これ!どう思います?

マスコミがあまり報道しない様な問題を、私なりに考えてみます。

令和維新のすゝめ (その9)

2020-11-07 11:55:41 | 社会問題
★★★★ 技術革新と物作り ★★★★
【はじめに】
 今回は、第一次産業の改革について書きます。日本では農林水産省が管轄している「漁業」、「林業」と「(畜産業を含む)農業」を第一次産業と呼びますが、世界では一般に「鉱業」も含まれます。

 日本の第一次産業の共通の課題は、高齢化と後継者不足です。 一方、近年・世界的に異常気象が続いているので、食糧の適正な輸入依存率を検討/議論して、農業政策を見直す必要が有ると思います。

【私の故郷の第一次産業】
 私の故郷は和歌山県の竜神村です。殆どが険しい山で、川沿いに棚田と段々畑が少しだけ有ります。戦前は田畑と山林の多くは、少数の地主達が所有して、多くの村民は小作と山林の賃仕事で生活していた様です。昔は木材や木炭が高かったので、山林関係の仕事の収入で村民は生きていけたのです。

 戦後、農地解放で小作人は僅かの田畑を手に入れましたが、各家で必要な米麦などを賄えませんでした。 山林の開放は行われ無かったので、山林地主は健在でした。その後、木材価格が暴落して、2軒残っていた山林王は没落した様です。

 昔は、村外に住む山林の所有者は”山番(山守)”を雇って管理して貰っていました。 国から山林に補助金が出て、林道が整備される様になった頃から(皮肉にも)木材価格が下落し始めたので、山番に依頼する人は殆どいなくなってしまいました。 森林組合が山番の仕事をする様になりました。 高齢化が進んだので、森林組合は都会からも若者を雇っています。

 2010年ころから高齢化のために、放置された梅畑や田畑が増えて来ています。 一部には太陽光発電パネルが設置されています。

(余談 :坑道) 第二次世界大戦中には鉱物資源不足が深刻だったので、私の故郷でも細々と採掘した様です。 所々に坑道が残っていて、蝙蝠を見に二、三回行ったことが有ります。

【農業】
 昔は・農業に関する記事には『専業農家』と『兼業農家』と言う言葉が登場しましたが、(1947年~49年生まれの)団塊の世代が70歳を超えてリタイアしたので、兼業農家とは言えなくなっています。会社を辞めて、農地は近所の農民に委託する人が増えている様です。 平野部の農地の集約を進める絶好のチャンスだと思います。

 日本政府は、コソコソと農業の効率化を進めています。国民の同意を取り付けて、大っぴらに、大胆に進めるべきだと考えます。山村の農業/平野部の農業、野菜農家、果樹農家・・・細かく分けて効率化を追求すべきです。 1ha(≒1町歩)以下の野菜農家ですが、「年間売り上げが3,000万円ほど有る」、「これ以上農地を広げるのは無理だ」と言われた方がいました。

 米農家の効率化とは農地の集約を意味します。「後継者のいる専業農家を支援して、20ha~30haを所有して貰う」のが私の考えです。農協は組合員が減少するので、多分・反対するでしょう! 金持ちを→より金持ちにする政策ですから、国民の同意を得るには政治的エネルギーが必要です。 日本の農家の1戸当たりの耕作面積は2ha程ですが、アメリカは170ha、オーストラリアは3,000ha程も有ります。

 中小企業が代替わりで相続する場合は、事業が継続出来る様に相続税の軽減が行われています。 私は、「農業を原則として法人化(株式化)する様に指導して、一子相続を認め、相続税を軽減すべきだ」と思います。 『たわけ者』=田畑は分割しては駄目です! 

(余談 :美味しい葡萄) 我が家はお中元を止めて、9月に岡山県の葡萄農家から葡萄を送っています。JAを通さないないで、夫婦で頑張っている農家です。今年の葡萄の出来は少し悪かった様ですが、この農家のは例年と全く同じで、美味しかったです。

【畜産業】
 私は20軒ほどの集落で育ちました。田畑の総面積は5ha弱ほどだったと思います。8軒ほどで農耕用の牛を飼っていました。稲藁、麦藁と草を食べさせていました。 棚田で広い田圃でも1反(300坪)程しか無かったので、子牛を買って2年ほど使ったら、平野部の農家に売って、又・子牛を買うのです。 大きくなった牛は肉になりました。 当時・全国では農耕用の牛を沢山飼育していたと思われます。

 日本は雨が沢山降るので、草は嫌になる程生えます。牛、馬、山羊、羊は全国何処ででも飼えます。豚と鶏には穀物が必要なので、飼料は輸入しなければなりません。 日本では大規模な畜産は無理ですから、安いい肉を国産化するのは無理です。黒毛和牛の様な高級肉の生産に特化すべきです。 牛乳は長持しないので、船での輸送が難しい為に国産しているのか?

