万城目学著『バベル九朔』
《万城目ワールド10周年 最強の「奇書」誕生!》と謳われているが、昨年末にホセ・ドノソの『夜のみだらな鳥』という底無しの奇書を読んだばかりの身には、そこまで衝撃は感じられなかった。そして、本書が万城目学の最高傑作とも思わない。寧ろ、ストーリーが急展開する第三章までは物語を楽しめなかった。
が、一棟の雑居ビルから一歩も出ないで話が進む閉所感覚はとても好きだ。
内へ内へと廊下と階段が伸び、時間軸を無視してテナントが増殖していくカオスな感じがとても良い。息子の将来を悲観して暴走する母親や“チェロ声”で捲し立てる伯母との攻防など、所々で万城目学らしい軽いノリは見られるが、基本的には仄暗い世界観だ。
主人公は都内某所の雑居ビル「バベル九朔」の管理人・九朔満大。27歳である。
彼は小説家を目指すために二年前に周囲の反対を振り切って大手企業を退職し、「バベル九朔」に住み着いた。しかし、新人賞に応募しては落選を繰り返す日々に少しずつ心が腐り、最近では執筆にも身が入らない。そこに、息子の身を案ずる母・三津子や押し出しの強い伯母・初恵の肉薄が加わり、そろそろ小説家の夢を手放そうかと考えるに至っている。
「バベル九朔」は、満大の祖父・九朔満男が建てたビルだ。
戦後、満州から引き上げ、電動ミシンのモーターの特許開発に成功した祖父は、順調に工場の規模を拡大する一方で、都内の某駅裏に買った土地に何故か畑違いの画廊を開業した。更には、絵画の取引で稼いだ金で保険代理店も開いた。実業家として成功した祖父は、まだその真価を正確に見出されていなかった駅周辺の土地に、蓄えた金でビッグな買い物をした。雑居ビル「バベル九朔」の誕生である。決して成金タイプではなかったが、何処までも目先が利く人物であった祖父を、満大はひそかに「大九朔」と呼んでいる。
大九朔は、満大が二歳の時に脳卒中でこの世を去り、財産分与の結果、三人の娘のうち、三女で満大の母である三津子が「バベル九朔」を受け継いだ。
元々は、夢を追いかける若者を応援するという満男の志に基づいて運営されていた「バベル九朔」であったが、歳月と共に店子も高齢化が進み、現在では若者と言えるのは、満大自身と二階の「清酒会議」の店主・双見くんくらいだ。建物自体も老朽化が進み、カラスとネズミの巣窟に成り下がっている。
満大は、ある日「バベル九朔」の中で、黒いワンピースを纏い、黒いサングラスをかけた妙に色っぽい女と出会う。
女は満大の前でサングラスを外す。現れた目は、カラスの目玉そのものだった。
不気味な声で鳴きながら「バベル九朔」の付近を飛び交い、ゴミを漁り、糞害をもたらすカラスに、満大はネズミ以上の嫌悪感を抱いていた。
満大は、そのカラスの化身のような女に「扉はどこにあるのか教えて」と意味の分からないことを問われる。カラス女の言うことには、彼女たち太陽の使いが問題にしているバベルとは、雑居ビル「バベル九朔」のことではなく、大九朔が作り上げたもう一つのバベルのことだ。そのバベルには限界が来ようとしている。バベルの清算のためには、雑居ビル「バベル九朔」の何処かにあるバベルに繋がる扉を見つけ、バベルの中にいる九朔満男を排除しなければならない。隠された扉の在処を知っているのは、管理人である満大だけだ。
九朔満男の排除?祖父なら25年も前に亡くなっているが?バベルの崩壊とか、隠された扉とか、何の話なのか分からない。だって自分は祖父から何も聞かされていないのだから。
満大は混乱しながら雑居ビル「バベル九朔」の中を逃げ回るうちに、どこまでも広がって行く迷宮に飲み込まれていく。
行きついたのは、湖だった。
その湖に満大は見覚えがあった。それは「バベル九朔」のテナントの一つで、大九朔と同郷の蜜村さんが経営する「ギャラリー蜜」にかけられていた大九朔の描いた絵の中の風景だったのだ。
『偉大なる、しゅららぼん』を読んだ人なら、湖が出てきた時点でこれは湖の民の物語だと気づくだろう。逆に言えば、『しゅららぼん』未読の人には意味不明な箇所も多いはずだ。
