・妻の『ダラックマのブログ』も宜しければ併せてお読み下さい。
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こんにちは。
本日は午後2時半ごろに目覚めました豊田です。
「珍しく自分で起きたね」と千鶴さんが言ってきます。
洗面をしていると、スターバックスのことを色々と話してくる。
興味があるようだ。
あんまり行った事がないからサイズが分からなくて困るらしい。
なんかネットで色々と調べて見せてきた。
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僕も、あんまり行ったことないから、なあ。
その昔、インターネットラジオで遊んでいた頃に、スターバックスの店員さんのラジオを楽しんだ事があったなあという記憶が蘇えってくる。
洗面を終えると座禅15分ですね。
15時に起きるつもりのアラームが途中で鳴ってしまい、動いてしまった(爆笑)
まあ、本日も、相変わらずの妄念世界。
妄念の濃いときと、スッキリしているときがあるのは、気にする、しないの単純なことだろうと最近は思う。
「私は何も気にしない」とクリシュナムルティが言ったらしいが、そういう態度は、どのようにして身に着けたのだろうね。
座禅を終えると、板海苔をツマミ食いしながら、コーヒーを淹れる。
外へ出て、読書ですね。
千鶴さんが横へ来て、なんか、へんな踊りをしているwww
その場で、走っているのだが、腰をツイストしているのだ。
さあ、マーチンさんも、やるなりーと、催促してくるが、そのまま読書(爆笑)
今日は嵐のような天気に成るらしく、雨が降っている。
で、戻ってきて、ブログの更新ですね。
気というのは、眼前の空が、心の力を反映して、リアルを形成している、その、中に、たいへん大きな影響力を持っています。
天からの意識光というのは、その発生源は、こころです。
なので、こころがクリアーになっていると、現実もクリアーに捉えられる。
こころが重くなるのは、思念が原因です。
あれこれと、心配している、恐怖心!
それが、ラスボスの正体なのであります。
この心の根本にある「あれこれ心配性」が、思念世界に埋没させるのです。
それは自分が、どうなってしまうのかという心配なのですね。
パパジという人の家族がインドかパキスタンで戦争に巻き込まれた時に「この世は幻想だ」と言って、観念していた。
そこへ師匠のラマナ・マハルシがやってきて「行って助けてあげなさい。幻想だというのなら、何を恐れているのか」と言いました。
それでパパジは、死ぬかもしれない紛争地域へ行くのですが、なぜか導かれるようにして、無事にたどり着くのです。
この話は、とても好きなのですが、幻想である空の、実体は、自分の心であるわけです。
そこが空っぽであるから、物事が、現じてきている。
しかし、その映像は、幻であっても、真実なのである。
ここのところが、どうも、難しいのですが、例えば、この世の幻想性に気がついた人が、何もかもを放って隠遁してしまう。
しかし、実際には、リアルは空で空はリアルなのである。
パパジがリアルの中で、家族を助けに行くことは、空の中での出来事なのだが、しかし、その行為は、心の中でのリアルな出来事でもある。
この逸話は、その事実を、端的に表現している。
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こんにちは。
本日は午後2時半ごろに目覚めました豊田です。
「珍しく自分で起きたね」と千鶴さんが言ってきます。
洗面をしていると、スターバックスのことを色々と話してくる。
興味があるようだ。
あんまり行った事がないからサイズが分からなくて困るらしい。
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その昔、インターネットラジオで遊んでいた頃に、スターバックスの店員さんのラジオを楽しんだ事があったなあという記憶が蘇えってくる。
洗面を終えると座禅15分ですね。
15時に起きるつもりのアラームが途中で鳴ってしまい、動いてしまった(爆笑)
まあ、本日も、相変わらずの妄念世界。
妄念の濃いときと、スッキリしているときがあるのは、気にする、しないの単純なことだろうと最近は思う。
「私は何も気にしない」とクリシュナムルティが言ったらしいが、そういう態度は、どのようにして身に着けたのだろうね。
座禅を終えると、板海苔をツマミ食いしながら、コーヒーを淹れる。
外へ出て、読書ですね。
千鶴さんが横へ来て、なんか、へんな踊りをしているwww
その場で、走っているのだが、腰をツイストしているのだ。
さあ、マーチンさんも、やるなりーと、催促してくるが、そのまま読書(爆笑)
今日は嵐のような天気に成るらしく、雨が降っている。
で、戻ってきて、ブログの更新ですね。
気というのは、眼前の空が、心の力を反映して、リアルを形成している、その、中に、たいへん大きな影響力を持っています。
天からの意識光というのは、その発生源は、こころです。
なので、こころがクリアーになっていると、現実もクリアーに捉えられる。
こころが重くなるのは、思念が原因です。
あれこれと、心配している、恐怖心!
それが、ラスボスの正体なのであります。
この心の根本にある「あれこれ心配性」が、思念世界に埋没させるのです。
それは自分が、どうなってしまうのかという心配なのですね。
パパジという人の家族がインドかパキスタンで戦争に巻き込まれた時に「この世は幻想だ」と言って、観念していた。
そこへ師匠のラマナ・マハルシがやってきて「行って助けてあげなさい。幻想だというのなら、何を恐れているのか」と言いました。
それでパパジは、死ぬかもしれない紛争地域へ行くのですが、なぜか導かれるようにして、無事にたどり着くのです。
この話は、とても好きなのですが、幻想である空の、実体は、自分の心であるわけです。
そこが空っぽであるから、物事が、現じてきている。
しかし、その映像は、幻であっても、真実なのである。
ここのところが、どうも、難しいのですが、例えば、この世の幻想性に気がついた人が、何もかもを放って隠遁してしまう。
しかし、実際には、リアルは空で空はリアルなのである。
パパジがリアルの中で、家族を助けに行くことは、空の中での出来事なのだが、しかし、その行為は、心の中でのリアルな出来事でもある。
この逸話は、その事実を、端的に表現している。