「 十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、
わたしたち救われる者には神の力です。」
Ⅰコリント 1章 18節
十字架のことば、これは、むろんキリストご自身についてのことばであり、
またキリストが十字架につけられて、よみがえったことについてのことばです。
そのことばは、確かにこの世の知恵では愚かに聞こえるだろうが、けれども救いをもたらす神の力であると、
パウロは言っています。この世の知恵によっては、何一つ人を罪から救い出すことはできません。
けれども、十字架のことばを聞いて信じた人は、確かに罪から救われて、その人生と生活が変わります。
この世の知恵のことばは、雄弁で、聞きざわりがよいですが、そこには力がないのです。
しかし、愚かなように聞こえる福音は、力があるのです。
また「十字架のことば」とは、神が人を愛し、赦し、救う力のことです。人の心を変え、
家族を変え、社会を変え、世界を変える力です。姦通の現場を押さえられた女が、
律法学者やパリサイ派の人々によってイエスのところに連れてこられました。
この「石打ちの刑」によって殺されなければならない女に対して、イエスがどう答えるかというところがありました。
しかしイエスの答えは明確でした。「あなたたちの中で罪を犯したことのないものが、まずこの女に石を投げなさい」と言われたのです。
人々は一人また一人と去っていきました。イエスは女に「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。
これからはもう罪を犯してはならない」と言われました。ここに罪人を救うイエスの力が秘められています。