「だれが自分の数々のあやまちを悟ることができましょう。どうか、隠れている私の罪をお赦しください。」
詩編 19扁 12節
主に調べていただく祈りです。聖霊が私たちに自分の心の内を示してくださり、
そして自分の道ではなく、主の道に導かれるように祈っています。
ダビデがここで話しているのは、知らずに犯した罪のことです。
私たちは、霊的に鈍くなっていて、罪を罪と認められないものがたくさんあります。
気づいていないところで犯している罪があります。
神さまとの交わりに罪が妨げになってほしくないと願っているダビデは、
知らずに犯している罪に対しても、その赦しを願っています。
松明に ・・ ?
知識と悟りの区別について。
「 知識があるという事は、」 ・・・ 道を照らそうとして、松明を使う事。
「 悟ったとは 」 ・・・ 松明になる事
詩篇139: 23~24で自分で自分の心が分からなくなっているのを認めてダビデが次の祈りをささげています。
「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。
私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。」
詩篇 19:14
「私の口のことばと、私の心の思いとが御前に、受け入れられますように。わが岩、わが贖い主、主よ。」
この祈りを私たちの祈りにしたいと思います。自分が発する言葉において、主に受け入れられるものであるように。
また、心の思いが受け入れられたものでありますように。
情欲、ねたみ、怒りなどの悪い思いを心の中にとどまらせることがないように、お祈りしましょう。