かつて、この国の大きな湖には特殊な力があり、その周辺には湖の力を己の力の源にする湖の民が住んでいた。しかし、近年に入って、干拓事業や環境破壊で多くの湖から力が失われ、湖の民も姿を消していった、というのが『しゅららぼん』の基礎設定だ。
大九朔こと九朔満男は、東北のある湖(八郎潟と推測)の付近の出身だった。
九朔の一族は代々その湖から特殊な力を得る人間を輩出していた。しかし、その湖は干拓事業に伴う埋め立てで消滅し、同時に力を持つ人間もいなくなった。ただ満男一人だけは、力を失わなかった。
湖の民の一族に生まれたからと言って、すべての者が力を持つ訳では無い。
だからこそ、力を持って生まれた者には、その証として“さんずい”の名が与えられる。九朔家もそうで、名に“さんずい”の付く者と付かない者がいる。満男・三津子・満大と、歴代の「バベル九朔」の所有者・管理人は、みな“さんずい”の名の持ち主だ。
大九朔は、故郷を懐かしむためにバベルの中に湖を再現したのではない。
自分の力の源にするために、この世にいくつもあるバベルの一つに湖そのものを移してきたのだ。湖から新たなる力を得た満男は、太陽の使いの目を逃れ、自分だけの世界を築いた。それが、バベルの迷宮である。
迷宮を維持するためにはエネルギーが必要だ。
そのエネルギーを供給してくれるのが、“無駄を見ている者”だ。夢を実現できなかった無駄こそが、純度の高い養分となるのだ。
大九朔が夢を追う若者に格安の家賃で「バベル九朔」のテナントを提供していた理由がこれだった。彼は、決して娘たちに言ったように、純粋な気持ちで夢を追う若者を応援していたのではなかった。大九朔は画廊を営みながら、莫大な徒労に終わった情熱、付随する失望や絶望を効率的に集めて、己の影の下に生み出したバベルを維持するシステムの構築に成功した。雑居ビル「バベル九朔」の周辺の土地は繁華街となり、ビルには人間が捨て去った澱み、社会からあぶれた汚濁といった地上の影が多く流れ込むようになった。影が人間をコントロールするという、カラス女たちが想像さえしなかったことを大九朔は成し遂げたのだ。
迷宮に現れた89のテナント。
そのすべてが、かつて雑居ビル「バベル九朔」で営まれ、潰れていった過去のテナントだった。言ってみれば、バベルにエネルギーを吸い取られた夢の残骸だ。
しかし、現在の「バベル九朔」の店子は、無駄を見続ける年齢ではなくなった中高年たちと、若くして夢を実現している双見くん。バベルのエネルギーとは成り得ない。管理人の満大のみが小説家になるという無駄を見続けている若者だったが、その満大も書くことをやめてしまった。
死によって実体を失い、地上への干渉が難しくなった大九朔は、バベルの維持のために、満大をバベルの中に閉じ込め、小説家になった幻想に溺れさせて、無駄を見続けさせようとした。満大一人のエネルギーで賄えるのかについて疑問が生じるが、そこは”さんずい”の名を持つ者、普通の人間とはポテンシャルが違うということで、一応説明がつく。
追い続けなければ夢を実現することは出来ない。しかし、夢を追い続けることは、引き際を見誤って人生を棒に振る恐れも多分に孕んでもいる。
今は、「バベル九朔」で探偵事務所「ホーク・アイ・エージェンシー」を営んでいる四条さんは、少年時代にはプロ棋士を夢見ていた。それは無謀な夢ではなかった。当時は神童と呼ばれるほどの才能もあったのだ。しかし、四条さんは夢を捨てた。
当時を振り返りながら、彼はこんなことを滿大に語っていた。
”今でも、思うことがあるんだ。もしも、あのまま本気で将棋に向かい続けたら、僕はどのへんまでいけただろう、って。ひょっとしてのひょっとして、プロになれたかもしれない。いや、プロは無理でも、いいところまで食らいついたかもしれない。それとも、全然箸にも棒にもかからなかったかも…。(中略)この年になるとね、わかるんだ。向かい続けることが才能だったんだ。しがみつくでもなく、他に浮気するでもなく、当たり前のように淡々と何年も何十年も向かい続けることが立派な才能なんだ、って。あのときは、それがわからなかった。”
