「 気前のよい人は自分も太り/他を潤す人は自分も潤う。」
箴言 11章 25節
「惜しげなく人に施して、ますます金持ちになる人もあれば、財布のひもをぎゅっと締めていながら、
文無しになる人もいます。物惜しみしない人が金持ちになります。 人をうるおして自分もうるおうからです。」
箴 11:24 -25 リビング・バイブル訳より
奉仕とは、経済的、時間的労働の上で犠牲が求められます。これは避けることができない犠牲ですが、
この犠牲には恵みが伴います。その恵みの値打ちは計り知れないものなのです。
私たちのささやかな犠牲と奉仕によって、「他を潤すものは自分もうるおされる」という経験をする恵であり。
さらに主イエスにあって行われる犠牲には、永遠の生命が約束されています。
イエス・キリストは「自分の十字架を負い、そして私についてきなさい」と言われ、
またその報いとして、「この世では何倍もの報いを受け、後の世では、永遠の命を受ける」
と約束してくださっています。
自分が今持っているものを、自分で守ろうとする窮屈な心、上からの祝福を完全に度外視しているところには、
このあふれ出るような祝福は流れません
イエスは与えることで、他を潤す人を祝福しています。
ルカ6:38
「与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、
ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」
箴言11:25-31
「気前のよい人は自分も太り、他を潤す人は自分も潤う。穀物を売り惜しむ者は民の呪いを買い、
供する人の頭上には祝福が与えられる。善を捜し求める人は好意を尋ね求める人。
悪を求める者には悪が訪れる。冨に依存する者は倒れる。神に従う人は木の葉のように茂る。
家に煩いをもたらす者は風を嗣業とする者。愚か者は知恵ある人の奴隷となる。
神に従う人の結ぶ実は命の木となる。知恵ある人は多くの魂をとらえる。
神に従う人がこの地上で報われるというなら、神に逆らう者、罪を犯す者が、報いを受けるのは当然だ。」