豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

科学は平和を実現できない

2015-04-11 13:02:41 | 読者に人気の記事
・妻の『ダラックマのブログ』も宜しければ併せてお読み下さい。

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こんにちは。

本日は午前10時15分ごろに起床しました。

起きてから千鶴さんと、話していたが、内容を完全に忘れた。

洗面をしていると「ラッスンゴレライ」が広島の原爆投下のことを指しているらしいという憶測があるらしいと教えてくれる。

まあ、本当かどうかは分からないが、もしも、本当だとしたら、悲しいね。

この間は、4月12日に、つまり、明日、東海大地震が静岡県伊東市を中心としてマグニチュード9クラスでくるとかいう予言を教えてくれた。

どうしたんだ?(苦笑)



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もしかして、僕の、不思議な話(オカルト)好きがうつったのではないだろうなw

まあ、前から、嫁様は、結構、自分と似ているところがあると思ってはいたが、だいたい、どの傾向にしても、僕より凄いから、彼女。

なんとなく、おもしろいのであります。

アイスクリームを食べる速度が半端ないときがあるとか、短気が爆発しやすいとか、まあ、甘えてしまうところとか、いろいろね。

で、洗面を終えて座禅を50分であります。

今回は、やはり、考えに発展するのを止めるために、姿勢を正すということを優先しました。

これは、効果ありますが、姿勢が、あんまりにも酷くて、汗が出てくるwww

自分の普段、自然だと思っている姿勢は、重力との関係では、とても悪い場合がありますので、一度、確認して直すのがいいかもしれませんよ。

これに関してはOSHOのDVDで『体の神秘』というのを視聴したことがありますが、というか、持っていますが、ここで重力と、食事に関して、単純なる教えがあり、それは、単純ではありますが、とても効果的であります。

まあ、OSHO自体は、僕は、どうも好きになれませんが、苦笑

翻訳者の傾向で、ああいう語り口になっているのか、どうも、エゴイスティックな傾向を感じ取ってしまうのであります。

会ったことも無いから、単に、書籍やDVDから受けた印象ですけどね。

大変なる浄化過程の座禅を終えてからは、玄関脇で、読書です。

晴れ渡る大空!



著作者:Izabela Pawlicka


清々しい春の風。

蝶の舞いと小鳥の囀り。

千鶴さんのブチギレて机を蹴飛ばしまくる音www

悠聖が外に出たがっているので、相手しないといけないが、とりあえず読書。

ものをあげたり、もらったりすることについて書かれていた。

あげるほうは嬉しいが、もらうほうは辛い。

また、あげるにしても、もらうにしても、お互いに役に立つときは、いいが、そうではないときには、トラブルになる。

「私的なものを公にするのなら、もらえばいい」と沢木老師が言ったそうです。

私的なものを公的に使えるのなら、あげたり、もらったりする。

また公的なものを私的にするのなら、それは、してはいけないということだろう。

これは素晴らしい!

だいたい精神世界では、お金のことになると、途端に、臆病になりますからねwww

お金は汚いとか不浄だとか言われる。

しかし、お金がないと生きていけない社会では、お金は必要でしょう。

誰にとっても、必要だが、それ以上に、公に役に立つかどうかが、重要と言うわけだ。

グルジェフさん、なんかは、自分の道を、突き進むためには、いかなる方法を使ってでも、お金を生み出そうとしている。

しかし、その自分の道が、公共の福祉に役に立つという核心があったからだろう。

公的に使っているかである。

公と言うのは私の反対であるのだから、みんなの為に、いただいたお金を使っているということになる。

自分のことは必要最低限にして、みんなに回しているのなら、絶対に、その人は、苦しまなくなるだろう。

が、これが、行為であってはいけないのだ。

つまり、これが、意図的、な、企み、計算であっては、意味が無いのである。

まあ、このあたりは、僕は散々やらかしたので、実際経験上、ある、秘密を掴んだのであるが、それは、お金は、幸せを与えないということである。

で、読書を終えて、千鶴さんを宥めながら、昼食の『焼きそば』を作ります。

千鶴さんが台所で、いろいろ食材の準備をしてくれたので、僕は炒めて、味付けして、目玉焼きを載せる。

うん!

結構美味しかったです。

食器などの洗い物をしてから、ブログの更新ですね。



著作者:Novafly


悠聖は、やっと千鶴さんと遊んでもらえて、満面の笑み。


『焼きそば』で思い出しましたが、その昔、会社の先輩のNさんと、南くんと、よく飲みに行っていた鈴鹿市平田町の『まいど』というお店の『鉄板焼きそば』はうまかった。

ああいう席で、みんなで、ワイワイやりながら、食べているからかもしれないが、なんかこう、焼きそば食べる度に、ああ、うまかったなあ、と想像してしまうw

最近はリフレッシュして本格的な海鮮居酒屋なので、メニューにあるか分からない。

近くに住んでみえる方は、一度、行ってみると、大いに楽しめると思いますよ。

大将も、人当たりの柔らかい人です。

なにしろ、この、駄目人間「だめま」の酔っ払った状態は、最悪ですからね(爆笑)

まあ、ご一緒したことがある方は、みんな、知っているとは思いますが、本当に、我侭というか、周りの空気を破壊するのですが、その、ギャップが、普段のキャラと離れすぎているのであります。

まあ、そんだけ、ストレスと『嘘』を溜め込んでいるんですねwww

その僕でも、まあ、相手をしてくださる!

