※妻の『ダラックマのブログ』も一緒にお読みください。
※豊田真大の自伝『超個人的疑問』はこちらです。
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想念の囁きに満たされた、ブラックホールで元気に考えている皆さん!
おはようございます!
いきなりですが真実を言いますと、想念と罪悪感が、あなたなのです(爆笑)
そして僕なのです。
それが消えたら、みんな同じ存在なのです。
まあ要するに僕たちは過去の『記憶』以外は同じ存在なのです。
『苦しんだ、または熟慮した記憶』に拘っている強さが、自我の強さなのですw
まあもちろん遺伝による身体の違い、気質の違いもありますよ。
でも、これは実は自分の乗り物なのです。
閃きという『理解機能』がそこに働いていて、この閃き=自己は、みんな同じなのです。
そして心=宇宙は、本来、全員共通の愛である至福なのですが、想念と罪悪感が、そこから離れさせている。
これが、遺伝による身体の違い、気質の違いに『閃き』がくっついているから起こってくる。
のです。
なんと、その遺伝された身体、気質はプレゼントであって、自分ではないのです。
『宝船』なのです。
赤ちゃんを見てください。
3大欲求を解放しまくりですよ、あの人たちは。
3大欲求とは、もちろん、食う、寝る、やるです。
しかし、彼らは、なんと、
たるを知っているのです。
たるです。
足りているのです、満足しているのです。
ギャーと泣いて、ミルク飲んだら忘れてるんですよ(爆笑)
で、また困ったらギャーと泣く。
これです。
これが、想念が囁いたり、罪悪感でいっぱいにならない頃の僕たちなのです。
いちいち考えずにギャーと泣くのです(爆笑)
何が違うのか。
それは『自分がいるか、いないか』の違いなのです。
赤ちゃんには想念も罪悪感も、まだないのです。
もちろん赤ちゃんにしても、苦しんだ記憶は徐々に形成されつつあります。
それで時が経つに従って熟慮するようになり『賢明』になっていくのです。
遺伝した身体の違い、気質の違いもあります。
それでも、まだ想念=罪悪感が芽生える前なのであります。
腹がいっぱいになったら泣き止むのが、子供なのに、腹がいっぱいになったら『明日』はもっとうまいもん食べたいと『想念=俺』が言うのが大人なのです(爆笑)
この想念=俺が働いた状態で、何か、至福=愛に反することをすると罪悪感が芽生えるのです。
なぜなら苦しんだ記憶からくる『熟慮』というものが、大人には働いているからです。
生きるために、赤ちゃんよりも、賢明になっているのです。
では、なぜ、あなたには罪悪感があるのでしょうか?
神に対する言い訳が、心の中で燻っているのはなぜなんですか?
食べなきゃ生きていけないから、食べるのは当たり前です。
また寝なければ、これも、死んでしまいます。
性欲も無ければ、子孫も残すことができません。
愛情の交感もできませんので、もったいない話です。
さあ、なぜ罪悪感があるのでしょうか!?
なぜ、あなたは、生きることを嫌うのでしょうか?
なぜなら、そこには『至福』がないことを最早知っているからなのです。
自分本来の至福が、生きることに伴っていないことに嘆いているのですよ!
実は、これ、超絶重要な問題なのであります。
この問題が、要するに『金と女』もしくは『男と金』に纏わる、すべての原因なのです!
悪魔と神と人間のドラマなのであります。
わかりやすいように、イメージに還元して書くと、
悪魔とは『想念』です。
神とは『良心』です。
人間とは『理解』です。
これはほんとうではありませんが、なんというか真実の『代弁者』なのです。
罪悪感が生まれるのは、神が悲しんでいるからなのです!
