皆川博子著『夜のアポロン』は、先に出版された『夜のリフレーン』と対をなす、皆川博子の単行本未収録短編集である。
「夜のアポロン」「兎狩り」「冬虫夏草」「沼」「致死量の夢」「雪の下の殺意」「死化粧」「ガラス玉遊戯」「魔笛」「サマー・キャンプ」「アニマル・パーティ」「CFの女」「はっぴい・えんど」「ほたる式部秘抄」「閉ざされた庭」「塩の娘」の16の短編が収録されている。
一番古い「夜のアポロン」が76年初出、一番新しい「塩の娘」が96年初出だ。
“早川書房で『死の泉』を上梓していただいてからの二十年余は、好きな世界をたのしく書くことができました。そして、八年前、これも早川さんの『開かせていただき光栄です』で、若い読者が目を向けてくださるようになりました。
それらの土台として、『夜のアポロン』のような作品があります。泥道ですけれど、経てこなくてはならない歳月でした。”
という皆川さんの言葉が、本編を読んでいる間中、強く心に響いていた。
思うに任せない時が長くても、一つの道をまっすぐに歩いてきたからこそ到達できた境地なのだろう。
『死の泉』と『開かせていただき光栄です』は、両方とも私の部屋の本棚にあるが、オチが分かっていても何度読み返せる、ジャンルを超えた名作である。
『夜のリフレーン』が幻想小説集で、『夜のアポロン』はミステリ小説集だ。
『夜のリフレーン』の293ページに対して、『夜のアポロン』は413ページと、100ページ以上も差がついている。が、編集を手掛けた日下三蔵氏としては、二冊で一対と考えて頂きたいとのこと。
本書をもって、皆川さん本人があまり気に入っていないという一篇と、別の復刊企画に使用する予定の数編を除いて、2000年代までに発表された短編は、ほぼ単行本化されたことになるという。
作者自身も原稿を保存していない初期の短編まで発掘し尽くした日下氏の情熱には、尊敬と感謝しかない。それなのに、「塩の娘」のKのモデルにされてしまっているのが、ちょっと笑えてしまうけど。
『夜のリフレーン』と『夜のアポロン』の、どちらが作品のレベルが高いかは、読み手の判断が分かれるだろう。
個人的には、幻想小説集の『夜のリフレーン』の方が好みである。単に、私がミステリというジャンル自体にあまり馴染んでこなかったので、『夜のアポロン』の面白さを充分理解出来ていないだけなのだけど。
そのせいか、『夜のリフレーン』では気にならなかった時代の古さが、『夜のアポロン』では少し気になってしまった。
戦中が舞台の「冬虫夏草」や、明治初期が舞台の「死化粧」などは、むしろ古さが良い味わいになっているのだけど、70年代、80年代あたりが舞台の作品は、昔と呼ぶにはまだ生乾きな分、ちょっと……。
とはいえ、謎解きやトリックより、嫉妬や疎外感、支配欲など人間の心の暗部を抉ることに重点を置いている作品ばかりなので、ミステリがよく分からない私にも読み進めることが可能だった。澱のように溜まる負の感情が決壊する瞬間を、息を詰めて見守るのが愉しい。
ミステリ集という特性上、ネタバレは避けたいので、収録作について細かく感想を書くことはやめておくことにする。
特に気に入った二編について少しだけ触れておきたい。
「魔笛」
“本当でしょうか。ハメルンの笛吹みたいに、笛の音にさそわれて子供が消えてゆくって”
外界から隔離された非行少女の更生施設が舞台と言うと、初期の長編『聖女の島』を思い出す。
皆川さんの作品は幻想小説、時代小説をメインに一時期乱読していたので、どれを最初に読んだか記憶にないのだが、『聖女の島』はかなり昔に読んでいて、皆川作品の中でもお気に入りの一冊だったりする。
更生施設で働くあまり若くない地味な女主人公と、カリスマ的な吸引力を持つ美少女という取り合わせ、少女どうしの同性愛めいた描写や、少女集団の残酷なほど明確なヒエラルキーも、『聖女の島』を彷彿とさせ、楽しく読むことが出来た。
噂の震源地は、深夜ラジオだろうか?
