昔から名前だけは知っていたウィリアム・トレヴァー。
このたび、特に理由もないまま読まないでいたこの作家の小説を遺作から読むことにした。避けていたのも、今になって読む気になったのも、最初の一冊に遺作を選んだのも、特に理由はない。
収録されているのは、最期の10年間に書き溜めた「ピアノ教師の生徒」「足の不自由な男」「カフェ・ダライアで」「ミスター・レーヴンズウットを丸め込もうとする話」「ミセス・クラスソープ」「身元不明の娘」「世間話」「ジョットの天使たち」「冬の牧歌」「女たち」の10篇の短編だ。
名もなき市井の人々の人生の交錯から生じる不協和音を、派手な演出を抜きに静謐な表現で丁寧に描いている。
本書はトレヴァーの亡くなる一年前の2015年11月に刊行されるはずだったが延期となり、彼が生きていれば90歳の誕生日になる2018年5月24日に刊行された。
タイトルの『ラスト・ストーリーズ』は、トレヴァー自身が付けたものだ。
トレヴァーの作品にはムラと駄作が無いと評されているが、確かに本書に収録されている10篇のクオリティはほぼ均一で、良い意味でも悪い意味でもはみ出した作品がなく、ストレスを感じることなく読了できた。
注意してみれば驚くほど技巧的なのだが、それを誇示することなく、自然体のように感じさせるところにこの作家の技量があるのだろう。
登場人物の心象表現には繊細な注意力を払われているが、決して冷笑的ではなく、神の視点的な傲慢さも無い。かといって、妙にべたついた感傷も無い。すべてが作り物のはずなのに、どうしてこんなにもリアルで肌なじみが良いのだろうか。
誰もが意図せずにして誰かの人生の物語の一部になっている。
身近な人とか大切な人ばかりではなく、こちらにとってはどうでもいい背景の一部のような人の人生に、自分の存在の何かが瑕瑾を残してしまうこともある。
そこに生じるやり切れなさとか寂しさとか。少しの罪悪感とか。そんな見ないふり、忘れたふりをして生きていくことは出来るけど、確かに存在する小さな棘のような痛みを大切に掬い上げる。そんな短篇集だった。
「足の不自由な男」
ロードムービーが好きなので、流れ者の兄弟が主要人物のこの短編は特に味わい深かった。
オンボロのバンに乗って当てのない旅を続ける兄弟と、一生同じ土地に縛られ続ける女。
90年代後半以降のアイルランドの社会情勢を背景に、長い人生の中で一瞬だけ交錯し、永遠に離れて行く二組の人生を淡く苦いタッチで描く。
アイルランドの片田舎。
足の不自由な農場経営者の男が、二人組の流れ者と塗装工事の価格の交渉をしている。
男は二人組をポーランド人の出稼ぎ労働者と思っているが実は違う。二人の外見は似ていないが実は兄弟だ。そして、実は塗装工ではない。兄弟は聞かれたことには適当に答える。聞かれないことは話さない。
マーティーナは50手前の出戻り女だ。
若気の至りの結婚が破綻した時に帰る家の無かった彼女は、遠い親戚である足の不自由な男と同居し、彼の身の回りの世話をすることになった。
家畜の世話は他人任せでよく、地代収入があるので、生活の心配はなかった。足の悪い男は怒りっぽく文句が多いが、彼が死ねば財産はマーティーナが相続できる。
男はマーティーナに、彼女の名前の由来となった聖人の物語をせがむ。
その話なら前に何度もしている。男とマーティーナは、そうやって死んだように何も変わらない時を過ごして来た。流れ者の兄弟が来るまでは。
代金の折り合いがつくと、兄弟はカラの町の塗装店にペンキを購入しに行った。
塗装のことはよく分からないが何とかなるだろう。二人は14歳と13歳の時に家族と別れて以来、成り行き任せに生きてきた。兄弟は店員のアドバイス通りの道具を揃えると、ついでに暫しの住居となる廃屋で使う調理器具も購入した。
月曜は雨だったので、作業は火曜から始まった。
兄弟の目には足の不自由な男の妻に見えた女が、茶菓子を出したり作業の監視をしたりしていた。夕方までにモルタルの補修は完了した。
水曜は途中から大雨になった。
作業どころでなくなった兄弟はバンへ避難し、天気の回復を待った。
まだ作業をしていた時から家の中からは口論が漏れ聞こえ、兄弟が聞き耳を立てるのに飽きてからも延々と続いていた。
午後になっても雨がやまないので、兄弟は塗装店に行き、悪天候が数日続くという予報が出ていることを知った。そこで兄弟は店員から教わった建築業者に日雇いで使ってもらうことにした。
雨が続くと足の不自由な男の心は暴走しがちになる。
口論に飽き果てると、男はマーティーナという名前の起源になった聖人の話を蒸し返した。その時、マーティーナはレンジの燃えカスの掃除をしていて、男の問いに答えなかった。彼女は黙ったまま背を向け、灰受け皿を持って中庭に出た。雨に濡れてキッチンに戻ると、男の望み通りに、すでに何度もしている話を聞かせた。
ローマの聖マルティナの体内には血ではなく、ミルクが流れていたという話。教皇ウルバヌスがマルティナのために教会を建て、彼女のために作られた聖歌が聖務日課書に収められたという話。そして、彼女が剣で斬られて殉教したという話。
話をしている間にも、マーティーナの体からは雨が滴って、床の敷石を濡らしていた。
建築現場で働いているうちに天候は良くなったが、給料が良かったので兄弟は引き続き働き続けた。結局、足の不自由な男の農場に戻ったのは九日後だった。
早朝戻った兄弟は、文句を言われることを心配しながら、遅れた分を取り戻すためにせっせと働いた。
その日以降、家の中を覗くと、足の不自由な男の妻らしき女の姿だけが見えた。
女は長雨の前に見た時と似た服装をしているが別人のようだった。兄弟は戸惑った。この国ではこんな風に突然に人が変わるのが普通なのだろうか。
そして、農場に戻ってきて以来、足の不自由な男の姿を見ていないことに気づいた。
兄弟は代金の支払いが心配になった。
というのも、支払いの口約束は、兄弟とあの男の間だけで成立したもので、女はその時同席していなかったのだ。作業が終わった時に、女が請求額に文句を言い出す事態もあり得た。
足の不自由な男は施設へでも送られたのだろうか。女の雰囲気が変わってしまったのは何故だろう。
地元住民との付き合いは女が一人で請け負っているので、足の不自由な男の不在を気にする者はいない。
兄弟は見聞きした事実の切れ端から推測して、男はすでに死んでいると見当をつけた。そんな話をしながら、兄弟は淡々と寝て、食べて、作業を続けた。
兄弟は何をしたわけでもないのに、それまで縁もゆかりもなかった女の物語の一部、それも物語の変調を決定づける存在になっていた。
だが、自由を求める兄弟は、誰かの人生に干渉しない。他人の人生に口を挟むということは、他人の人生に絡め捕られるということだ。作業の代金さえ貰えればそれでいい。女が流れ者たちに注意するのは、彼らが家の物を盗んでいかないかということくらいだ。
兄弟がこの土地を訪れなければ。足の不自由な男と塗装の契約をしなければ。長雨が続かなければ。足の不自由な男とマーティーナの代り映えのしない生活は、継続していたのかもしれない。
関係の薄さに反して与えた影響があまりにも重たく、何やら理不尽な気もする。
作業が完了すれば、マーティーナは代金を支払うだろう。兄弟は旅を続けるだろう。彼らは二度と会うことはなく、それぞれの人生を淡々と生きていく。
「ミセス・クラスソープ」
トレヴァーの絶筆となった短編。
財産目当てに結婚した夫の葬儀を済ませた初老の女と、最愛の妻の死に打ちひしがれる中年男。
連れあいの死に対する感情が全く異なる男女の、ほんの少しの関わり合いと思いがけない結末。引きずられる思いの分、読後の苦さは「足の不自由な男」より深い。
傷つけたいほど関心があったわけじゃない。煩わしかったから避けただけ。だけど、忘れたころになって相手の不幸を知ってしまった。言いようのない後ろめたさに苛まれる。
ミセス・クラスソープは、夫の葬儀を彼の遺言通りに済ませたばかりだ。
彼女は御年59歳だが、本人の実感としては45歳なので、45歳を自称している。夫は75歳だった。金目当ての結婚だったが、彼女は安楽を得た代わりに、人生の花を咲かせ損ねたと信じている。
