マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

尊い特質

2025年02月28日 | キリスト教

 

「 人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。」    

                箴言 18章 12節

 

人は謙遜を口にしている時でさえ、高慢な時があります。


平和な日々の中で、自己満足、無神論的世界観、物質万能主義の支配する今日この頃です。

この風潮が、私たちの目をくらまして真実を覆い隠しています。もう遅すぎるという前に、今こそ襟を正しましょう。

来るべき、神の大審判より救われる、安全地帯は、キリスト・イエスの十字架の贖いの他にはありません。


・・・ 聖書また箴言が教える、二つの尊い特質は、謙遜と主を恐れることです。・・・


箴言 22:4
「 謙遜と、主を恐れることの報いは、富と誉れといのちである。」

 

コロサイ 3:12
「それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、

       あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。」


 
「 私どもは、自分を見てへり下るのではなく、十字架のあの方を、見てへり下るのである 」
                                               マ―レ

 

 

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神のみ

2025年02月21日 | キリスト教

人は言う。「神に従う人は必ず実を結ぶ。神はいます。神はこの地を裁かれる。」            

                       詩編 58編 12節  新共同訳                                 

こうして人々は言おう。「まことに、正しい者には報いがある。まことに、さばく神が、地におられる。」 

                       同 新改訳


物事を公平に正しく見極めることは必要ですが。あの人が悪い、この人が悪いと裁く態度は、

裁く当人にとっても精神衛生上非常に悪いばかりか、時々問題を大きくしたり、物事を混乱させます。

 

イエス・キリストは、あの有名な山上の説教の中で 

「 人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。

人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。

赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。 」 ルカ 6:37  といわれています。

 

パウロは言いました。人間が正しいとされるのは、決してやましいことが一つもないと言う自分の正しさによるのではない。

人間の正しさなど、横の人と上辺だけの比較の問題にすぎません。人を正しくするのは神の愛、神の赦し、神の恵みだけです。

自分の弱さ、小ささ、醜さをとことん認めて神の愛の中に飛び込むときだけ、人は「 義とされる 」のです。

裁くのは神だけです。神は必要なとき、また最後に、裁き、報いてくださるのです。

 

 報いについて少し、

ルツ 2:12

「・・・ イスラエルの神、主がその御翼のもとに逃れて来たあなたに十分に報いてくださるように。」 

歴代下 15:7                                                                 
「・・・ 勇気を出しなさい。落胆してはならない。あなたたちの行いには、必ず報いがある。」

詩編   58:11             

「・・・  こうして人々は言おう。「まことに、正しい者には報いがある。まことに、さばく神が、地におられる。」   

 

終わりに、

ルカ 18:8

「  あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。
                    しかし、人の子が来たとき、はたして地上に 信仰が見られるでしょうか。」    

 

    

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試練と恵み

2025年02月07日 | キリスト教

「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。

それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。

そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。」

                           エレミヤ書 29章11~12節

 

試練の日は恵みの日でもあるのです。危機は転機でもあるのです。失敗は新しい段階へのスタートなのです。

これは、自分の目で見れば、幸いどころか災いしか感じることができないような状況の中で与えられた約束です。

私たちの人生がこれからバラ色になるという約束ではありません。むしろ、困難な中にあっても得ることができる幸いをここでは約束しているのです。


問題が無くなった、嬉しい、これでさっぱりした、と喜んでも、また問題が次から次へ起きてきます。切がないですね。

でもキリスト教の言う、問題が無くなると言うとは、神の平安あると言う事です。

もし、問題の中で揺り動かされない平安があれば、どんなに大きな問題が起きてきても、安心ですね。

ただ、自分が強くなると言う事ではなく、問題を解決してくれる方に全幅信頼を置くということです。

まあ、他力本願と言えばそれまででけれども、このお方がまた力強いお方なのです。

イエス・キリストの平安は、どんな苦しみ、また悩み中にあっも、変わらない平安 ( これをシャロームといいます。) を与えてくれます。

この方を信じませんか。いや、この方のところへ来ませんか。主イエス・キリストはあなたを心待ちにしております。   
    

 

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