「すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、
御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。」
Ⅰヨハネ 2章 16節
ふだん私たちを駆り立てているものは何でしょうか。
食欲、性欲などの生理的欲求、好奇心や探求心といった知的欲求、所有欲や権力欲、
虚栄心や名誉欲といった自我の欲求。こうした欲求は必ずしも悪いものではなく、
それを求める者にそれなりの満足を与えてくれるものです。
しかし、私たちの思いの隅々まで満たし、生かしてくれるものにはなりません。
だから相変わらず渇きが残ります。わたしたちは、この世に生きながら、この世が提供してくれる物だけでは、
人間らしく生きることができないのです。主イエスは救い主と呼ばれています。
この主イエスに接した者は、あるいは癒され、あるいは喜びに満たされ、
あるいは生きる勇気を回復したと福音書は伝えています。わたしたちも諸欲に翻弄され続けるだけに終わらないように、
恵みとまことに満ちた命をくださいと祈りたい。
「世」とは、神の権威に敵対する制度のことです。悪魔が支配者となっているところの世界です。
これらのものに愛着を感じながら、また実際に愛しながら、かつ御父を愛することはできません。
世は神に敵対しており、神は世をいつか滅ぼされるのですから、どちらも愛することは不可能なことです。
肉の欲・目の欲・暮らし向きの自慢。これら三つの欲について大事なのは、
「御父から出るものではなく、世から出るもの」とヨハネが強調していることです。これらの欲について、
そのような状況に置かれたのは神だとか言ってみたり、誰かほかの人のせいにしてみたり、
また自然に与えられた欲望なのだから、仕方がないことなのだとして、
開き直ることもあるでしょう。ヤコブは、自分の欲で誘惑を受けるのであって、神のせいではないとはっきりと否定しています。
ヤコブ 1:13-15
「だれでも誘惑されているとき、神に誘惑されていると言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、
ご自分でだれかを誘惑することもありません。人が誘惑にあうのは、それぞれ自分の欲に引かれ、誘われるからです。
そして、欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。」