彼女の一人息子は露出狂で、施設や刑務所を出たり入ったりしている。彼女は息子を愛していて、支えたいと思っている。夫には出来るだけ息子の不始末を知られないようにして、一人で泣いてきた。だが、息子の方はそんな母親を小馬鹿にしている。
ミセス・クラスソープは、未亡人暮らしを満喫するために本腰を入れ始めた。
かつて暮らしたことのあるイーストボーンに引っ越すのだ。学生時代の仲間は皆パーティー好きだから、彼女のために集まってくれるだろう。それから、夫の生前に密かに関係を持った男たちも、以前と同様にやってくるだろう。
エサリッジは妻の死が受け入れられない。
思春期に出会い、最も親切な友にして最も優しい伴侶だったジャネット。彼女が死んだ後、エサリッジはバーンズのフラットを引き払い、ウェイマス・ストリートへ移った。
仕事をしている時は気がまぎれる。夜中に目が冴えてしまうことが無くなり、記憶の輪郭は次第にぼやけて行った。それでも、エサリッジは、ジャネットの死を許すことが出来そうになかった。彼は生を謳歌する人々を羨み、過去の自分自身をも羨んだ。
ミセス・クラスソープは、ボーモンド・ストリートで魅力的な男を見つけた。
男前で、服装のセンス良し。爪の手入れも行き届いている。
ハンサムな男の子に出会ったら、エンフォード・クレッセントへどう行けばいいのか尋ねるべし。相手はそれが何処なのか知っているはずがない。何故ならエンフォード・クレッセントなんて何処にもないから。それが少女時代からの彼女が男に近づくためのやり口だ。
エンフォード・クレッセントを探しているという女のために、エサリッジは通りすがりの男女に声をかけた。だが、彼らはこの辺りではないと思うと言う。
エサリッジは道を尋ねてきた女が途方に暮れたように微笑むのを見て、役に立てなかったことをわびた。
ミセス・クラスソープは、男が去っていくのを目で追った。
教養のありそうな話し方で、礼儀正しいのに冷たさは感じられなかった。もっと自分のことを話してみるべきだったかも。そうすれば気を惹くことができたかも。彼女は昔から金髪の男が好きだった。
エサリッジは、カフェでどこかで見たような顔の女に声をかけられた。
肉付きが良くて、美しい人だ。歯は白く、胸は引き締まっていて、膝小僧も年寄り臭くない。上品な服装と気前の良い微笑み。だけど、随分とお喋りだ。
彼が頼んだコーヒーはとても熱く、すぐに飲み干せそうにない。暫くその席に留まらざるを得なかった。
ミセス・クラスソープは、魅力ある行きずりの男とまた会えた。
恋心を少々そそられた男だ。彼女は懸命に男に話しかけた。
昔の恋人には裏切られた。夫との生活は退屈だった。自分は今どこまで踏み込んでいるのだろう。
立ち去る際に、彼女は男に自分の住所を書いた走り書きを渡してみた。
それ以来、エサリッジはそのカフェを使うのを避けるようになった。
ミセス・クラスソープの姿は数回見かけた。エサリッジは彼女の姿を見た店はすべて避けた。ヴィンセント・ストリートで彼の名が呼ばれるのを聞いた時には黙って足を速めた。
彼はミセス・クラスソープに関心は無いし、気を使う義理も無かった。煩わしさを超えるほどの魅力を感じなかったのだ。
妻の死に悲憤を募らせている間に、エサリッジはミセス・クラスソープに目をつけられたことを徐々に忘れた。
やがてエサリッジは再婚した。
時が経つにつれて夫婦の絆は深まり、以前の結婚に劣らない多幸感に恵まれた。彼はピーターシャムに引っ越し、家を買った。子供が二人生まれた。職場では地位を得た。彼は人生のほぼすべての面において幸運をつかんでいた。
いくつかの季節が過ぎた。
エサリッジは新聞記事で、クラスソープという名前に再び出くわした。珍しい苗字なので目に留まったのだ。
それは、ごみ置き場でホームレスの女の死体が発見されたという記事だった。
ウイスキーの染み込んだ衣服からは悪臭がしていたという。
