「わたしたちは、この舌で父なる主をさんびし、
また、その同じ舌で、神にかたどって造られた人間をのろっている。」
ヤコブ 3章 9節
私たちが身体の調子を崩して病院に行くと、医師から「ちょっと舌を見せてください」と言われます。
舌を見れば身体の調子がどうなっているか分かるように、
霊的な健康の程度も、その人の舌を見れば分かるということです。
「舌」をどの程度制御できるかがキリスト者の成長・成熟の程度を計るバロメーターだということです。
口からでるものは心から出るものです。人の心こそ、つかみ所の無い変幻自在なものはありません。
自分ですらも、どれが自分の本当の心であるか、つかみかねています。
そこには「のろい」から「讃美」まで、なんでもそろっています。
舌を制するには心を何とかしなければならないのですが、自分ではどうにもなりません。
時々刻々、主を求めて、心を明け渡す以外にありません。
ヤコブは言います。人は「神のかたちに造られた」と。もしこの真理を心に留めておけば、
自分が呪っているその相手が傷つくことは、すなわち神ご自身を痛めつけていることなのだ、ということです。
人のことを悪くいうことは、神への恐れがあれば到底できないことなのです。
「言論の自由と言われますが、それは時と場所を選ばず、また相手のことを考えずに勝手気ままに語れる自由ではないはずです。時と場合によっては、沈黙しなければならないこともあるはずです。もし私たちが語る権利と時と場が与えられるならば、それは聞く者に対して恵みを与えるものでなければなりません。」
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