「施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせないためである。
そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」
マタイ 6章 3~4節
人前でラッパを吹きながら捧げ物をすることも誇張ですが、
ここの「右の手がしていることを左の手に知られないようにしなさい」ということも、もちろん誇張です。
しかし、それぐらい人目に付かぬところで善行をしなさいということです。そして目的は、隠しているということではありません。
あくまでも目的は、「隠れたところで見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」ということです。
自分の捧げ物が、人に対するものではなく、純粋に父なる神に対するものであるようにしなさい、
人の目という要素が邪魔になるのではあれば、隠れたところで行いなさいということです。
なぜなら、他の箇所では主は自分たちの行いを人に見せなさいと命じているところもあるからです。
「あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、
天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。」マタイ5:16
人々の前で見せるのですが、それが、天の父を私たちの行いを見てその人たちがあがめるようになるためだ、
ということです。はたして、これは神をあがめるようになっていることになっているかどうか、
そうしたことを推し量りながら人々の前での善行は、神に喜ばれます。
隠れた施しが強調されています。その理由は、隠れたところを父が見ておられるからです。
私たちが忘れてしまうのは、父が私たちの生活のすべてを見ておられるという事実です。
誰もいない時、私たちは肉を働かせる機会を作ってしまいがちです。
私たちはともすると自分が人にしてあげたことを、ああもしたこうもしたと言って人に認めてもらいたいという思いがあります。
認められないと不平や不満が一杯になり、時にはその感情が思いもかけない結果に終わることがあります。
すべてのことに細心の注意をもって神に喜ばれる日々を送りたい。
シャローム そして マラナ・タ