エサリッジの脳裏には、彼女のブロンドに染めた髪とストッキングにくるまれた膝小僧、にこやかな表情と絶え間ないお喋りが蘇った。彼女が自分の住所を書いて寄こした紙切れは、読まぬまま捨てた。町で名を呼ばれた時には足早に逃げた。
彼女が生きていた時には掻き立てらなかった好奇心が、今になって騒ぎ出した。裕福そうに見えた彼女が、ごみ置き場で死体となって発見されるまでの間に何があったのだろう。
エサリッジはミセス・クラスソープのことを忘れられなかった。たいして知らない相手を厄介に思い、軽くあしらった故の罪悪感が抜けなかったのだ。
数ヶ月後に現場近くまで足を運んで、彼女のことを訪ね歩いてみた。安っぽいバーで深酒していた彼女。男好きだったという彼女。エサリッジが僅かに知っていた彼女とは別人のようだった。彼女に対して、理由の定かでない同情が沸いてくるのが感じられた。
ミセス・クラスソープは浮ついた女性だけど、彼女なりにひたむきに生きていたと思う。
身なりを整えて、新しい恋を求めて、それが全部空回って。どんな不運が重なったらホームレスにまで身を落とすのか。知りたいような、だけど、残酷な事実は知りたくないような。
エサリッジは、ミセス・クラスソープの来し方や心情を知らないし、彼女の死に罪悪感を覚える必要も無い。そこまでの関係ではなかった。だけど、簡単に割り切れないのが人情というものだ。
ミセス・クラスソープは、エサリッジを礼儀正しいが冷たい感じではないと思った。彼はその通りの普通の男だ。
当たり前の観察力のあった彼女が、急き立てられるように恋を求め、エサリッジとの距離感を間違えて彼に避けられ、数年後に零落した姿で新聞に載る羽目になった。その陰には彼女の更生の見込みの無い息子の存在があったと思う。その点については具体的には書かれていないけれど。
エサリッジはそれ以上彼女の人生を探る気にはならなかった。
彼女の秘密に敬意を払い、気持ちの整理をつけて、彼は彼の人生を歩いていく。最初の妻を亡くした悲しみや怒りにも折り合いをつけ、新たな家庭を持ったように。苦い感情は完全に消えることはなくても、日々の暮らしの中で薄まっていくのだから。
このたび、特に理由もないまま読まないでいたこの作家の小説を遺作から読むことにした。避けていたのも、今になって読む気になったのも、最初の一冊に遺作を選んだのも、特に理由はない。
収録されているのは、最期の10年間に書き溜めた「ピアノ教師の生徒」「足の不自由な男」「カフェ・ダライアで」「ミスター・レーヴンズウットを丸め込もうとする話」「ミセス・クラスソープ」「身元不明の娘」「世間話」「ジョットの天使たち」「冬の牧歌」「女たち」の10篇の短編だ。
名もなき市井の人々の人生の交錯から生じる不協和音を、派手な演出を抜きに静謐な表現で丁寧に描いている。
本書はトレヴァーの亡くなる一年前の2015年11月に刊行されるはずだったが延期となり、彼が生きていれば90歳の誕生日になる2018年5月24日に刊行された。
タイトルの『ラスト・ストーリーズ』は、トレヴァー自身が付けたものだ。
トレヴァーの作品にはムラと駄作が無いと評されているが、確かに本書に収録されている10篇のクオリティはほぼ均一で、良い意味でも悪い意味でもはみ出した作品がなく、ストレスを感じることなく読了できた。
注意してみれば驚くほど技巧的なのだが、それを誇示することなく、自然体のように感じさせるところにこの作家の技量があるのだろう。
登場人物の心象表現には繊細な注意力を払われているが、決して冷笑的ではなく、神の視点的な傲慢さも無い。かといって、妙にべたついた感傷も無い。すべてが作り物のはずなのに、どうしてこんなにもリアルで肌なじみが良いのだろうか。
誰もが意図せずにして誰かの人生の物語の一部になっている。
身近な人とか大切な人ばかりではなく、こちらにとってはどうでもいい背景の一部のような人の人生に、自分の存在の何かが瑕瑾を残してしまうこともある。
そこに生じるやり切れなさとか寂しさとか。少しの罪悪感とか。そんな見ないふり、忘れたふりをして生きていくことは出来るけど、確かに存在する小さな棘のような痛みを大切に掬い上げる。そんな短篇集だった。