 猟師に補助金を出して、野生の猪、鹿、熊などの肉を流通させるシステムを作る事を、国に検討して欲しいです。 一石二鳥の案だと思われませんか?

(余談 :軍鶏<シャモ>) 私が高校生活を送った和歌山県の田辺市には鬪鷄神社が有ります。 軍鶏(シャモ)を戦わせる闘鶏(とうけい)とは無関係です。シャモが日本に入って来たのは江戸時代ですが、鬪鷄神社は日本書紀が完成する720年より前に創建されています。(鬪鷄神社は武蔵坊弁慶ゆかりの神社と言われています。弁慶の父は田辺別当=神官のボスでしたが、弁慶は悪僧だったと言われています。矛盾しませんか?)

 2000年頃、大阪府郊外の鍍金(メッキ)業者に大きな部品を持ち込んだり、受け取りのためにトラックで何回もいきました。約束時間を守るために何時も、早めに出発して有る工場の横で時間調整をしました。その工場には広い空き地が有って、周囲に長屋の様な金網小屋がヘンスの様に並んでいました。 中は幅2m程に区切られていて、シャモが一羽ずつ飼育されていました。 多分・社長がシャモの保存会の方だと話していたのですが、餌を遣っていた社員に聞くと、「社長がシャモ肉が好きなので飼育している、美味しいらしいが私は食べた事が無い」と言っていました。

 シャモは天然記念物に指定されていますが、飼育して肉を売ってもOKです。 amazonは「6,000円/kg」以上の高値で販売しています。シャモ肉が本当に美味なら、全国的に普及させて、過疎地の産業に育てる案は如何でしょうか? (但し、シャモも鳥インフルエンザに罹る様です。)

【漁業】
 私は山村で育ったので漁業の知識は乏しいのですが、魚は大好きです。特に秋刀魚と缶詰のイカが好きですが、近年・高くなってきています。 国産のイカの缶詰は高くて、売っている店が少ないです。 大和堆では沢山イカが採れる様なのに、何故・国産は高いのでしょうか?

 日本の排他的経済水域は広大です。中国や北朝鮮の不法漁業を厳格に取り締まれば、日本に必要な量は確保出来る様に思われます。 中国は近年、大形漁船で南米諸国の排他的経済水域にも出没する様になっています。海上保安庁を拡充しても、中国に対抗するのは限界が有ります。 被害を受けている国と協力して、中国漁船を取り締まる必要が有ります。

 日本の漁業の問題は、漁民の高齢化、後継者不足です。 漁業権を大幅に見直して、漁業の株式会社化を推進したら問題の解決になるのでは?

★★ ご参考 :漁業権 ★★
 日本には『漁業法』が有り、漁業権が認められています。次男が小学生だった頃、近所の方が夏休みに子供を数人連れて海にキャンプに行きました。海胆(うに)が沢山採れて剥いて食べたそうです。怖そうな小父さんが来て、「勝手に採ってはいけない!」と怒られたそうです。かなり怖かった様でしたが、それ以来・次男は海胆好きになって居酒屋に行くと必ず食べます。

 川にも漁業権が有ります。我が家も日高川の漁業権を持っていました。小さな紙切れでしたが、一応・私が相続ました。更新手続きが必要だった様に思うので、もう失効しているでしょう? 日高川の漁業権は、明治の有る時期に、川沿いに有った家に与えられたそうです。その後に出来た家(例えば、分家)には与えられず、そして・漁業権の売買は禁止されていた様です。

 大昔から漁業権の制度が有りますが、現在の制度は戦後に農地解放と同時期に同じ考え方で改定されました。戦後75年も経ちますから、漁業を取り巻く状況が大幅に変化しています。 漁民の高齢化と減少、漁法の進歩、冷凍保存装置の普及・・・の変化。 漁業権を見直し→漁業を株式化して→効率化する。

★★ ご参考 :領海・排他的経済水域(EEZ) ★★
① 領海 :(大雑把に言えば)陸地から22.2km沖までが領海です。 更に、22.2km沖までを接続領域と呼びます。 日本には沢山・離島が有りますが、島の周囲も22.2km沖までが領海です。

② 排他的経済水域(EEZ) :陸地から370km沖までを排他的経済水域と呼びます。その外が公海です。

【林業】
 日本国内を旅行すると緑豊かな山々の景色を楽しめます。 然し、日本人にとって山林は空気の様な存在で、殆どの人は山林についての知識も興味も無い様に思います。