四条さんは夢を手放したことを悔いているのだろう。だが、夢を手放したことで現在の暮らしがあることも解っている。
その一方で、もう一人の店子・蜜村さんは大九朔の励ましを信じ、無駄を見続け、何度もテナントの業種を変え、30年の歳月を空費したのち、田舎に帰っていった。
東京でそれなりに生活出来ているが心にほろ苦い思いを抱いている四条さんと、敗残者となり都落ちすることになったけど心は晴れやかな蜜村さん、どちらが幸せなのかは分からない。ただ、他の若者には取り返しのつかない年齢になる前に夢を諦めるように促していた大九朔が、蜜村さんだけは「お前みたいなのが、ここにはいちばん必要なんだ」と励まし続けたのは、決して彼の人生を根こそぎ食い物にするためではなく、自分と同郷の彼に特別な思い入れがあったからだろう。万に一つでも夢が叶う可能性はあるかもしれないし、都落ちしても彼には継げる家業があるのだし。
言葉にすることで決まる。心に浮かべ、言葉にしたことが真実になる。それがこのバベルのルール。大九朔もカラス女も、オノ・ヨーコ子も、それぞれが満大に言って欲しい言葉を言わせようと躍起になっていた。
言葉は最強の武器となり、盾となる。だから、バベルの清算は、満大が三年かけて書き続けた大長編小説という言葉の塊によって行われた。
千六百枚を超える原稿。それには、これまで新人賞に応募してきた短編とは比べ物にならない思い入れがあった。すべてが手書きで、コピーを取っていない。もう二度と同じものは書けないだろう。それは、満大の「未来」そのものだ。祖父が築き、多くの人々の夢の残骸を養分にして来たバベルの清算に、満大は自分の「未来」を掛けた。
宙に放った原稿がはらはらと落下していく。
原稿を書くのに費やした三年間がごっそりと心から剥がれていく。絶対に泣かないぞと奥歯を噛み締め、白い大編隊を見送る。何枚もの原稿が、表紙の中央に書かれた「バベル九朔」という文字が、目の前を通り過ぎていく。
満大とカラス女が青空を見上げるラストシーン。満大の口笛にもカラス女の鳴き声にも、胸を浸すような青く清々しい悲しみが籠っていた。
《万城目ワールド10周年 最強の「奇書」誕生!》と謳われているが、昨年末にホセ・ドノソの『夜のみだらな鳥』という底無しの奇書を読んだばかりの身には、そこまで衝撃は感じられなかった。そして、本書が万城目学の最高傑作とも思わない。寧ろ、ストーリーが急展開する第三章までは物語を楽しめなかった。
が、一棟の雑居ビルから一歩も出ないで話が進む閉所感覚はとても好きだ。
内へ内へと廊下と階段が伸び、時間軸を無視してテナントが増殖していくカオスな感じがとても良い。息子の将来を悲観して暴走する母親や“チェロ声”で捲し立てる伯母との攻防など、所々で万城目学らしい軽いノリは見られるが、基本的には仄暗い世界観だ。
主人公は都内某所の雑居ビル「バベル九朔」の管理人・九朔満大。27歳である。
彼は小説家を目指すために二年前に周囲の反対を振り切って大手企業を退職し、「バベル九朔」に住み着いた。しかし、新人賞に応募しては落選を繰り返す日々に少しずつ心が腐り、最近では執筆にも身が入らない。そこに、息子の身を案ずる母・三津子や押し出しの強い伯母・初恵の肉薄が加わり、そろそろ小説家の夢を手放そうかと考えるに至っている。
「バベル九朔」は、満大の祖父・九朔満男が建てたビルだ。
戦後、満州から引き上げ、電動ミシンのモーターの特許開発に成功した祖父は、順調に工場の規模を拡大する一方で、都内の某駅裏に買った土地に何故か畑違いの画廊を開業した。更には、絵画の取引で稼いだ金で保険代理店も開いた。実業家として成功した祖父は、まだその真価を正確に見出されていなかった駅周辺の土地に、蓄えた金でビッグな買い物をした。雑居ビル「バベル九朔」の誕生である。決して成金タイプではなかったが、何処までも目先が利く人物であった祖父を、満大はひそかに「大九朔」と呼んでいる。
大九朔は、満大が二歳の時に脳卒中でこの世を去り、財産分与の結果、三人の娘のうち、三女で満大の母である三津子が「バベル九朔」を受け継いだ。
