「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり/この僕を安らかに去らせてくださいます。
わたしはこの目であなたの救いを見たからです。」
ルカ 2章29~30節
マリアが賛歌を神にささげ、ザカリヤも捧げました。その他、天の軍勢も神を賛美していました。
そしてシメオンもここで賛美を捧げています。
シメオンは、この幼子自体を、「あなたの御救いを見た」といって、ほめたたえています。
救いというのは、何か一定の教えや原則ではありません。イエスご自身が私たちにとっての救いです。
今、人間の姿でご自分を示されたからです。救いを聞くだけでなく、さわって、見ることができました。
この方に人格的に触れる時に、その人は救われます。
私たちの神は一度決心されると、最後までやり通されるお方です。
ユダヤの人々は何千年もの間、神の約束を信じて、主イエスのお生まれになるのを待っていました。
待ちくだびれて、「神は私たちを見捨てられたんだ」と言い出す人もいました。
でも、多くの人たちは主イエスの来られることをじっと待っていたのです。
この聖句に出てくるシメオンも待ち続けた一人でした。
この人は救い主に出会うまで死なないと言われていましたが、
今この時に救い主イエスに出会ってもう死んでもいいと言っています
。私たちは今年をふり返って、「あれができなかった」と後悔するのではなく、
「主イエスに出会うことができた」と喜びたいと思います。
シメオンの賛歌は私たちに壮大な神の救いの計画の枠組みを提供しています。
神の御救いの計画の中で今がどういう時代であるかを知ることは、
私たちの生き方を主にあって、確かな、安らかな生涯へと導くことでしょう。
それゆえに、シメオンのように聖霊によって神の御救いの全貌を
垣間見させていただく一人とさせていただきたいと思います。
また来る来年もどうぞよろしくお願いします。
すべての人々に主イエスの平安と豊な恵みが注がれますように。シャローム