ラジオの持ち込みは禁じられているはずなのに、笛の音に誘われて、一晩のうちに子供たちが姿を消すというその噂は、『鳩の家』の少女たちの間で広まり、密やかに語られていた。
『鳩の家』は、男性職員を〈お父さん〉、女性職員を〈お母さん〉、12のホームのそれぞれの年長者を〈長女〉と呼ぶ、疑似家庭のスタイルをとっている。
非行少女に家庭の温かみを、というのがモットーだが、本当の家庭にあるものが欠けている一方で、本当の家庭にはあってはならないものが横行している。空々しい家族ごっこの水面下で、ホームどうしは常に成績を競争させられ、密告が推奨されている。
〈お父さん〉と〈お母さん〉は、自分の担当するホームの〈子供たち〉の状態を把握していなくてはいけないのだけど、目が届きかね、しばしば問題行動を起こす子供が現れる。その一方で、少女同士の仲間意識は弱まりつつあり、密告者は以前より増えたと、古い職員は言う。
〈わたし〉は、笛吹き男の笛が聞こえるものならば、この檻から誘い出してほしいと思う。だけど、ハメルンの笛吹は連れていく者を選ぶのだ。
体育祭の夜、子供たちを誘う笛の音が流れる。
選ばれた二人と、選ばれなかった二人。選ばれなかった者たちは、偽の家庭〈ホーム〉に帰るしかなかった。
「塩の娘」
Kの死体は、彼の住む1DKアパートの中で発見された。
アパートの入り口の扉は、内側から施錠されていた。つまり密室殺人である。無類の読書家であるKのアパートは、玄関の土間から便所の蓋の上まで本が山積みになっているが、死体の発見された浴室にはさすがに本は積んでいなかった。
Kは愛用のスーツを着たまま、浴槽の外で溺死していた。しかも、体内にあったのは水分を含んだ水――海水だった。
死の直前、Kはドイツ南東部から、オーストリア、ポーランドあたりの岩塩鉱山の分布地帯を旅していた。
岩塩は数億年の昔、そのあたりが海だった証だ。
坑内には、そこで発見された少女のミイラが展示されていた。彼女は、〈塩の娘〉と呼ばれている。Kは見学の最後に、岩塩の欠片の詰まった大きな袋を買っていた。だが、そこに入っていたのは、本当にただの岩塩だったのだろうか?
帰国後、Kの身に何が起きたのかはわからない。ただ、彼はたいそう幸せな死に顔をしていたという。
「夜のアポロン」「兎狩り」「冬虫夏草」「沼」「致死量の夢」「雪の下の殺意」「死化粧」「ガラス玉遊戯」「魔笛」「サマー・キャンプ」「アニマル・パーティ」「CFの女」「はっぴい・えんど」「ほたる式部秘抄」「閉ざされた庭」「塩の娘」の16の短編が収録されている。
一番古い「夜のアポロン」が76年初出、一番新しい「塩の娘」が96年初出だ。
“早川書房で『死の泉』を上梓していただいてからの二十年余は、好きな世界をたのしく書くことができました。そして、八年前、これも早川さんの『開かせていただき光栄です』で、若い読者が目を向けてくださるようになりました。
それらの土台として、『夜のアポロン』のような作品があります。泥道ですけれど、経てこなくてはならない歳月でした。”
という皆川さんの言葉が、本編を読んでいる間中、強く心に響いていた。
思うに任せない時が長くても、一つの道をまっすぐに歩いてきたからこそ到達できた境地なのだろう。
『死の泉』と『開かせていただき光栄です』は、両方とも私の部屋の本棚にあるが、オチが分かっていても何度読み返せる、ジャンルを超えた名作である。
『夜のリフレーン』が幻想小説集で、『夜のアポロン』はミステリ小説集だ。
『夜のリフレーン』の293ページに対して、『夜のアポロン』は413ページと、100ページ以上も差がついている。が、編集を手掛けた日下三蔵氏としては、二冊で一対と考えて頂きたいとのこと。
本書をもって、皆川さん本人があまり気に入っていないという一篇と、別の復刊企画に使用する予定の数編を除いて、2000年代までに発表された短編は、ほぼ単行本化されたことになるという。
作者自身も原稿を保存していない初期の短編まで発掘し尽くした日下氏の情熱には、尊敬と感謝しかない。それなのに、「塩の娘」のKのモデルにされてしまっているのが、ちょっと笑えてしまうけど。
