豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

ラーマクリシュナ

2014-04-05 16:01:57 | 日記
今日は土曜日なので、もう一丁!


いやあシャンカラさんは、やっぱり凄いですね~。

梵我一如の境地が日常生活と矛盾しているのは、無明だからである!


無明、つまり明かりがないのだね。

明かりは神から照射されて心に反響して全世界を形作っているのでしょうか。

逆かもね???


しかし、この聖なる光を感得するには、自我を滅さなくてはならない。

滅するって怖い表現だから、分離しなくてはならない。

誰が? 分離するのか(爆笑)


さて、お次は超有名人らしいラーマクリシュナさんであります。

僕は不勉強で、この大博識者のことを知りませんでした。

情けない。

基本が出来ていないのに飛躍しようとしても無理なのであります。

正確で確実な基礎的知識が必要なのです。


基礎ですよ!


人はすぐに妄執しちゃうようだからね(爆笑)



解脱の手段は知識である!!!!



 ラーマクリシュナ               
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 ラーマクリシュナ(Sri Ramakrishna Paramhansa)、本名ガダーダル・チャットーパーディヤーエ(Gadadhar Chattopadhyay)1836年2月18日 - 1886年8月16日)はインドの宗教家。「シュリ・ラーマクリシュナ・パラマハンサ」と呼ばれるが、「シュリ」は「聖」に当たる称号で、ラーマクリシュナはインドの神、ラーマとクリシュナの合成で、修行者・ヨーギー(ヨーガ行者)としての名である。パラマハンサはヒンドゥー教の神話に登場する霊性の象徴である空想上の天上の聖なる白い鳥を意味する、聖者に対する尊称。
 ラーマクリシュナは近代の代表的聖人と呼ばれ、肖像画には光背を持つ姿で描写される。イギリスの植民地支配が経済の貧困を強め、西洋から流入する文化によって伝統文化が蔑まれた19世紀のインドにあって、インド伝統の豊かな精神文化を体現し、インド人に誇りを取り戻させ希望を与えたという。
 思想は強力な神秘主義と宗教多元論およびシャンカラのアドヴァイタ・ヴェーダーンタ(不二一元論)哲学を根本としている。現象世界はマーヤー (幻影)でありブラフマン(神)だけが実在とし、解脱の手段は知識であるという。


 生涯

 幼少時代

 ガダーダルは、西ベンガル州フグリー県のカーマールプクルという豊かな自然に囲まれた村に生まれた。家はバラモン階級で、保守的で真面目な父と、気立てがよく人に尽くすタイプの母は2人とも宗教的に敬虔な人だった。
 彼は5歳のとき村の学校に通い出した。学校では粘土細工と絵が得意だったが、算数は苦手であった。記憶力は優れており、物語を暗記しては人に聞かせるのが好きな陽気な少年だった。周りの人々にも彼の話は人気があった。
 その後、ガダーダルは6歳の時に最初の神秘体験をしたと主張するようになった。
 やがて、彼が7歳のとき父が死亡すると、彼は兄の手伝いとしてコルカタ(カルカッタ)郊外のダクシネーシュワル・カーリー寺院で働くようになったが、ある日、そこに祀られているヒンドゥー教の血と酒と殺戮を愛する女神カーリーの前で瞑想を繰り返したところ、カーリーの出現を見た、と主張するようになった。
 この経験後、彼のサマーディを行う頻度は増していった。


