「 息あるものはこぞって主を賛美せよ。ハレルヤ。 」
詩編 150編 6節
「 神を賛美することによって、世界の意味が満たされるのであり、神の力の豊かさをほめ歌うことによって
天と地の相異なる二つの声が力強いシンフォニーによる讃美へと一つに結ばれるのである。 」 A・ヴァイザ―
詩編の最初の言葉は、「 アシュレー」 ( 幸いなことよ。) でしたが。
最後は「 息のあるものはみな、主( ヤハ) ほめたたえよ 」で閉じています。
この最後の詩編で、私たちに讃美の総動員をかけています。
どうして聖書は 「 神をほめよ 」「 神を賛美せよ 」 というのでしょうか。
第一は、神にこれほど愛され、イエス・キリストの十字架の血潮と言う代価によって救われた私たちが
「 喜んで 」 いたら、神は本当に喜んでくださるでしょう。しかし、それほど愛している者たちが、うなだれて、
悲しんでいるなら、神も悲しまれるでしょう。
第二の理由は、弱い自分勝手な私たちは、賛美が下手だからではないでしょうか。( テクニック的なことではなく )
神様に祈るとき、ただ、純粋に神を賛美し感謝することによって、今迄の私たちの神に対する姿勢が、
「 どうか、どうか 」 だけだったことが分かります。私たちは、たとえピッコロのような小さな楽器であっても、
ひとり子イエス・キリストまで犠牲にして私たちを赦してくださる神を、心一杯讃美すべきです。
父は私たちの嬉々とし、楽しんでいる子の喜ぶ顔を見たいのです。