神が悲しむのは『至福=愛』から『理解』が遠ざかっているからなのです。
『理解』が『悪魔』に近づいていくと、神は悲しんで『罪悪感』が生まれているのです。
そして、その反対に、『理解』が『良心』に近づいていくと、悪魔が神を恐れて『想念』が生まれるのです。
この敵対の鋭さは、真の人間が、つまり『理解』が成長するに従って強くなります。
もっと単純化すると『感覚的快楽』と『感情的愛』の対立なのです。
『一瞬の快楽』と『永遠の至福』とが喧嘩をしているのです。
人間は、その中間で、どちらに行くことも赦されて、自由に楽しんでいる。
この、一方に傾くと『強烈な個性』となって悪魔的人間が徐々に形成されていくのです。
まさにベルゼバブ(爆笑)
そしてまた、一方に傾くと『放棄された個性』となって、徐々に聖なる人間が形成されていくのです。
悪魔も神も、絶対にあきらめません。
遂に、ある日、神の悲しみは限界に達し、放心するのです(爆笑)
つまり罪深すぎる人ほど絶望しやすいとも言えるのであります。
だから悪人正機説があるのでしょう。
ここまで崩壊しても自分=悪魔を手放せない人が(つまり放心しない人が)死後、どうなるかは想像にお任せします(爆笑)
まあ、それはいいとして、想念と罪悪感があるということは、まだ人間として完成していない証拠なのです。
もちろん僕もありますよ(爆笑)
しかし、これはチャンスでもあります。
悪魔(想念)が囁くたびに、神(良心)が勝つように理性(理解)を働かせればいいのです。
これは単に経験の問題なのです。
何をするときにも至福と感謝を味わい続けるようにすれば、悪魔は『たる』を知るのです。
目の前の事実から逃げるのが悪魔=想念です。
明日はとか、このあとでとかやつらは言うのです。
また昨日はとか、あのときはとかやつらは言うのです。
しかし、とにかく『いまには愛はない』とね(爆笑)
こうして連想が今、この目の前の真理=至福から遠ざかると、不満が生まれて、感覚的快楽へと導かれる。
悪魔はニヤリと笑って、その餌を食べるのです。
しかし『理解』、つまり人間は何もおいしくないどころか、逆に神の悲しみを増して『罪悪感』に苦しめられているのです。
つまり、あの可哀想な弱っちい悪魔くんに、自分を差しだしてしまったのです!!!!
知っている人は、まあ、離れているのです。
ああ、また悪魔のヤツがペチャクチャしゃべっているなと客観的に冷静に見れるのです(爆笑)
こちらは平然と『囁き』を無視して、食う、寝る、やるをしてあげるのです。
ああ、餌の時間だねと(爆笑)
この時、感覚的快楽は虚しくなっている。
一時的快楽は、ほんとうに、すべてが虚しいのです!
単に生きるために必要だから、悪魔に餌を与えてやっているのです。
もはや想念という悪魔は、主人からペットになったのです(爆笑)
勝利した『理解』は悪魔を憐れんで、こう言うでしょう。
お前は、単なるアホ! とね(爆笑)
まあ猫を飼っているようなものだと思えばいいでしょう。
正に、真に、動物なのですから、やつらはね。
人間身体という動物なのです。
この動物は人生という貴重な冒険をするには欠かせないので、大切にしないといけませんが、悪魔は、それを利用して調子に乗っているのです。
調子に乗る想念と罪悪感なのです。
さあ、正体を見破りました!
これで我々、人類の完全勝利です。
グランドクロス輝く今日、遂にやりました、あとは面倒を見てあげるのみです。
平然と無視して、必要なものを、与えてあげるのです。
これが節制です。
食事と、睡眠と、会話を節制しろとラマナ・マハルシも言っています。
悪魔の与えるものは、常に、一時的だからです。
自分を明け渡す価値など鐚一文もないのです!!!!
悪魔君、君は今日から愛くるしいペットになったのだと言ってあげましょう。
「ニャー」可愛らしく鳴くでしょう(爆笑)
そうしたら悪魔君も愛してあげるのです。
節制しながらも、大切なものを守ることもできる。
大切なものは単に至福、単に真我です。
想念と罪悪感は、もはや、自らを支配する諸要素ではなくなっているでしょう。
虚しいやつらなのです!!!!
