「しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。」
ローマ 8章 37節
まず、「私たちを愛してくださった」とあります。その愛は、十字架の上で罪の供え物となってくださったほどの愛です。
そこまで愛してくださったことによって、何が起こったかと言いますと、「これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となる」
と言っています。これはすごいことです。
第一に、「これらすべてのことの中にあっても」と言っています。これらとは一体何でしょうか。
苦しみ、迫害、飢え、裸、危険、剣と書いています。この幾世紀において持ち越されているそれぞれ国々、社会、家庭にある、
あらゆる苦しみと試練のことではないでしょうか、その状況から救い出されることが、勝利者ではなく、
その中にあっても愛が引き離されないというところに、キリスト者の勝利があり、力があります。
なぜなら、主ご自身がこれらの苦しみを負われて、その上で神のご計画を実現されたからです。
第二に、「圧倒的な勝利者」であります。単なる勝利者と、圧倒的な勝利者の違いは何かと言いますと、
単なる勝利者は戦って勝つことを意味します。けれども、圧倒的な勝利者とは、すでに戦っている時から、
勝利が確定していることを意味します。
圧倒的な物量でしょうか、また先手を打った戦略や戦術でしょうか、戦っているのですが、勝利が決まっていながら戦っているので す。
これが、キリスト者の戦いなのです。
しかし、聖書はこう私たちに教えておられるのです。「神が私たちの味方であるならだれが私たちに敵対できるでしょうか」
神は私たち一人ひとりを愛しておられますから、神は私たちの味方です。それが証拠に神は私たちを罪と死とさばきから救うために、
神の独り子、主イエス・キリストを私たちの身代わりに十字架にかけて、殺してくださいました。
それほど神はあなたを愛しておられるのです。あなたが、その神の味方になっているかどうかが大事なのです。
自分の知恵、自分の力だけで解決をしょうとしている、そこに私たちの罪と問題があるのです。
私たちは圧倒的な勝利者です。ここで大切なのは、「これらすべてのことの中にあっても」という言葉です。
私たちが、苦しまないことによって勝利を受けるのではありません。むしろ、ほふられる羊とみなされるような苦しみを受けます。
しかし、その苦しみが、私たちを栄光の姿に変えるという神のご計画を妨げるものにはまったくなりません。
これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者なのです。苦しむとき、私たちは、神の栄光を待ち望むように促されます。
苦しむとき、御霊がうめいて助けてくださいます。苦しむとき、神は、その悪をすべて良いことのために働かせてくださいます。
このような神のバックアップがあるので、私たちは圧倒的な勝利者なのです。