歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

歴史作家 智本光隆のブログです。

祈念―がんばろう東北―

桜の花に癒され、地震の爪あとに涙し・・・しかしながら確実に仙台の街は復興しております。1歩づつではございますが、前進していきたいと思っております―8年前、被災地からこの言葉をいただきました。今年もまた、春がめぐって来ました。今も苦しい生活を送られている方々に、お見舞いを申し上げます。本当に1日も早い復旧、復興がなされますよう、尽力して行きたいと思っております。

前橋から花燃ゆ㉘関東の華 厩橋城

2016-02-14 20:30:01 | 日記
なんか、先週の真田丸の紀行で前橋城が紹介されてたなw
(そして、花燃ゆ大河館のパネルも一瞬だけ映った)


前橋城の築城年代ははっきりと分かりませんが、
室町時代の中頃に、長野氏の居城・箕輪城の支城として築城されたと言われています。
あの武田信玄を7度撃退したという、長野業正の一族ですね。
なお、当時の地名は「厩橋」(まやばし)といい、
城は現在とは利根川を挟んだ反対側でした。
「前橋から花燃ゆ㉔群馬鉄道物語」で紹介した、
内藤ステーションのあたりになるかな・・・


それというのも、とにかく厩橋城の歴史というものは、
利根川氾濫の歴史と同一で!
初代厩橋城は利根川氾濫で押し流され、
天文年間後半(1550年ごろ)に、現在の利根川東岸に築城され直したと言われています。
なので、最初の厩橋城の遺構はまっったくありません。


この厩橋城・・・関東の戦国時代を描くと武田、上杉、北条の三大名が、
取り合う舞台という、群馬県人にはまったくありがたくない登場の仕方がしばしば・・・
謙信が越冬してくると、本拠にするのが厩橋城かw
それに終止符が打たれたのが武田の滅亡、
そして滝川一益の入城です。
地元では一益は情け深い領主だったと言われることも多いですが、
いかんせん!わずか三ヶ月しかない、滝川時代。
本能寺の変の後、神流川の合戦で一益は敗北し、
本拠の伊勢への撤退してしまいます。


滝川一益の撤退後は後北条氏、
そしてその滅亡後は徳川領となってまず平岩親吉、
関ヶ原の合戦後に酒井重忠が入城します。
家康はこの時重忠に「汝、関東の華を与える」と言ったという伝承がありますが、
この酒井氏の下で大改修が行われ、関東でも屈指の大城郭となります。









前橋城址。
なお、4枚目の写真の階段上のところに、
初代下村善太郎銅像がありました(現在、台座の基礎らしきものだけが残っています)


さて、、、そんな訳でして、実は厩橋城が紹介されていても、
現在の遺構は酒井氏の大改修後・・・・というか、
ほとんどが、明治維新直前の下村善太郎らによる築城時のものです。
なので、ちょっと今回の大河の紀行とはズレるんですがw
花燃ゆでは紹介がなかったかな?
なお、「厩橋」と「前橋」は戦国時代末期から混合して使用されていましたが、
酒井氏第5代・酒井忠挙が「前橋」に一本化したとされています。



ちなみに、智本光隆デビュー作『関ヶ原群雄伝』(全3巻)には、
酒井重忠、忠世親子が出演しています。
今なら真田信繁、昌幸が出ていると言った方がいいかw
(あ、作中で信繁→幸村の改名イベントwがあります)



智本光隆