 ヨーゲーシュワリーとトーター・プリーに師事

 インドには神と接するための様々な行法が伝わっているが、彼はそういった方法を伝えられることもなく独学で神と接したのであり、このことは彼の希有な神秘体質を物語っている。しかし、やがて師を持たずに勝手に修行した副作用が現れてきた。燃えるような感覚や底知れぬ空腹感が襲いかかり、ガダーダルを悩ませた。そんなころ、シャクティ派の女性行者が寺院にやってきた。この女性はガダーダルを一目見るなり彼に声をかけた。この女性はヨーゲーシュワリーといい、2人はすぐに意気投合した。ガダーダルは異常な体験や身体のことを打ち明ける。ヨーゲーシュワリーの方はガダーダルの神秘体験を認め、彼が神の化身であると確信するようになる。
 インドでは神が人の姿をとって現れるという伝統的な信仰がある。しかしある人物が神の化身であると認められるには論争を経ねばならない。このことからガダーダルが神の化身であることを確かめるための公開論争が行われることになった。論争相手として呼ばれたタントラ派の行者は神の化身を主張する側を論破しようと意気込んでやってきたが、ガダーダルと接すると、彼は化身であると論争の前に認めてしまった。こうして信仰のあまりの熱心さや神秘体験から世間から変な目で見られがちだったガダーダルは、無制限な神の探求を社会的にも認められることになる。
 そして彼は1861年からヨーゲーシュワリーについてタントラ派の修行をするようになる。タントラ派の行法は64種あると言われているが、数種類修めるのに一生をかける人もいるこれらの行法を彼は総なめにしてしまい、宗教的天才ぶりを発揮する。更に別の師についてヴィシュヌ派の行法も学び、クリシュナと一体化する体験もした。
 しかし以前と決定的に異なる体験をしたのは1864年の終わり頃、ヴェーダーンタ学派の師、トーター・プリーがダクシネーシュワルを訪れ、彼の下で修行に専念したときであった。人格神ではない無相のアートマンを認識するのは、人格のある神を熱愛しているガダーダルにとっては辛いことであった。精神を集中すると、どうしてもカーリーの優しく美しい姿が現れてしまう。彼は意を決して全力で瞑想し、カーリーの姿が現れると「精神の剣」で真っ二つに切り裂いた。そして遂にニルヴィカルパ・サマーディ(無分別三昧)に入った。その境地について、彼は自我も無ければ空間も無い絶対無分別の状態、と主張している。以後、ガダーダルはトーター・プリーからもらった出家名、ラーマクリシュナを名乗るようになる。
 1872年頃、以前に婚約していたけれども、霊性修行のために離れて生活していたサーラダー・デーヴィーをカーリー寺院に迎え入れる。以後彼女はラーマクリシュナや弟子たちに献身した。


 教祖として

 ラーマクリシュナはその後もイスラム教徒やキリスト教徒についてそれぞれの教えを受け、信仰と修行を経験した。そしてキリスト教のイエスに聖母マリア、イスラム教のアラー、仏教の空などと接触する経験を持ち、全ての神と宗教は一に帰すということを確信する。
 やがてラーマクリシュナの教えを聴くために、ある程度の人が集まった。その中にはのちにラーマクリシュナの高弟となり、教えを引き継ぐことになるナレーンドラナート・ダッタ、のちのヴィヴェーカーナンダもいた。著名な信奉者として他に、ブラフモ・サマージ代表のケーシャブ・チャンドラ・セーンやパンディット(学者)のイーシュワラ・チャンドラ・ヴィジャーサーガルなどがいた。主要な弟子の1人で、地元の高等学校の校長を務めていたマヘーンドラナート・グプターは、ラーマクリシュナの言行を書きとどめ『不滅の言葉(コタムリト)』として残した。晩年にはラーマクリシュナは神の権化であると信奉する者も増えていった 。 1886年8月16日、コシポルのガーデンハウスにて逝去。死因は喉頭がんであった。
 ヒンドゥー教の最高神の1人ヴィシュヌは10種類の化身となってこの世に現れるとされるが、現在のベンガル人はそれに加え11番目をチャイターニヤという聖人、そして12番目をラーマクリシュナとして崇拝の対象としている。