元々は、夢を追いかける若者を応援するという満男の志に基づいて運営されていた「バベル九朔」であったが、歳月と共に店子も高齢化が進み、現在では若者と言えるのは、満大自身と二階の「清酒会議」の店主・双見くんくらいだ。建物自体も老朽化が進み、カラスとネズミの巣窟に成り下がっている。
満大は、ある日「バベル九朔」の中で、黒いワンピースを纏い、黒いサングラスをかけた妙に色っぽい女と出会う。
女は満大の前でサングラスを外す。現れた目は、カラスの目玉そのものだった。
不気味な声で鳴きながら「バベル九朔」の付近を飛び交い、ゴミを漁り、糞害をもたらすカラスに、満大はネズミ以上の嫌悪感を抱いていた。
満大は、そのカラスの化身のような女に「扉はどこにあるのか教えて」と意味の分からないことを問われる。カラス女の言うことには、彼女たち太陽の使いが問題にしているバベルとは、雑居ビル「バベル九朔」のことではなく、大九朔が作り上げたもう一つのバベルのことだ。そのバベルには限界が来ようとしている。バベルの清算のためには、雑居ビル「バベル九朔」の何処かにあるバベルに繋がる扉を見つけ、バベルの中にいる九朔満男を排除しなければならない。隠された扉の在処を知っているのは、管理人である満大だけだ。
九朔満男の排除?祖父なら25年も前に亡くなっているが?バベルの崩壊とか、隠された扉とか、何の話なのか分からない。だって自分は祖父から何も聞かされていないのだから。
満大は混乱しながら雑居ビル「バベル九朔」の中を逃げ回るうちに、どこまでも広がって行く迷宮に飲み込まれていく。
行きついたのは、湖だった。
その湖に満大は見覚えがあった。それは「バベル九朔」のテナントの一つで、大九朔と同郷の蜜村さんが経営する「ギャラリー蜜」にかけられていた大九朔の描いた絵の中の風景だったのだ。
『偉大なる、しゅららぼん』を読んだ人なら、湖が出てきた時点でこれは湖の民の物語だと気づくだろう。逆に言えば、『しゅららぼん』未読の人には意味不明な箇所も多いはずだ。
かつて、この国の大きな湖には特殊な力があり、その周辺には湖の力を己の力の源にする湖の民が住んでいた。しかし、近年に入って、干拓事業や環境破壊で多くの湖から力が失われ、湖の民も姿を消していった、というのが『しゅららぼん』の基礎設定だ。
大九朔こと九朔満男は、東北のある湖(八郎潟と推測)の付近の出身だった。
九朔の一族は代々その湖から特殊な力を得る人間を輩出していた。しかし、その湖は干拓事業に伴う埋め立てで消滅し、同時に力を持つ人間もいなくなった。ただ満男一人だけは、力を失わなかった。
湖の民の一族に生まれたからと言って、すべての者が力を持つ訳では無い。
だからこそ、力を持って生まれた者には、その証として“さんずい”の名が与えられる。九朔家もそうで、名に“さんずい”の付く者と付かない者がいる。満男・三津子・満大と、歴代の「バベル九朔」の所有者・管理人は、みな“さんずい”の名の持ち主だ。
大九朔は、故郷を懐かしむためにバベルの中に湖を再現したのではない。
自分の力の源にするために、この世にいくつもあるバベルの一つに湖そのものを移してきたのだ。湖から新たなる力を得た満男は、太陽の使いの目を逃れ、自分だけの世界を築いた。それが、バベルの迷宮である。
迷宮を維持するためにはエネルギーが必要だ。
そのエネルギーを供給してくれるのが、“無駄を見ている者”だ。夢を実現できなかった無駄こそが、純度の高い養分となるのだ。
大九朔が夢を追う若者に格安の家賃で「バベル九朔」のテナントを提供していた理由がこれだった。彼は、決して娘たちに言ったように、純粋な気持ちで夢を追う若者を応援していたのではなかった。大九朔は画廊を営みながら、莫大な徒労に終わった情熱、付随する失望や絶望を効率的に集めて、己の影の下に生み出したバベルを維持するシステムの構築に成功した。雑居ビル「バベル九朔」の周辺の土地は繁華街となり、ビルには人間が捨て去った澱み、社会からあぶれた汚濁といった地上の影が多く流れ込むようになった。影が人間をコントロールするという、カラス女たちが想像さえしなかったことを大九朔は成し遂げたのだ。