「足の不自由な男」
ロードムービーが好きなので、流れ者の兄弟が主要人物のこの短編は特に味わい深かった。
オンボロのバンに乗って当てのない旅を続ける兄弟と、一生同じ土地に縛られ続ける女。
90年代後半以降のアイルランドの社会情勢を背景に、長い人生の中で一瞬だけ交錯し、永遠に離れて行く二組の人生を淡く苦いタッチで描く。
アイルランドの片田舎。
足の不自由な農場経営者の男が、二人組の流れ者と塗装工事の価格の交渉をしている。
男は二人組をポーランド人の出稼ぎ労働者と思っているが実は違う。二人の外見は似ていないが実は兄弟だ。そして、実は塗装工ではない。兄弟は聞かれたことには適当に答える。聞かれないことは話さない。
マーティーナは50手前の出戻り女だ。
若気の至りの結婚が破綻した時に帰る家の無かった彼女は、遠い親戚である足の不自由な男と同居し、彼の身の回りの世話をすることになった。
家畜の世話は他人任せでよく、地代収入があるので、生活の心配はなかった。足の悪い男は怒りっぽく文句が多いが、彼が死ねば財産はマーティーナが相続できる。
男はマーティーナに、彼女の名前の由来となった聖人の物語をせがむ。
その話なら前に何度もしている。男とマーティーナは、そうやって死んだように何も変わらない時を過ごして来た。流れ者の兄弟が来るまでは。
代金の折り合いがつくと、兄弟はカラの町の塗装店にペンキを購入しに行った。
塗装のことはよく分からないが何とかなるだろう。二人は14歳と13歳の時に家族と別れて以来、成り行き任せに生きてきた。兄弟は店員のアドバイス通りの道具を揃えると、ついでに暫しの住居となる廃屋で使う調理器具も購入した。
月曜は雨だったので、作業は火曜から始まった。
兄弟の目には足の不自由な男の妻に見えた女が、茶菓子を出したり作業の監視をしたりしていた。夕方までにモルタルの補修は完了した。
水曜は途中から大雨になった。
作業どころでなくなった兄弟はバンへ避難し、天気の回復を待った。
まだ作業をしていた時から家の中からは口論が漏れ聞こえ、兄弟が聞き耳を立てるのに飽きてからも延々と続いていた。
午後になっても雨がやまないので、兄弟は塗装店に行き、悪天候が数日続くという予報が出ていることを知った。そこで兄弟は店員から教わった建築業者に日雇いで使ってもらうことにした。
雨が続くと足の不自由な男の心は暴走しがちになる。
口論に飽き果てると、男はマーティーナという名前の起源になった聖人の話を蒸し返した。その時、マーティーナはレンジの燃えカスの掃除をしていて、男の問いに答えなかった。彼女は黙ったまま背を向け、灰受け皿を持って中庭に出た。雨に濡れてキッチンに戻ると、男の望み通りに、すでに何度もしている話を聞かせた。
ローマの聖マルティナの体内には血ではなく、ミルクが流れていたという話。教皇ウルバヌスがマルティナのために教会を建て、彼女のために作られた聖歌が聖務日課書に収められたという話。そして、彼女が剣で斬られて殉教したという話。
話をしている間にも、マーティーナの体からは雨が滴って、床の敷石を濡らしていた。
建築現場で働いているうちに天候は良くなったが、給料が良かったので兄弟は引き続き働き続けた。結局、足の不自由な男の農場に戻ったのは九日後だった。
早朝戻った兄弟は、文句を言われることを心配しながら、遅れた分を取り戻すためにせっせと働いた。
その日以降、家の中を覗くと、足の不自由な男の妻らしき女の姿だけが見えた。
女は長雨の前に見た時と似た服装をしているが別人のようだった。兄弟は戸惑った。この国ではこんな風に突然に人が変わるのが普通なのだろうか。
そして、農場に戻ってきて以来、足の不自由な男の姿を見ていないことに気づいた。
兄弟は代金の支払いが心配になった。
というのも、支払いの口約束は、兄弟とあの男の間だけで成立したもので、女はその時同席していなかったのだ。作業が終わった時に、女が請求額に文句を言い出す事態もあり得た。
足の不自由な男は施設へでも送られたのだろうか。女の雰囲気が変わってしまったのは何故だろう。
