豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

外側で、外界で、目の前で、そのままで、考える、連想

2015-04-08 07:16:12 | 読者に人気の記事
・妻の『ダラックマのブログ』も宜しければ併せてお読み下さい。

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おはようございます。

今朝は5時45分ごろ起床しました。

昨夜コインランドリーに行く必要があったのだが、帰ってからビールを飲んでしまったので行けなかった。

早く起きようと思い、5時に目覚ましをセットしていたのだが、遅くなった。

いつものように洗面をします。

そのあとで座禅を15分しますが、相変わらずの、行ったり来たりですね。

慣れてくると気が緩んでくるのと、姿勢が楽になってくるので刺激が無くて、どうも考え事の世界へ行っている。



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座禅をしていてもコレだから、普段は、もっと気がついていないで、思念世界を泳ぎ渡っているのだろう。

そのあとでコーヒーを淹れて読書ですね。

ああ、読書はせずに、煙草を吸って、千鶴さんに洗濯物を車へ載せてもらう。

『しまじろう』の案内メールが、景品付で届いていたが、凹んでいて、治そうとしたら割れたと千鶴さんが、言っていた。

郵便局の人の扱いだろうなあ、たぶん、配達の人の入れ方だと思われる。

仕方ないけど、まあ、もう少し気遣いがあってもいいよね。

コンビニ横のコインランドリーで、服を入れてから、コンビニで『生にんにく』のチューブと煙草2箱を買う。

そのまま家へ戻って、車の中で読書です。

今日は極寒で、とても外で読む気になれなかった。

ニュースでは土曜日まで寒いと云ってますね。

家へ戻ってトースト二枚焼いてくれたのを食べてからブログ更新中です。


このところ、結構、色々と理解が進んできたのですが、これもやっぱり『できてない座禅』のお陰のような気がします。

連想器官の働きは、思考、感情、動作のどの中枢部にもあるらしく、それがないということは印象がないということなので、まあ、動いていない、つまり、生きていないことであるということが、グルジェフさんの本に書かれている。

つまり印象の感受と連想は常に働いているわけであるが、ここに欠けているのが、外的な考慮というものである。

これは内的考慮は内側で考えていることだが、常に、内向きに考えずに、いま、目の前の事実において連想を働かせていくということである。

過去と未来を基点に、内心だけで、考え事をしているのが、陰気が巡りだす原因なのだ。

これを現在を起点にして外側で、できることを考えていくのが『外的考慮』であり、それが、最近書いているように、今、何をしているのかと考えることである。

今、自分は何をしているのかと内省している人が、果たして何人いるだろうか。

今、していることではなく過去と未来に飛んでいる。

そうして、おいて、その脳内タイムの中で、考えているのだが、残念ながら、行為が起こるのは、現在以外に、ないのである。

過去にしても、未来にしても、現在の、行為が作り出すのだ。

そうであるならば、今、自分が何をしているのかということを確認しておくのは、とても、有意義なことなのである。

そして、そのしていることが、なぜしているのかと問うのである。

なぜ、いまここで、私は、これをしているのか。

では、そのなぜにとって、よりよい『やり方』はなんだろうか。

この『改善』の連想作用こそが、健全なる連想の展開ではないだろうか。

内面ではなく、外界において、心が機能することで陽気になれるのである。

太陽の下に出なければならない。

心の雲を掻い潜って、家から、外へ出るために、壁を乗り越えなくては成らない。

その壁、こそが『嘘』であり、壁を壊すのが『誠実さ』なのだ。

壁が壊れた時に、自由がある。