藤沢市の『鎌倉殿の13人』ゆかりの地の一つ、白旗神社に行っていきました。
藤沢市に住んで長いのですが、我が家がこの神社を訪れたのは娘コメガネが幼稚園の頃以来、12~3年ぶりになります。
当時はこんな像はなかったです。
ピカピカの新品に見えますが、いつの間に建てられたのだろう。
白旗神社の御祭神は、寒川比古命・源義経公。
配神は、天照皇大神・大国主命・大山祇命・国狭槌命。
古くは相模一の宮の寒川比古命の御分霊を祀っていました。
『吾妻鏡』によると、源義経は1189年閏四月に奥州平泉の衣川館において自害。その首は新田冠者高平を使いとして鎌倉に送られました。高平は腰越の宿につき、そこで和田義盛、梶原景時によって首実検がされたといいます。
伝承では、弁慶の首も同時に送られ、首実検がなされ、夜の間に二つの首は、この神社に飛んできたといいます。
このことを頼朝に伝えると、白旗明神としてこの神社に祀るようにとの事で、義経公を御祭神とし、後に白旗神社と呼ばれるようになりました。
この短い説明文に出てくる、新田、和田、梶原の三人が全員非業の死を遂げているという。
白旗神社を出て、徒歩圏にある伝義経首洗井戸まで行きました。
伝義経首洗井戸。
白旗神社から藤沢宿内を200mほど歩いたところにありました。
大通りから奥まったところにありますが、交番と敷地が隣接しているので分かりやすいです。
腰越で首実検の後、浜に捨てられた義経の首は、潮に乗って川を遡り、里人に拾われこの井戸で清められたと伝えられています。
この後、車で大庭方面に移動。
宗賢院。
このお寺のそばに大庭景親の居館がありました。
前回のブログ「秋薔薇と柴犬(大庭城址公園)」に大庭城址公園に行った話を乗せましたが、その時は柴犬凜ちゃんをつれていたので、ここには寄らなかったのですよね。
車移動なのではっきりとしたことは言えませんが、大庭城址公園から500mくらいの距離だと思います。
蟠龍山と号し、曹洞宗の寺院で1505年に開創され、三代将軍家光の時に寺領十石の御朱印を賜り、十七箇寺の末寺がありました。
本堂前の竜骨堂に祀ってある竜骨は雨乞いの霊験あらたかで、干ばつになると近隣の村に貸し出されていたそうです。
確かに皆さん非業の死を迎えられた方々ばかり💦それだけ血なまぐさい時代だったんでしょうね。
京都にしろ鎌倉にしろ、時代の中心になった都は血みどろですよね。
義経の首って浜に晒されてそのまま打ち捨てられてたんですね😲酷い💧それを拾って祀られるのだから、庶民?に人気があったのですね。
鎌倉は京都ほど歴史が長いわけでも無いのに結構ドロドロしてますよね。
源氏と北条氏は身内でも全力で潰しにかかるから怖いです。
義経、後から神様として祀るより、亡骸を丁重に弔って欲しかったです。