歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

歴史作家 智本光隆のブログです。

祈念―がんばろう東北―

桜の花に癒され、地震の爪あとに涙し・・・しかしながら確実に仙台の街は復興しております。1歩づつではございますが、前進していきたいと思っております―8年前、被災地からこの言葉をいただきました。今年もまた、春がめぐって来ました。今も苦しい生活を送られている方々に、お見舞いを申し上げます。本当に1日も早い復旧、復興がなされますよう、尽力して行きたいと思っております。

三浦大輔引退!!

2016-09-20 22:18:46 | 日記
クライマックスシリーズ初進出!!!


・・・が決定したのは昨日のことなのですが、
なんとなくこの予感がなかった訳ではない。
先日の阪神戦で久々にみて「随分と穏やかな顔して投げてるなぁ」
と思った。
昔・・・広島の大野が巨人の当時ルーキーの高橋に、
HRを打たれた後の表情と、福留に打たれたあとも少しダブった。


三浦大輔引退発表・・・
92年ドラフト組は斎藤隆、有働と同期になり、
これで大洋ホエールズのユニフォームを着た選手は全員引退しました。
98年V戦士もこれで全員引退。


大洋最後の試合に登板している三浦ですが、
なんというか自分としては「若手の象徴」だった。
優勝メンバーの中ではやや年下。
若い頃からチャンスは与えられていたようですが、
結果の出ない時期もあり、佐々木が「あれだけ期待されていて何だ!」
と一喝したエピソードもあります。
謎の高熱で2軍落ちとかあった。
96年は完全に不調のドツボにはまりもした。
「ハマの番長」と呼ばれるのを最初は嫌がっていたw
ですが97年に初めて10勝すると、
98年は「15勝」と目標を立て、
途中で肝機能の障害で離脱したり、佐々木に2週連続で勝ち星消されたり、
それでも野村、斎藤に次ぐ12勝!


しかし、おそらく本人にとっては第3戦で投げた日本シリーズが、
不本意だっただろうな。
本来なら同シリーズでもう1度登板の機会があるはずだったものの
(※横浜はあのシリーズローテーを野村、斎藤、三浦の3人で組んだ)
先発が予想された第6戦は川村に。そしてチームは日本一に。


三浦は常々「横浜でもう1度優勝したい」と言っていましたが、
それはあの日本シリーズの「忘れ物」を取りに行くのだと思います。
実にありがちな表現になりますが。
あの時、1、2年後にその機会があるような気もした。
しかし野村が引退し、斎藤が去り、川村も引退、
戸叶、福盛らも移籍して・・・
気がつけば、たった一人で横浜の屋台骨を支え続けて18年が経ちました。
親会社も2度替わり、監督も・・・ああ、数えるのも面倒なくらいかw


「上がらない雨」「明けない夜」とまで言われたチームの中で、
優勝はおろかCSすら幻想なんじゃかいという状態で、
投げ続けた男が久々にチームに光明が見えた今年、引退を発表しました。
「若手の象徴」は球界最年長になりチームを去るというのが、
実は未だに実感できない・・・


今はただお疲れ様。
そして、もう1度日本シリーズで投げる姿を見たかった。
彼の次のステージが何なのか分かりませんが、
・・・実家の花屋を継ぐというネタをここで挟むべきかw
横浜ベイスターズで育ち、優勝し、
そして守り、支え続けた男に感謝を捧げたいと思います。
ありがとう三浦。今日も山下監督が嫉妬するほどリーゼントは決まっていた。
そして近い将来きっとこう思いたい。
リーグ優勝を決めた胴上げの輪を見ながら、
「ああ、この中に三浦に選手としていて欲しかったな」、と。





『月刊ベイスターズ』95.8 97.10 98.5

ちなみに95年のインタビューでプロ入り初打点を挙げているが、
その時に「バッティングは好きです」と答えているw




智本光隆