しつこい?(爆笑)
人気ブログランキングへ←ペットの悪魔君、さあ、餌の時間です笑
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想念の囁きに満たされた、ブラックホールで元気に考えている皆さん!
おはようございます!
いきなりですが真実を言いますと、想念と罪悪感が、あなたなのです(爆笑)
そして僕なのです。
それが消えたら、みんな同じ存在なのです。
まあ要するに僕たちは過去の『記憶』以外は同じ存在なのです。
『苦しんだ、または熟慮した記憶』に拘っている強さが、自我の強さなのですw
まあもちろん遺伝による身体の違い、気質の違いもありますよ。
でも、これは実は自分の乗り物なのです。
閃きという『理解機能』がそこに働いていて、この閃き=自己は、みんな同じなのです。
そして心=宇宙は、本来、全員共通の愛である至福なのですが、想念と罪悪感が、そこから離れさせている。
これが、遺伝による身体の違い、気質の違いに『閃き』がくっついているから起こってくる。
のです。
なんと、その遺伝された身体、気質はプレゼントであって、自分ではないのです。
『宝船』なのです。
赤ちゃんを見てください。
3大欲求を解放しまくりですよ、あの人たちは。
3大欲求とは、もちろん、食う、寝る、やるです。
しかし、彼らは、なんと、
たるを知っているのです。
たるです。
足りているのです、満足しているのです。
ギャーと泣いて、ミルク飲んだら忘れてるんですよ(爆笑)
で、また困ったらギャーと泣く。
これです。
これが、想念が囁いたり、罪悪感でいっぱいにならない頃の僕たちなのです。
いちいち考えずにギャーと泣くのです(爆笑)
何が違うのか。
それは『自分がいるか、いないか』の違いなのです。
赤ちゃんには想念も罪悪感も、まだないのです。
もちろん赤ちゃんにしても、苦しんだ記憶は徐々に形成されつつあります。
それで時が経つに従って熟慮するようになり『賢明』になっていくのです。
遺伝した身体の違い、気質の違いもあります。
それでも、まだ想念=罪悪感が芽生える前なのであります。
腹がいっぱいになったら泣き止むのが、子供なのに、腹がいっぱいになったら『明日』はもっとうまいもん食べたいと『想念=俺』が言うのが大人なのです(爆笑)
この想念=俺が働いた状態で、何か、至福=愛に反することをすると罪悪感が芽生えるのです。
なぜなら苦しんだ記憶からくる『熟慮』というものが、大人には働いているからです。
生きるために、赤ちゃんよりも、賢明になっているのです。
では、なぜ、あなたには罪悪感があるのでしょうか?
神に対する言い訳が、心の中で燻っているのはなぜなんですか?
食べなきゃ生きていけないから、食べるのは当たり前です。
また寝なければ、これも、死んでしまいます。
性欲も無ければ、子孫も残すことができません。
愛情の交感もできませんので、もったいない話です。
さあ、なぜ罪悪感があるのでしょうか!?
なぜ、あなたは、生きることを嫌うのでしょうか?
なぜなら、そこには『至福』がないことを最早知っているからなのです。
自分本来の至福が、生きることに伴っていないことに嘆いているのですよ!
実は、これ、超絶重要な問題なのであります。
この問題が、要するに『金と女』もしくは『男と金』に纏わる、すべての原因なのです!
悪魔と神と人間のドラマなのであります。
わかりやすいように、イメージに還元して書くと、
悪魔とは『想念』です。
神とは『良心』です。
人間とは『理解』です。
これはほんとうではありませんが、なんというか真実の『代弁者』なのです。
罪悪感が生まれるのは、神が悲しんでいるからなのです!