 思想

 基本教義

 多くの宗教を遍歴したラーマクリシュナの教えは非常に寛容なものである。世の中の様々な宗教は究極の一なる神がそれぞれの時代と人に合わせて現れたもので、各々が意義を持つ。究極の一に至るために人は自分に合った道を行けばよいという。 彼は「宇宙の母なる神は子供たちのお腹に合うように料理を作って下さる」という喩えを用いている。子供の消化力や好みに合わせて母親が色々な料理をこしらえるように、神は国と時代と容器(人の理解力)に応じて色々な宗教を作るということである。
 神は有形か無形かという論争などもラーマクリシュナにとっては上辺のつまらぬ対立に過ぎない。ブラフマンは無相無形であるが、人間の信仰の力、神への愛に応じて有形の人格神となって現れる。だから一見神は様々な形をとっているように思われるのである。ある1つの形をとった神が正しく、他の形が間違っているといったものではない。神の様々な形は神の人間への愛の現われなのだ。無性のブラフマンを知るためには自我を完全に滅却する必要があり、普通の人間には難しい。一方、有形で人格を持つ神の方は親しみやすい。人の個性は様々であるから、人と神との繋がりもまた様々である。神と繋がるための具体的な手段としては宗教儀式や偶像崇拝がある。迷信として非難される偶像崇拝もラーマクリシュナは「真珠を育成するために必要な母貝」として称揚する。それによって神を愛せるならば偶像大いに結構とするのである。
 神に近づくための方法は様々とはいえ、神以外のものに目が向いているようではことは始まらない。世俗のことに夢中になりがちな人々にラーマクリシュナは盛んに警告する。特に金と女に心を奪われているものを非難する。人望、学問、その他細々としたことも神に比べればくだらないことばかりだという。絶対の価値を知った人間にとって、相対的な価値はもはや無意味ということだ。
 世界はすべて「神」そのものであるから「私」などというものは本当はないという。しかし我執によってそれが分からなくなってしまう。「私のもの」「私の行為」という無知から来る考えによって。私とは本来神の道具のようなものに過ぎないとラーマクリシュナは説く。
 神は全ての人のうちにいる。しかし全ての人が神のうちにいるわけではない。これが人々の苦しむ理由である。「私」と「神」を分離している無知が「私」を苦しめるのだ。しかし肉体として生きる限り「私」を完全に消すのは難しい。ならばせめてその「私」は神に委ねよとラーマクリシュナは述べる。神に全てを委ね、神を愛するバクティ・ヨーガの道が普通の人間にとっては最も易しい。自己を制して欲望を超越しようとする他のヨーガは強い精神を要する困難なものだ。バクティは意識的に欲望を抑えるのではなく神への愛に夢中になって感覚の楽しみを忘れるのである。バクティは自然に欲望を食いつくす。
 神の下で休らっているラーマクリシュナは楽観的だ。世界は神の遊戯であるという。神は何かの目的があって世界を造ったのではなく、遊びとして世界を造った。善と悪、幸と不幸などの対立があるのもゲームを続けるためということになる。あらゆるものは神の働きなのだから、全てを受け入れる。それが神である限り、世は幻だといって切り捨てたりしない。彼にとって神の遊戯活動も永遠不動も同じものであり、皆ありがたく戴くべきものである。「皆戴かないと目方が減るもの」と彼は言う。
 現世志向というわけでも、来世志向というわけでもない。ラーマクリシュナはただひたすら神志向であったといえる。神だけが実在で、他は全てはかない幻。どんな形であってもよいから神を信じ、愛し、我が物にすることだけに心を注ぐべしというのが彼の核心的な教えであった。
 ラーマクリュシュナは、他宗教への寛容さを徹底し、「普遍宗教(the universal religion)」という考えに行き着いている。一度の人生の中で、二つの宗教を信じるという経験をする人は稀である。多くの人は、自分が信じる宗教を是とし、他の宗教については全く知らないといって良いにも拘らず、自分の信じる宗教が教える神や仏だけを最高のものとし、他人の信じる神や仏を一段劣ったもの、場合によっては、間違ったものとして排斥しあい、多くの争いをもたらしてきた。こうした現実を踏まえ、様々な宗教が目指すものは一つの同じ真理や究極の実在で、異なる道を進むもののどの宗教も真実である、と考えるのが「普遍宗教(the universal religion)」である。この考えを要約すると
 1.宇宙の根本神は万能であるからして有形、無形のいずれの相をとっても存在できる。
 2.時代・地域・民族の違いに相応した形式と教えを通じ、神は自己をさまざまに顕現する。万神は唯一神の具現にして、万教は一真理の多彩な表現である。
 3.人は自らの信じる宗教を通じて神と一体になり得る。その時、自分の信じる神のみが正しく、他の宗教は正しくないとする考え方は誤りである。信者が自分の宗教の正しさを信じるのはいいが、他の宗教についてはわからないというのが最も自然な態度であろう。
 4.自分の宗教を通じて神と合体する方法や道はいろいろある。しかし、方法や道は手段であり、目的や到達点である神そのもとと混同してはならない。
 5.どの宗教にも誤りや迷信があるかもしれないが、神や究極の実在を求める気持ちがあればよい。


 参考文献

 堀内みどり 『ラーマクリシュナ』 <Century Books 人と思想 157>清水書院 2011年 ISBN 978-4-389-41157-2
 マヘンドラナート・グプタ、田中嫺玉・奈良毅共訳 『不滅の言葉(コタムリト)』 三学出版 1980年188頁
 マヘンドラナート・グプタ、田中嫺玉・奈良毅訳 『不滅の言葉(コタムリト)』 中公文庫
 マヘンドラナート・グプタ 『ラーマクリシュナの福音』(Swami Nikhilananda 英訳 "The Gospel of Sri Ramakrishna" 1942年) 日本ヴェーダーンタ協会 1987年12月24日 1135頁
 田中嫺玉 『インドの光 聖ラーマクリシュナの生涯』 中公文庫 1991年7月 264頁
 奈良康明、『ラーマクリシュナ』 <人類の知的遺産53>講談社
 ロマン・ロラン、宮本正清訳 『 ラーマクリシュナの生涯』 <ロマンロラン全集15>みすず書房
 中村元 『現代インドの思想』(中村元選集 - 決定版、第32巻) 春秋社、1997年6月、538頁
 『ラーマクリシュナ僧団の三位一体と理想と活動』 "The Holy Trinity and the Ideals and Activities of The Ramakrishna Order"  日本ヴェーダーンタ協会 2001年6月3日 /改訂版 2007年6月10日  130頁
 Colin Wilson The Outsider (Victor Gollancz,London 1956)
 コリン・ウィルソン 『アウトサイダー』福田恆存・中村保男訳、紀伊國屋書店、1957
中村保男訳、集英社文庫、1988(改訳版)/中公文庫(上下) 2012.12

シャンカラ

2014-04-05 15:07:58 | 日記
こんにちは!


釈迦に就いての知識は、如何でしたでしょうか。


ああ、釈迦でしょ。

もう釈迦のことなら十分知っていると言われている方!


意外に知らないことの方が多いですよね。

僕もそうなのです。

なんとなく不正確で不確実な知識と言葉を持っているから、理解が進まないのであります。


悟りが証りであったり、菩提樹の下で瞑想ではなく、観想であったり。

達した境地が降魔成道であったりするのです。


そして釈迦、最後のアドバイス自灯明、法灯明が『欲と憂い』とを捨てるためにあったのです!

たった少し、学ぶだけで、この理解の違い。


しかも自灯明は、身体、感覚、心、諸法を観て、よく気をつけていることなのです。


すると証りが発動する(爆笑)



さて、本日はシャンカラさんです。

この方は、ほんの数日前まで知らなかったのです。

博士の記事を投稿してから知ったのです。

ラマナ・マハルシ、ニサルガダッタ・マハラジ、アジズ、フーマン等々、諸々の賢者、聖者に連なる大哲学者。

この人は学んでおかねばいけないでしょう。

たぶん、基本です。



一切の事物は実在しない!



  シャンカラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 初代シャンカラ(Adi Shankara、700年頃-750年頃)は、マラヤーリ人の8世紀に活躍した中世インドの思想家。梵我一如思想、不二一元論(アドヴァイタ)を提唱した。


 概略

「神の御足の教師」として知られた彼は、アドヴァイタ・ヴェーダーンタ哲学の教義を強化した最初の哲学者であった。彼の教えは、原因を必要とせず存立するところのブラフマン(梵)と、アートマン(我)は同一であるという主張に基づいている。スマートラの伝統において、インド神話ではシャンカラはシヴァ神の異名である。
 シャンカラは、講話と他の哲学者との議論を通して自身の教えを伝達するため、インド各地を旅行した。彼は、ポスト仏教としてのヒンドゥー教とアドヴァイタ・ヴェーダーンタ哲学の布教の歴史の発展において、重要な役割を担う4つの僧院を設立した。
 今日においても全てが現存しているというサンスクリットで書かれた彼の著書は、アドヴァイタ(非二元性)の教義を確立することに関するものである。しかし、300点を超える著作がシャンカラ著に帰せられているものの大部分は偽作と考えられている。主な著作は、ヴェーダーンタ派の根本聖典に対する現存最古の注釈『ブラフマ・スートラ注解』である。このほかシャンカラの真作と考えられる作品には『ブリハッド・アーラニヤカ』など、古ウパニシャッドに対する注解がある。シャンカラは教えを説く際に、ウパニシャッドや他のヒンドゥー教の聖典の広範囲から引用をおこなった。独立した著作物で彼の真作と思われるものとして『ウパデーシャ・サーハスリー』がある。これは、サーンキヤ学派や仏教に近い立場からの批判に対する反駁を、その内容としている。
 シャンカラはヴェーダーンタの代表的な哲学者であるが、その思想は仏教との親近性が高いといわれる。歴史的にみれば、彼は仏教哲学をヴェーダーンタ哲学に吸収する役割を担ったともいえる。


