「 私はあなたの仰せの道を走ります。あなたが、私の心を広くしてくださるからです。」
詩編 119 編 32節
私たちは 「 広い心 」 を持っいるでしょうか。それとも 「 狭い心 」 を持っているでしょうか。
「 広い世間を狭くして渡る 」 という言葉がありますが、今日は、狭い心とは何かを考えてみましょう。
第一に、それは劣等感で狭くなった心です。劣等感とは、実際のところ何の関係もなく、自分が劣っているとか、
無価値だとか、生きていく自信がないという感情です。
そこから始まる、自己嫌悪、自己否定になってしまうという感情です。要は、自分と何かまたは誰かとを比較する
所にあります。しかし聖書の神はそうは言っておられないのです。それどころかあなたは素晴らしいと言われるのです。
有るすばらしい働きをし、多くの人々に手助けをして助け。人々から本当に尊敬を受けている人がおられました。
そのひとは、おじいさんから背負わされた悪い病気のため、苦しみ、猛烈な劣等感に捕らわれて、世間を最高に狭く
渡る人でした。
第二に、エゴイズムで狭くなった心があります。それは自己中心という神の嫌われる性質のことです。
ともかく自分がみんなの中心でなければならない、そのために人々を押しのけ受け入れないという人のことです。
では広い心とはどんなものでしょうか。第一に、人も自分もありのままに受け入れ愛する心です。
第二に、人をもてなし人のお世話をする、神と人とのために生きる心です。先ほど紹介した人は、ある時近所で開かれた、
キリスト教の伝道集会に出てみました。あまり期待もせずに、人目を忍んではいった集会、それが祝福への門でした。
神はこのかたを受け入れて下さり、この人の心を広くしてくださいました。