豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

消えないわたし

2014-04-18 15:55:14 | 日記
こんちわー。

仕事前に考え込んで、瞑想して、手伝いあんまり出来てない僕であります。


なんか理解が進まないから瞑想してみたら、凄い想念の固まりが(苦笑)

僕は、これか?

これか?

これなんかー!?

みたいに断定したくて仕方がない自我君(爆笑)


心に虚空があって、そこに想念が様々なものを反映させている。

そして、この何れかに自己同一化して、これが僕だとか言うわけですが、しかし、僕が消え去らない。


なぜ消え去らないのか分かりました。

消え去らなくてはいけない僕は、身体=僕という想念体の僕なのですね。


心の虚空に、あらゆる存在が明滅して、それを意識光が照らし出している。

何れに分断された者も僕ではない。


至福というのは、形有る世界(映像)、形のない世界(意識)に共通する状態を指す言葉ではないかと推測しました。


観る者が心に溶け去るというのは、心の虚空に溶け去る。


この虚空というものがイリュージョンの世界で、ありとあらゆるものが存在しているにも関わらず一である。

この一を見ているのが意識である。

この意識が悩み苦しむのであるが、この虚空の中に自己を探すからである。

心の虚空全体が僕なのだ。

しかも、この虚空に描かれた真我の光の影を意識しているのも僕なのだ。

つまり、存在-意識-至福の分断されない、ありとあらゆる一切すべてが、僕である。


この僕は、ハッキリ言って、理解不能(爆笑)

つまり思考で理解できるような代物でもないし、言葉で表すこともできない。


理論的には真我の光-心の虚空-意識は、すべて別々で展開していると考えると分かりやすいのですが、そうじゃなく、全て同時なのです。

しかも、すべてが一つなので、僕と認識できる者はない。

無いにも関わらず、常にある。


これは発狂してしまいますね(爆笑)


有ると無い、カオスの世界が、変幻無限の世界が、心の虚空にあって、これが明滅、変転しているのだが、そのどれもが区別無く、意識に照らされた自分であって、分離無く、しかも、祝福されている。

この祝福の『何とも言い表し難い』感覚は、創造の奇跡の内に消え去ることで実現されるのではないだろうか!?


それでも『私は-在る』

私は-在るを消去することは絶対に不可能だ。

これが、絶対者だ。


ぜったいに、きえないのだ!!!!