『 鎌倉 長谷寺の大黒様 』 須田 孝雄さん 撮影
前々回の日記の続きになってしまうが、老いては良いこと楽しいことはあまり見つからないが、
悲しいこと悔しいことには事欠かない。
さて、腰を曲げた格好で風呂に入る。転ばぬ様に壁伝いにという感じだ。
裸の姿を見ると、太腿の細さに皺そして胸や腕や肩の筋肉の削げ落ちた様子に心が痛む。
風呂から出てパンツをはこうとしてよろけてしまい、壁に手を当て体を支えながら片足を何度も
反動つけてやっと足を通す有様。
背中には手が回らず拭くのが大変だ。こんな格好は決して人には見せたくないものだ。
もう、大好きだった温泉の露天とか大浴場には入れないだろうなぁと思うと残念だ。
こうした身体上の悲しみだけじゃなくて、心と言うか気持ちと言うのか精神面での変化も同様に
大きいのである。あらゆることに淡泊と言うか根気がなくなり、物事に対して興味や関心が,もう
どうでもいいじゃないかと、めっきり薄れて来たようだ。
只、唯一未だに続けて居るこのブログの日記でも、何年も前に何かをやらねばと思い込み頑張っている。
しかしこれも少しは頭の体操や手指を動かす良い訓練になると思って始めたのだが、今ではこれすら
10分もPCのキーボードに向かっていると飽きてしまう。
暫くTVを見てから、お茶を飲んでからにしようとなってなかなか続けられない。
子供の頃の楽しい思い出も、青春時代のあのめくるめくような感激も興奮も、壮年期のあの達成感も、
こうした諸々の感情もオブラートに包まれた様な感じになってしまった。
かといって悟りの境地などではない。まだまだ不満はあるし焦りもあるし、いろいろと不安や心配事
そして社会の出来事への憤りの情も消えていない。
まだまだ悟りの境地は遠いようだ。これがあるからまだ生きて居られるのかも知れないが。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます