ひとりよりもふたりが良い。共に労苦すれば、その報いは良い。
伝道者 4章 9節
この箇所全体は「ふたりであることの祝福」が述べられています。一人では得られないすばらしさです。
伝道者は「日の下で」ふたりであることのすばらしさを、ひとりぼっちのむなしさと比較しています。
このふたりとは必ずしも結婚する者のことを意味していません。仲間、友人、協力者であっても良いのですが、
特に11節には「いっしょに寝ると暖かい」とありますから、ここでの「ふたり」とは「夫婦」と理解するほうが自然です。
その二人が力を合わせて一つの仕事にあたると、一人でするよりも行き届いてよくすることができ。
しかも、その報いを二人で喜び、楽しむことができるのです。
そして、このみ言葉を私と主イエスに置き換えて考えてみてください。主イエスが私とともにおられるなら、苦労も苦労でなくなります。
その報いは大きいのです。主イエスが私とともにおられるなら、今夜も主イエスに抱かれて、すてきな夢を見て眠れると思えば一人でも暖かいのです。
「もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。」
興味深いことに、二人の話をしているときに三つの撚り糸と言っているところです。
二人がいるところには、二人がもたれあうのではなく、そこに新たな一本が生まれます。
希望という一本、信念という一本、支柱となる一本ができます。そこに二人が絡まり合うことによって強くなることができるのです。
使徒行伝や手紙には、パウロが「私」と書くよりも「私たち」と書いていることは、
ここでソロモンが言っていることに関わります。パウロは、初めはバルナバと、そして途中からシラスと動き、
そして信仰の子であったテモテと動きました。私たちは、自分たちのしている神の働きが決して、
独りのものであると考えてはいけません。共有しているのだという意識と信仰が必要です。
マタイ18:20
「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである」。