 生涯

 シュリンゲーリのシャンカラ派総本山伝説では、インド半島南部のケララ州カーラディの地でナムブーディリというバラモン階級の子として生まれたといわれている。幼少時に父を亡くし、出家してゴービンダに師事した。そののち、上述のように、全インドを遊行のために旅しており、そのなかでパドマパーダ、ハスターマラカ、トータカーチャーリヤ、ヴァールティカカーラという4人の弟子を得た。
 シャンカラは、東西南北に4つの座を設け、4人の高弟をそれぞれに配置した。その座は、現在は「シャンカラーチャーリヤの座」と呼ばれ、ヴェーダーンタを体得した人でないとその座につけないので、空座になることも多い。また、その座についた人をシャンカラーチャーリヤ(アーチャーリヤは「先生」の意)と呼ぶこともある。直訳すると「シャンカラ(の)先生」となり、初代のシャンカラを表すときにはアーディ(「初代」の意)をつけて区別する。
 シャンカラは正統的なバラモン教の歴史のなかで初めて僧院を建立した人物である。ヴェーダーンタ派の僧院は現在インドの各地にあるが、総本山はカルナータカ州のシュリンゲーリにあり、そのほか東部のプリー、西部のドヴァーラカー、ヒマラヤ山脈地方のバダリナータ、タミル・ナードゥ州のカーンチに主要な僧院が建てられている。
 伝説ではヒマラヤ地方のケーダールナータの地で入滅したといわれている。


 思想

 ヴェーダーンタ哲学の不二一元論の立場を確立したインド最大の哲学者シャンカラは、原因を必要とせず存立するところのブラフマンと、個人の本体であるアートマンは本来同一であると主張した。上述のように、仏教思想からの影響を強く受け、「仮面の仏教徒」と称されることがある。シャンカラが目ざしたものは輪廻からの解脱であり、その手段は、バラモン教の経典『ヴェーダ』の注釈書(奥義書)である『ウパニシャッド』の説く宇宙の根本原理であるブラフマン(梵)と個体の本質であるアートマン(我)とは本来は同一であるという知識である。現実の日常経験がこの真理と矛盾しているのは、この知識を会得しない無知(無明)によるとし、肉体をも含めた一切の現象世界は無明によってブラフマンに付託されたものにすぎないものであって、本来実在しないと説いて幻影主義的な一元論(不二一元論)を唱えた。不二一元論は現代にいたるもインド思想界の主流をなす教説として知られている。


 出典

 末木文美士 『日本仏教史-思想史としてのアプローチ-』 新潮社〈新潮文庫〉、1996年9月。ISBN 978-4-10-148911-7。
 前田専學 「シャンカラ」『日本大百科全書』 小学館(編)、小学館〈スーパーニッポニカProfessional Win版〉、2004年2月。ISBN 4099067459。
 日本語文献[編集]前田専学訳注 『シャンカラ ウパデーシャ・サーハスリー 真実の自己の探求』 岩波文庫、1988年
 『インドの「一元論哲学」を読む シャンカラ「ウパデーシャサーハスリー」散文篇』宮元啓一訳・著、<シリーズ・インド哲学への招待>春秋社、2008年
 湯田豊訳・著 『シャンカラ 原典翻訳および解説』 北樹出版、1993年
 島岩 『シャンカラ 新書.人と思想』 清水書院、2002年
 前田専学 『ヴェーダーンタの哲学 シャンカラを中心として』 <サーラ叢書24>平楽寺書店、1980年
 ルドルフ・オットー 『西と東の神秘主義 エックハルトとシャンカラ』 華園聰麿ほか訳注、人文書院、1993年


 専門文献

 中村元 『シャンカラの思想』 <インド哲学思想第5巻>岩波書店、1989年
 『決定版 中村元選集.第27巻 ヴェーダーンタ思想の展開』 春秋社、1996年
 湯田豊訳著 『ブラフマ・スートラ シャンカラの註釈』 上・下、、大東出版社、2006-07年
 金倉円照訳著 『シャンカラの哲学 ブラフマ・スートラ釈論の全訳』 上・下、春秋社、1980年.1984年
 前田専学編 『インド中世思想研究』 春秋社、1991年