『夜のリフレーン』と『夜のアポロン』の、どちらが作品のレベルが高いかは、読み手の判断が分かれるだろう。
個人的には、幻想小説集の『夜のリフレーン』の方が好みである。単に、私がミステリというジャンル自体にあまり馴染んでこなかったので、『夜のアポロン』の面白さを充分理解出来ていないだけなのだけど。
そのせいか、『夜のリフレーン』では気にならなかった時代の古さが、『夜のアポロン』では少し気になってしまった。
戦中が舞台の「冬虫夏草」や、明治初期が舞台の「死化粧」などは、むしろ古さが良い味わいになっているのだけど、70年代、80年代あたりが舞台の作品は、昔と呼ぶにはまだ生乾きな分、ちょっと……。
とはいえ、謎解きやトリックより、嫉妬や疎外感、支配欲など人間の心の暗部を抉ることに重点を置いている作品ばかりなので、ミステリがよく分からない私にも読み進めることが可能だった。澱のように溜まる負の感情が決壊する瞬間を、息を詰めて見守るのが愉しい。
ミステリ集という特性上、ネタバレは避けたいので、収録作について細かく感想を書くことはやめておくことにする。
特に気に入った二編について少しだけ触れておきたい。
「魔笛」
“本当でしょうか。ハメルンの笛吹みたいに、笛の音にさそわれて子供が消えてゆくって”
外界から隔離された非行少女の更生施設が舞台と言うと、初期の長編『聖女の島』を思い出す。
皆川さんの作品は幻想小説、時代小説をメインに一時期乱読していたので、どれを最初に読んだか記憶にないのだが、『聖女の島』はかなり昔に読んでいて、皆川作品の中でもお気に入りの一冊だったりする。
更生施設で働くあまり若くない地味な女主人公と、カリスマ的な吸引力を持つ美少女という取り合わせ、少女どうしの同性愛めいた描写や、少女集団の残酷なほど明確なヒエラルキーも、『聖女の島』を彷彿とさせ、楽しく読むことが出来た。
噂の震源地は、深夜ラジオだろうか?
ラジオの持ち込みは禁じられているはずなのに、笛の音に誘われて、一晩のうちに子供たちが姿を消すというその噂は、『鳩の家』の少女たちの間で広まり、密やかに語られていた。
『鳩の家』は、男性職員を〈お父さん〉、女性職員を〈お母さん〉、12のホームのそれぞれの年長者を〈長女〉と呼ぶ、疑似家庭のスタイルをとっている。
非行少女に家庭の温かみを、というのがモットーだが、本当の家庭にあるものが欠けている一方で、本当の家庭にはあってはならないものが横行している。空々しい家族ごっこの水面下で、ホームどうしは常に成績を競争させられ、密告が推奨されている。
〈お父さん〉と〈お母さん〉は、自分の担当するホームの〈子供たち〉の状態を把握していなくてはいけないのだけど、目が届きかね、しばしば問題行動を起こす子供が現れる。その一方で、少女同士の仲間意識は弱まりつつあり、密告者は以前より増えたと、古い職員は言う。
〈わたし〉は、笛吹き男の笛が聞こえるものならば、この檻から誘い出してほしいと思う。だけど、ハメルンの笛吹は連れていく者を選ぶのだ。
体育祭の夜、子供たちを誘う笛の音が流れる。
選ばれた二人と、選ばれなかった二人。選ばれなかった者たちは、偽の家庭〈ホーム〉に帰るしかなかった。
「塩の娘」
Kの死体は、彼の住む1DKアパートの中で発見された。
アパートの入り口の扉は、内側から施錠されていた。つまり密室殺人である。無類の読書家であるKのアパートは、玄関の土間から便所の蓋の上まで本が山積みになっているが、死体の発見された浴室にはさすがに本は積んでいなかった。
Kは愛用のスーツを着たまま、浴槽の外で溺死していた。しかも、体内にあったのは水分を含んだ水――海水だった。
死の直前、Kはドイツ南東部から、オーストリア、ポーランドあたりの岩塩鉱山の分布地帯を旅していた。
岩塩は数億年の昔、そのあたりが海だった証だ。
坑内には、そこで発見された少女のミイラが展示されていた。彼女は、〈塩の娘〉と呼ばれている。Kは見学の最後に、岩塩の欠片の詰まった大きな袋を買っていた。だが、そこに入っていたのは、本当にただの岩塩だったのだろうか?
帰国後、Kの身に何が起きたのかはわからない。ただ、彼はたいそう幸せな死に顔をしていたという。