そして『最高の友』という言葉があるところに置いてあるのです。

最高の友というのは、いい言葉でありますよね。

うんうん。


って、なんか今日は、話が流れまくるなあ。


悟りとか言いますけどね。

それは、ここで生きていることの、この命の煌きのことだけなのですよ。

その命の、心の、質が、認識を離れて、常に行き渡っているわけですよね。

だから、認識が、そこに挟まると、自己中心的になって、到達しただとか、到達しないだとか、生きているだの死んでいるだのとなっている。

その、ここである生というものは、個人的なものではないのです。

それだけが錯覚であって、人格というものは、本来はないものを、そこに想定して、勝手にやっているんです。

アイツが腹立つ、コイツが間違っているとかねwww



著作者:霖霖七


そういうのは社会、他者基準で、実際にありますよ。

たとえば、形が整っていない、僕のブログでは、あんまり人は来ないとか、そういうことは実際にありますが、そんな小さなことではないんですよwww

大きな命の働き、神仏のご加護というものは、人間の計らいなんかは、とっくに超えて、全世界と全時間を貫いているんです。

そこに、まあ、人間が、喧嘩してみたり、愛し合ったりしている。


レンタルDVDを借りてきて2本見ましたが、確か、トーキョートライブと、るろうに剣心ですね。

ああいうのを見てみると、まず暴力の描写があって、いい女の描写があります。

まあ、戦いと、葛藤と、ロマンスの組み合わせなわけです。

それが、どの映画を見ても、同じような構図になっているwww

ストーリーの内容が、ほとんど同じようになっているんですよ。

『正義』の側にある主人公が『暴力』に縁って『悪党』を裁くという単純な構図です。

そして、その『悪党』が最期には改心して、主人公は『いい女』とのロマンスを、なぜか遂げていくのであります(爆笑)

幼稚園児のような話ですが、しかし、映像美や、演技の真剣さ、等々によって、深刻な印象を生み出すことで、ここに刺激を作っている。

つまりショックを最初に作り出すことで、人を取り込んでいるわけですね。

それが映像や演技のリアルさと、人の死である。

最初に、善良な人が、殺されたりするのですよ、いきなり理不尽に。

なんてこったとなる。


こういうのを見ていると、途端に、グルジェフさんの言葉が頭に巡るのですが、芸術には主観的芸術と客観芸術があるのであります。

そして人類は、戦争で勝った者を『英雄』であると心底、思っていて、平和を実現した人というのは教科書にさえ載らないのですwww


この話を考えると、いつも、思うのですが、最近、韓国に対する世論が、とても、誘導されていて、日本と韓国が、まるで敵対関係のような構図になっています。

これは、絶対に、誘導があります。

どう考えても一番、仲良くしなければいけない隣国である、韓国と、日本が、いつまでも、相手の過去のことを指摘しあっていく。


実際に、個人同士であれば、絶対に仲良くできるのが、マスメディアが、悪印象を意図的に植え付けているのです。

たぶんですよ(推測)

平和に導くのではなくて、このように、映画にしても報道にしても『戦い』に誘導するような人たちは絶対に英雄なんかではありません。

また、暴力による正義は、平和をもたらしません。


平和というのは、心の質なんです。

原爆なんかないほうが良いに決まってますが、原発もそうでしょうが、科学的に見ると、また政治的に見ると、それが必要だというのです。

だから科学は平和を実現できないのです。



著作者:Tric Chen (改変 gatag.net)


今のところは、科学は、日常生活の向上にしか、単純な便利さにしか、効果を発揮していなくて『戦争』という人類最大の、一番解決が急がれる問題には、なんの効力ももたないのであります。

だいたい日本において仏教が『葬式』のみの用になってしまったのが、これは、非常に残念なことではないでしょうか。

社会における無差別殺人の増加により、道徳教育の必要性が説かれていますが、実際に必要なのは『宗教教育』であります。

その宗教の中でも『仏教』は並外れて、突き抜けて、素晴らしい。

だから、仏教を、国家の基本的、教育の中に、取り入れることが、とても有益に思えるのだけれども、政治と宗教の分離ということで、難しいのだろうね。


って、なんか、単なる愚痴になってしまいました。

とにかく、悟りというものは、自分の見る夢とは、何の関係も無く。

全員、達成してます!

導くことも、導かれることも、本来は、必要ないのですが、それを必要とするのは、人格が社会において洗脳されているからなのです。

『戦争に』


本当の平和というのは『自然』と『人間』が調和している場所にあるわけです。

それが、こころの質。

この、こころの質とは、思いのことではありません。

温泉に入っていて、リラックスして、フワーッと、なんとも言えない精気のようなものに包まれているときのようなものです。

夕陽が堕ちていく姿に感動して、我を忘れた時に、ある、その認識外の、状態のことであります。

これが人格とは別のところで、働いていて、それが、本来の自己です。

人格というのは、あの人は、このような人であると、想像を膨らませあっているんですね、お互いに。

それは幻想です。

ある場所では、善い人でも、違う場所では違うのですwww

ほんとうですよ。


自然が、人間を生かしていて、人間が、自然を生かしている。



著作者:Susana de la Llave


心と自然の調和です。

そして、それは、肩の荷を降ろした時に実現されるのです。