地元住民との付き合いは女が一人で請け負っているので、足の不自由な男の不在を気にする者はいない。
兄弟は見聞きした事実の切れ端から推測して、男はすでに死んでいると見当をつけた。そんな話をしながら、兄弟は淡々と寝て、食べて、作業を続けた。
兄弟は何をしたわけでもないのに、それまで縁もゆかりもなかった女の物語の一部、それも物語の変調を決定づける存在になっていた。
だが、自由を求める兄弟は、誰かの人生に干渉しない。他人の人生に口を挟むということは、他人の人生に絡め捕られるということだ。作業の代金さえ貰えればそれでいい。女が流れ者たちに注意するのは、彼らが家の物を盗んでいかないかということくらいだ。
兄弟がこの土地を訪れなければ。足の不自由な男と塗装の契約をしなければ。長雨が続かなければ。足の不自由な男とマーティーナの代り映えのしない生活は、継続していたのかもしれない。
関係の薄さに反して与えた影響があまりにも重たく、何やら理不尽な気もする。
作業が完了すれば、マーティーナは代金を支払うだろう。兄弟は旅を続けるだろう。彼らは二度と会うことはなく、それぞれの人生を淡々と生きていく。
「ミセス・クラスソープ」
トレヴァーの絶筆となった短編。
財産目当てに結婚した夫の葬儀を済ませた初老の女と、最愛の妻の死に打ちひしがれる中年男。
連れあいの死に対する感情が全く異なる男女の、ほんの少しの関わり合いと思いがけない結末。引きずられる思いの分、読後の苦さは「足の不自由な男」より深い。
傷つけたいほど関心があったわけじゃない。煩わしかったから避けただけ。だけど、忘れたころになって相手の不幸を知ってしまった。言いようのない後ろめたさに苛まれる。
ミセス・クラスソープは、夫の葬儀を彼の遺言通りに済ませたばかりだ。
彼女は御年59歳だが、本人の実感としては45歳なので、45歳を自称している。夫は75歳だった。金目当ての結婚だったが、彼女は安楽を得た代わりに、人生の花を咲かせ損ねたと信じている。
彼女の一人息子は露出狂で、施設や刑務所を出たり入ったりしている。彼女は息子を愛していて、支えたいと思っている。夫には出来るだけ息子の不始末を知られないようにして、一人で泣いてきた。だが、息子の方はそんな母親を小馬鹿にしている。
ミセス・クラスソープは、未亡人暮らしを満喫するために本腰を入れ始めた。
かつて暮らしたことのあるイーストボーンに引っ越すのだ。学生時代の仲間は皆パーティー好きだから、彼女のために集まってくれるだろう。それから、夫の生前に密かに関係を持った男たちも、以前と同様にやってくるだろう。
エサリッジは妻の死が受け入れられない。
思春期に出会い、最も親切な友にして最も優しい伴侶だったジャネット。彼女が死んだ後、エサリッジはバーンズのフラットを引き払い、ウェイマス・ストリートへ移った。
仕事をしている時は気がまぎれる。夜中に目が冴えてしまうことが無くなり、記憶の輪郭は次第にぼやけて行った。それでも、エサリッジは、ジャネットの死を許すことが出来そうになかった。彼は生を謳歌する人々を羨み、過去の自分自身をも羨んだ。
ミセス・クラスソープは、ボーモンド・ストリートで魅力的な男を見つけた。
男前で、服装のセンス良し。爪の手入れも行き届いている。
ハンサムな男の子に出会ったら、エンフォード・クレッセントへどう行けばいいのか尋ねるべし。相手はそれが何処なのか知っているはずがない。何故ならエンフォード・クレッセントなんて何処にもないから。それが少女時代からの彼女が男に近づくためのやり口だ。
エンフォード・クレッセントを探しているという女のために、エサリッジは通りすがりの男女に声をかけた。だが、彼らはこの辺りではないと思うと言う。
エサリッジは道を尋ねてきた女が途方に暮れたように微笑むのを見て、役に立てなかったことをわびた。
ミセス・クラスソープは、男が去っていくのを目で追った。
