マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

揺るがない希望

2024年12月27日 | キリスト教

 けれども、私たちの国籍は天にあります。・・・・・・ 。     ピリピ人への手紙 3章 20節 

 

私たちの目がこの世という地に向いているのか、希望に燃えた神の国に向いているのか。

それが聖い生活を歩むことができるかどうかの鍵であります。

「私たしの国籍」であると言うことは、神がいつも共にいて下さるということです。

私たちはこの地上で多くのものを失うかもしれないし、多くの人たちから捨てられるかもしれないが、

神が私たちを見捨てられることは決してない。何故なら、神は私たちのためにキリストを遣わして、その命で私たちを贖って下さった方だからだ。

キリストは私たちの重荷を共に負って下さる、キリストが共にいてくださるから、私たちはどのような状況下でも喜ぶことが出来る。
 
一日の業をすべて終え、床に就くとき。あなたの心境はいかがでしょう。

「 今日一日感謝でした。明日が楽しみです 」 と言うことのできる日々を送っておられますか。

勿論日々好ましくない事柄が否が応でも向こうからやってくるのが現実ですが、

しかし、このような心で平安な夜を迎えることができると言うことは、ただ神のあわれみと言えるでしょう。

一日。何とか過ぎた、いや、主のみ手の中で過ごさせていただいた、この感謝と共に。

カナンの地に一日近づいたと思うとき、明日への希望が湧きあがり、力が沸き上がってきます。

今日と言う日は主が下さり、その中の諸々のこと、即ち、喜ばしいこと、悲しいこと、嫌なこと。

等々に対して積極的に迎えることができるのです。この地上では旅人、カナンの地目指して喜び勇んで歩む日々なのです。

                    

           想像してください。あなたがカナンの地におられることを。

 

「 心は躍るよ 心は躍るよ カナンの地想うだに 我が胸 躍るよ 」 ヨルダンの彼方に。   

                                  聖歌 642番より

 

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キリストの力

2024年12月20日 | キリスト教

すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。

                                            Ⅱ コリント 12章 9節
 

これは、クリスチャンが試金石とすべき根本的な真理です。クリスチャンの力は、自分の弱さの中に現われるということです。

私たちは絶えず、神によって、下へ下へと押し込まれる人生を歩むようにされます。

神は、私たちの夢、野心、期待がそがれていき、これでもかと言わんばかりに、私たちを低くされます。

そして、私たちが低くされたときに初めて、神は、「わたしの恵みは、あなたの十分である。」と語ってくださるのです。

 

人間の持つ高慢さぐらい始末におえないものはありません。あなたは高慢ですねと言われるよりも遜った人ですねと言われる方が心地よいものです、

そして、そう私はそうなんですと言ってのけるのが高慢さなのでしょうか。心が高慢である限り、キリストの救いを受けることはありません。( 絶対にです。) 

しかし、この高慢と言うものは自分ではなかなか判らないもので、神から示されれば聞く耳はあるが、

あなたにだけは言われたくないと言うのもこの高慢です。( 人に言われれば腹の一つも立ちます。) 

 

使徒パウロは 「 高慢にならないように、私の肉体に一つの棘が与えられた 」 と言っています。

パウロの場合その棘がなんであったかよく分かりませんが、これさえ良くなれば、もっと活躍できるのにとパウロは思っていたようです。

私たちも神の下さる一つの棘が自分には判らず、自分の働きを押しとどめるものにしか見えないときがあります。

それ故に神の導きを否み、自我に没入してしまう、この棘が私にとって恵みの導きであり、最高のチャンスだとどうして思えましょう。

真実は神に出会い、神の働きを見るチャンスなのですが。

 

神の答えは、「わたしの恵みはあなたに十分である 」でした。

人それぞれ、生まれ育ち、環境の中でこの問題さえなければどんなに良いものかと言ったこと、一つや二つは持っているものです。

実は神はその棘を与えられ、その弱さを通して働きをされるとパウロは教えています。

パウロは 「 私が弱いときこそ、私は強い 」 と言う経験をしています。

弱さがキリストにあって働きになり、恵みになると言っているのです。

( そう確信できれば嬉しいのですが、この未熟な信仰ではそうもいかないのが現実の私であります、

そして、ぐちぐち言っております。それでも神は私を愛されていることには変わりはないのです。感謝。 )

              

       今日もぐちぐち言いながら神のもとへ行きましょう。そんなあなたを神は待っているのです。

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わが家へ

2024年12月13日 | キリスト教

 

しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。

それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。                                                 
  
                                                 へブル 11章 16節

 

人生とは神の国を目指す旅であり、私たち信仰者は寄留者です。信仰者の本籍は天にあります。

 

それゆえに 神は一点において、私たちに誇りを持ち、喜んでおられたことがあった。

 それは、神が用意してくださっている天の都をあこがれていた、ということです。

 
ピリピ  3:20
「しかし、私たちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待っています」
                   

ピリピ  1:23
「私は、その二つのもの (死と生) の間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。

 実はそのほうが、はるかにまさっています。」                                                                              

                                                                  


ややにちかし あまつわがや こころにえがきて われはまてり  そなえられし わがすまいは かがやける まちのなかにぞある 

                                                   聖歌 364 より

 

 もしよろしければ、聖書をお開きになって、この聖句の文脈をお確かめ下さい。聖書には死後のことも、今の命をどのように生きるかも書かれています。

     聖書は、決して死を待ち望むようには命じてはいません。天国を待ち望むべきであるとごく頻繁に命じています。  

 

                                           マシュー・ヘンリー  

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神に愛された人

2024年12月06日 | キリスト教

だれも自分の身を憎んだ者はいません。かえって、
    これを養い育てます。それはキリストが教会をそうされたのと同じです。
                       
                               エペソ人への手紙 5章29節

 

 「 いまだかって、自分を憎んだ者はいません 」 と聖書は言うのです。

自分を愛して当然です、これを自己愛と言います。ただ、自己愛は行き過ぎると、自己憐美に陥ります。

そしてこれは、とんでもない悪魔に変身してしまうです。

しかし、聖書の言う健全な自己愛は、自分を愛するように自分の隣人を愛しなさいと言う言葉にかかってきます。

そういう意味で、本当に自分が愛され、また、そのような自分自身をそのままで受け入れ愛してくださった方がおられることを知る、

これが本当の自己愛ではないでしょうか。自分を愛せないで、他者を愛することは不可能なことですし、それは自己満足、自己欺瞞です。

父なる神があなたを愛してくださっているのですから、自分を大切にしていただきたいのです。

もう一度言わせてください、あなたは神にとって特別な人なのです。 

 

Ⅰヨハネ  4:10
「 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、

         なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」   

 

    
  「下にいる者に落ちる憂いはない」  ジョン・バニヤン

 

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