね(かなり、はしょってます)
そんなわけで、『豊臣蒼天録』の主人公は、担当氏のアイディアが大元です。


さて今回、実はちょこっと過去二作になり取り組みをしたのは、
「成長する主人公」を描いてみようと言うこと。
大谷吉勝はそうとも思いませんが、『本能寺将星録』の細川忠興はもう「能力値的にMAXな主人公」でした(w
某所で「細川忠興無双」と突っ込まれもした。
嫁も美人だしねぇ。あの作品では仲睦まじいし。


そんなわけで、まず第一巻の秀頼のキャラはああなりました。
創作の世界では良く取り扱われる二条城会見ですが、「もっとも情けない二条城会見」だったかも。
歴群史上、もっとも煮え切らない状態で合戦始めた主人公!のような気もします。


それでも、天才少年とか、完全な暗愚に描かれることの多い秀頼ですが、
「突如、戦乱に巻き込まれた世間知らずな御曹司」という本作のキャラ、
割と受け入れていただけたようでうれしく思います。
前作の場合、忠興のキャラが「かっこいい」というのと「嫌な奴」という両端の意見があって、
作者的には結構作者も戸惑ったもので。
まあ、、、あまりグダグダ長いので「サクサク覚醒させて下さい」と言う要請、あったとかなかったとか(w



智本光隆