「 イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。「よくなりたいか。」」
ヨハネ 5章 6節
三十八年も病気で苦しんでいた男が、ベッサイダと言う池のそばにいました。
水が動くとき、真っ先に飛び込んだものが癒される塔言い伝えがあったからです。
しかし、自分が飛び込もうとすると、ほかの人が入り、そのチャンスを失ってきました。イエスはこれを見て、
その男に声をかけ癒してやりました。男の苦悩と孤独は、肉体の苦しみの上に心の苦しみ、孤独が付きまとっていました。
私たちが悩む時も同じです。人に話すことができない、あるいは、わかってもらえない孤独感が付きまといます。
しかし、キリストは神の子として救い主として、私たちと共におられるのです。
この主は、ただ憐れんでくださる、大勢いる人々の中から、あなたを捜し出して、心から同情してくださるのです。
ヘブル 4:15
「この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、
わたしたちと同様に試練に遭われたのです。」
ルカ 1:78
「これはわれらの神の深いあわれみによる。そのあわれみにより、日の出がいと高き所からわれらを訪れ、」