教養のありそうな話し方で、礼儀正しいのに冷たさは感じられなかった。もっと自分のことを話してみるべきだったかも。そうすれば気を惹くことができたかも。彼女は昔から金髪の男が好きだった。
エサリッジは、カフェでどこかで見たような顔の女に声をかけられた。
肉付きが良くて、美しい人だ。歯は白く、胸は引き締まっていて、膝小僧も年寄り臭くない。上品な服装と気前の良い微笑み。だけど、随分とお喋りだ。
彼が頼んだコーヒーはとても熱く、すぐに飲み干せそうにない。暫くその席に留まらざるを得なかった。
ミセス・クラスソープは、魅力ある行きずりの男とまた会えた。
恋心を少々そそられた男だ。彼女は懸命に男に話しかけた。
昔の恋人には裏切られた。夫との生活は退屈だった。自分は今どこまで踏み込んでいるのだろう。
立ち去る際に、彼女は男に自分の住所を書いた走り書きを渡してみた。
それ以来、エサリッジはそのカフェを使うのを避けるようになった。
ミセス・クラスソープの姿は数回見かけた。エサリッジは彼女の姿を見た店はすべて避けた。ヴィンセント・ストリートで彼の名が呼ばれるのを聞いた時には黙って足を速めた。
彼はミセス・クラスソープに関心は無いし、気を使う義理も無かった。煩わしさを超えるほどの魅力を感じなかったのだ。
妻の死に悲憤を募らせている間に、エサリッジはミセス・クラスソープに目をつけられたことを徐々に忘れた。
やがてエサリッジは再婚した。
時が経つにつれて夫婦の絆は深まり、以前の結婚に劣らない多幸感に恵まれた。彼はピーターシャムに引っ越し、家を買った。子供が二人生まれた。職場では地位を得た。彼は人生のほぼすべての面において幸運をつかんでいた。
いくつかの季節が過ぎた。
エサリッジは新聞記事で、クラスソープという名前に再び出くわした。珍しい苗字なので目に留まったのだ。
それは、ごみ置き場でホームレスの女の死体が発見されたという記事だった。
ウイスキーの染み込んだ衣服からは悪臭がしていたという。
エサリッジの脳裏には、彼女のブロンドに染めた髪とストッキングにくるまれた膝小僧、にこやかな表情と絶え間ないお喋りが蘇った。彼女が自分の住所を書いて寄こした紙切れは、読まぬまま捨てた。町で名を呼ばれた時には足早に逃げた。
彼女が生きていた時には掻き立てらなかった好奇心が、今になって騒ぎ出した。裕福そうに見えた彼女が、ごみ置き場で死体となって発見されるまでの間に何があったのだろう。
エサリッジはミセス・クラスソープのことを忘れられなかった。たいして知らない相手を厄介に思い、軽くあしらった故の罪悪感が抜けなかったのだ。
数ヶ月後に現場近くまで足を運んで、彼女のことを訪ね歩いてみた。安っぽいバーで深酒していた彼女。男好きだったという彼女。エサリッジが僅かに知っていた彼女とは別人のようだった。彼女に対して、理由の定かでない同情が沸いてくるのが感じられた。
ミセス・クラスソープは浮ついた女性だけど、彼女なりにひたむきに生きていたと思う。
身なりを整えて、新しい恋を求めて、それが全部空回って。どんな不運が重なったらホームレスにまで身を落とすのか。知りたいような、だけど、残酷な事実は知りたくないような。
エサリッジは、ミセス・クラスソープの来し方や心情を知らないし、彼女の死に罪悪感を覚える必要も無い。そこまでの関係ではなかった。だけど、簡単に割り切れないのが人情というものだ。
ミセス・クラスソープは、エサリッジを礼儀正しいが冷たい感じではないと思った。彼はその通りの普通の男だ。
当たり前の観察力のあった彼女が、急き立てられるように恋を求め、エサリッジとの距離感を間違えて彼に避けられ、数年後に零落した姿で新聞に載る羽目になった。その陰には彼女の更生の見込みの無い息子の存在があったと思う。その点については具体的には書かれていないけれど。
エサリッジはそれ以上彼女の人生を探る気にはならなかった。
彼女の秘密に敬意を払い、気持ちの整理をつけて、彼は彼の人生を歩いていく。最初の妻を亡くした悲しみや怒りにも折り合いをつけ、新たな家庭を持ったように。苦い感情は完全に消えることはなくても、日々の暮らしの中で薄まっていくのだから。