迷宮に現れた89のテナント。
そのすべてが、かつて雑居ビル「バベル九朔」で営まれ、潰れていった過去のテナントだった。言ってみれば、バベルにエネルギーを吸い取られた夢の残骸だ。
しかし、現在の「バベル九朔」の店子は、無駄を見続ける年齢ではなくなった中高年たちと、若くして夢を実現している双見くん。バベルのエネルギーとは成り得ない。管理人の満大のみが小説家になるという無駄を見続けている若者だったが、その満大も書くことをやめてしまった。
死によって実体を失い、地上への干渉が難しくなった大九朔は、バベルの維持のために、満大をバベルの中に閉じ込め、小説家になった幻想に溺れさせて、無駄を見続けさせようとした。満大一人のエネルギーで賄えるのかについて疑問が生じるが、そこは”さんずい”の名を持つ者、普通の人間とはポテンシャルが違うということで、一応説明がつく。
追い続けなければ夢を実現することは出来ない。しかし、夢を追い続けることは、引き際を見誤って人生を棒に振る恐れも多分に孕んでもいる。
今は、「バベル九朔」で探偵事務所「ホーク・アイ・エージェンシー」を営んでいる四条さんは、少年時代にはプロ棋士を夢見ていた。それは無謀な夢ではなかった。当時は神童と呼ばれるほどの才能もあったのだ。しかし、四条さんは夢を捨てた。
当時を振り返りながら、彼はこんなことを滿大に語っていた。
”今でも、思うことがあるんだ。もしも、あのまま本気で将棋に向かい続けたら、僕はどのへんまでいけただろう、って。ひょっとしてのひょっとして、プロになれたかもしれない。いや、プロは無理でも、いいところまで食らいついたかもしれない。それとも、全然箸にも棒にもかからなかったかも…。(中略)この年になるとね、わかるんだ。向かい続けることが才能だったんだ。しがみつくでもなく、他に浮気するでもなく、当たり前のように淡々と何年も何十年も向かい続けることが立派な才能なんだ、って。あのときは、それがわからなかった。”
四条さんは夢を手放したことを悔いているのだろう。だが、夢を手放したことで現在の暮らしがあることも解っている。
その一方で、もう一人の店子・蜜村さんは大九朔の励ましを信じ、無駄を見続け、何度もテナントの業種を変え、30年の歳月を空費したのち、田舎に帰っていった。
東京でそれなりに生活出来ているが心にほろ苦い思いを抱いている四条さんと、敗残者となり都落ちすることになったけど心は晴れやかな蜜村さん、どちらが幸せなのかは分からない。ただ、他の若者には取り返しのつかない年齢になる前に夢を諦めるように促していた大九朔が、蜜村さんだけは「お前みたいなのが、ここにはいちばん必要なんだ」と励まし続けたのは、決して彼の人生を根こそぎ食い物にするためではなく、自分と同郷の彼に特別な思い入れがあったからだろう。万に一つでも夢が叶う可能性はあるかもしれないし、都落ちしても彼には継げる家業があるのだし。
言葉にすることで決まる。心に浮かべ、言葉にしたことが真実になる。それがこのバベルのルール。大九朔もカラス女も、オノ・ヨーコ子も、それぞれが満大に言って欲しい言葉を言わせようと躍起になっていた。
言葉は最強の武器となり、盾となる。だから、バベルの清算は、満大が三年かけて書き続けた大長編小説という言葉の塊によって行われた。
千六百枚を超える原稿。それには、これまで新人賞に応募してきた短編とは比べ物にならない思い入れがあった。すべてが手書きで、コピーを取っていない。もう二度と同じものは書けないだろう。それは、満大の「未来」そのものだ。祖父が築き、多くの人々の夢の残骸を養分にして来たバベルの清算に、満大は自分の「未来」を掛けた。
宙に放った原稿がはらはらと落下していく。
原稿を書くのに費やした三年間がごっそりと心から剥がれていく。絶対に泣かないぞと奥歯を噛み締め、白い大編隊を見送る。何枚もの原稿が、表紙の中央に書かれた「バベル九朔」という文字が、目の前を通り過ぎていく。
満大とカラス女が青空を見上げるラストシーン。満大の口笛にもカラス女の鳴き声にも、胸を浸すような青く清々しい悲しみが籠っていた。