内舘牧子さんのエッセイ「女盛りは不満盛り」を読んでいる。
中に「理由がわからない」と言う一編があった。
数人の友達と飲んでいたら、一人が「ある友人が、私を避けるようになったが、理由がわからない」と話し出すと、他の人も「自分もそんな経験がある」と言い出し、内舘さんもしかり。
大学時代の友人だそうだ。
私も最近、同じような経験をした。
20代の頃習い事で知り合ったAのことだ。
ランチに行ったり下らぬおしゃべりをしたり・・・互いの家にも行き合う数少ない友人の一人だった。
どちらも親を抱えているので、都合がつかず誘いを断ったりドタキャンしても悪く思わないようにしようと話していたし、実際そうなったこともあった。
2019年の7月だった。
Aからランチの誘いがあったが、母の用事で断った。
A「了解!もうお盆もくるし9月になったら又ランチしようね」
日々に追われAの事を思い出したのは10月になってからだった。
不定期に週2~3日仕事をしているAなのでLINEをしてみた。
「仕事ですか?」
「そうです」
「あ、仕事ならいいんよ。ランチでもと思ったものだから。お疲れ様です。」
「お疲れ様です」
ただこれだけだけど
これだけだから気になった。
何?この素っ気なさは?
何時もなら都合がつかなくても直ぐ電話がかかり(自営なので誰にも遠慮がいらない)彼女の近況などを長々と聞くことになるのに。
おかしい。
様子をみることにした。
それっきり。
その後のお正月の年賀状は、儀礼的なのが来た。
けれど「なぜ?」と聞くことはしなかった。
なぜそれなりのアクションを起こさなかったのか
それは、
彼女に自律神経失調症傾向があり、ある人が気に入らないとなると、とことん嫌いになることを知っているからだった。
「そのくらいの事をそれほど悪く言う?」取るに足らない事が彼女の許せないことになってしまう。
何人の人への怒りを聞いてきただろう。
多分、今度は私のことが気にいらなくなったのだろう。
きっかけとなるようなことが、全く思い当たらない。
傷つけた人はその事をわかってないと言うが、
単に嫌いになったのだろう。が、当たっていそう。
今年の年賀状、私は出したが、返信はなかった。
ハッキリしたからそれでいい。
「去るものは追わず」だ。
内舘さんは、ずっと年賀状を出していたそうだ。(相手からはない)
ある時その友人のお母さんから「お気づかいなく」の丁寧な年賀状が来て翌年から止めたそうだ。
それでも万が一「復縁」したら、学生時代に通っていた店で飲むのだと決めているらしい。
私は、楽しい時間をいっぱい過ごし、淋しさはあるけど、どこか解放された感もある。
偶然何処かで再会しても社交辞令で終わるだろう。
人生は短く、他に気にかけることがありすぎる。