神が悲しむのは『至福=愛』から『理解』が遠ざかっているからなのです。
『理解』が『悪魔』に近づいていくと、神は悲しんで『罪悪感』が生まれているのです。
そして、その反対に、『理解』が『良心』に近づいていくと、悪魔が神を恐れて『想念』が生まれるのです。
この敵対の鋭さは、真の人間が、つまり『理解』が成長するに従って強くなります。
もっと単純化すると『感覚的快楽』と『感情的愛』の対立なのです。
『一瞬の快楽』と『永遠の至福』とが喧嘩をしているのです。
人間は、その中間で、どちらに行くことも赦されて、自由に楽しんでいる。
この、一方に傾くと『強烈な個性』となって悪魔的人間が徐々に形成されていくのです。
まさにベルゼバブ(爆笑)
そしてまた、一方に傾くと『放棄された個性』となって、徐々に聖なる人間が形成されていくのです。
悪魔も神も、絶対にあきらめません。
遂に、ある日、神の悲しみは限界に達し、放心するのです(爆笑)
つまり罪深すぎる人ほど絶望しやすいとも言えるのであります。
だから悪人正機説があるのでしょう。
ここまで崩壊しても自分=悪魔を手放せない人が(つまり放心しない人が)死後、どうなるかは想像にお任せします(爆笑)
まあ、それはいいとして、想念と罪悪感があるということは、まだ人間として完成していない証拠なのです。
もちろん僕もありますよ(爆笑)
しかし、これはチャンスでもあります。
悪魔(想念)が囁くたびに、神(良心)が勝つように理性(理解)を働かせればいいのです。
これは単に経験の問題なのです。
何をするときにも至福と感謝を味わい続けるようにすれば、悪魔は『たる』を知るのです。
目の前の事実から逃げるのが悪魔=想念です。
明日はとか、このあとでとかやつらは言うのです。
また昨日はとか、あのときはとかやつらは言うのです。
しかし、とにかく『いまには愛はない』とね(爆笑)
こうして連想が今、この目の前の真理=至福から遠ざかると、不満が生まれて、感覚的快楽へと導かれる。
悪魔はニヤリと笑って、その餌を食べるのです。
しかし『理解』、つまり人間は何もおいしくないどころか、逆に神の悲しみを増して『罪悪感』に苦しめられているのです。
つまり、あの可哀想な弱っちい悪魔くんに、自分を差しだしてしまったのです!!!!
知っている人は、まあ、離れているのです。
ああ、また悪魔のヤツがペチャクチャしゃべっているなと客観的に冷静に見れるのです(爆笑)
こちらは平然と『囁き』を無視して、食う、寝る、やるをしてあげるのです。
ああ、餌の時間だねと(爆笑)
この時、感覚的快楽は虚しくなっている。
一時的快楽は、ほんとうに、すべてが虚しいのです!
単に生きるために必要だから、悪魔に餌を与えてやっているのです。
もはや想念という悪魔は、主人からペットになったのです(爆笑)
勝利した『理解』は悪魔を憐れんで、こう言うでしょう。
お前は、単なるアホ! とね(爆笑)
まあ猫を飼っているようなものだと思えばいいでしょう。
正に、真に、動物なのですから、やつらはね。
人間身体という動物なのです。
この動物は人生という貴重な冒険をするには欠かせないので、大切にしないといけませんが、悪魔は、それを利用して調子に乗っているのです。
調子に乗る想念と罪悪感なのです。
さあ、正体を見破りました!
これで我々、人類の完全勝利です。
グランドクロス輝く今日、遂にやりました、あとは面倒を見てあげるのみです。
平然と無視して、必要なものを、与えてあげるのです。
これが節制です。
食事と、睡眠と、会話を節制しろとラマナ・マハルシも言っています。
悪魔の与えるものは、常に、一時的だからです。
自分を明け渡す価値など鐚一文もないのです!!!!
悪魔君、君は今日から愛くるしいペットになったのだと言ってあげましょう。
「ニャー」可愛らしく鳴くでしょう(爆笑)
そうしたら悪魔君も愛してあげるのです。
節制しながらも、大切なものを守ることもできる。
大切なものは単に至福、単に真我です。
想念と罪悪感は、もはや、自らを支配する諸要素ではなくなっているでしょう。
虚しいやつらなのです!!!!
しつこい?(爆笑)
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