① 日本の国土の70%は森林です。 その内、40%程が人工林で、残りが天然林です。
② 森林の30%は国有林です。

 木材と山林の価格は暴落したままです。「安価な輸入木材が増加したためだ!」と言う方がおられましたが、私は「需要と供給の関係を無視した、歴代政府の林業政策が原因だ!」と言いたいです。

 人工林が増えて、手入れをしないで放置すると、川に土が溜まる様になります。 海に流れる栄養分が少なくなり、魚が取れなくなり、養殖にも影響が出ます。 現在の人工林を維持しても需要は期待出来ませんから、天然林に戻す施策が必要です。

 野生動物の数を調節していた日本狼を絶滅させてしまったので、猪や鹿が増え過ぎて農作物の被害が多くなっています。木材価格の暴落で、山村で生活出来なくなり→過疎化した事も原因です。 「都会育ちの役人が林業政策を立案するのは無理だ!」と私は思います。

●● 私と山林
 軍人だった父は、戦後・山奥の故郷に帰り、私は・そこで生まれ/育ちました。帰省後に父は木材と山林の売買を始めました。戦争で沢山の家屋が失われていたので、木材の価格は高く、父の商売は順調でした。 私は小学生になるズット前から、母に弁当を作ってもらって、毎日の様に父が雇ったトラックに乗って方々の山に行きました。十人ほどの人夫(にんぷ)に指示する父の傍で、一人で遊びました。 (当時の山村では、雨と大雪の日は休みで、日曜日も働きました。)

 時々、これから伐採する山や入札される山にも連れて行って貰いました。「南向きの山は木の成長は早いが良い木は取れない」、「こういう所に檜を植えては駄目だ」、「木の先端が鋭い形状だったら、まだまだ成長する。丸くなったら背丈は伸びない」・・・色々教えて貰いました。

 父は、「植林面積を増やして、下刈り、間伐、枝打ちをして良質の木を育てるのが国にとって重要だ!」と考えていたと思われます。 私はこの考え方には賛成出来ません。

●● 森林組合
 森林組合は100年以上前から有ります。私の子供の頃は、山を所有する旦那衆の結構自由な”非営利団体”だった様に思います。 段々と国が山林に補助金を出す様になって、森林組合経由だと簡単に申請手続きが出来るので、既得権団体の様になり、従業員が増加しています。 山村の企業の様な存在になっています。

 私が二、三歳の頃に私名義で父が買ってくれた小さな山を今でも所有しているので、私は竜神村森林組合の会員です。 山林の経営には専門知識が必要なので「森林組合は必要だ!」と思っているのですが、「永続可能な国の山林政策の立案/推進を阻害する存在になる」と考えています。森林組合の目先の利益を追求する考え方に立つと、天然林を伐採して植林面積を増やす方が好ましいのです。

 杉や檜の需要が回復するとは思えません。 需要を無視して杉や檜の植林を増やしたら、価格は益々低下してしまいます。そんな事を続けていたら、森林組合が破産するのは目に見えています。

●● 山林の価格
 私の所有する(6,000坪ほどの)山林を1970年頃に「2,000万円で買いたい」と言う人がいました。ちょうど・その時、西武池袋線の練馬駅から徒歩七、八分の所に有った(300坪ほどの)畑を、地主さんから姉の家に「急に金が入用になったので2,000万円で買ってもらえないか?」と言って来ました。 この畑の適正価格は5,000万円ほどだったと思います。 父に「山を売って、練馬の土地を買いたい!」と電話したのですが、首を縦に振りませんでした。

 あれから50年経ちます。 間伐や枝打ちを繰り返したので、杉や檜は大きく・立派に育っていますが、500万円でも売れないと思います。 練馬の畑の方は住宅街になって、現在は”400万円/坪”ほどするそうです。 山の裾に国道が通っているので、私の山は価値が有る方なんです。

 1971年に給料を貰う様になって、人を雇って間伐と枝打ちしました。その後、山の手入れに国から補助金が出る様になりました。 山の管理に私が使った金は(補助金を含めて)400万円以上になっています。

 故郷の竜神村は雨が沢山降るなどで、杉や檜の生育には適しています。それでも、植林に向かない山も有ります。現在・手入れをされていない植林地は、伐採して天然林に戻すべきです。 杉材や檜材の長期需要予想をして、需要を超える分も伐採して天然林に戻すべきです。 現在の木材価格と山林価格では、山村に人が住めません。

●● 有用木材
 昔は木造住宅が主流で沢山の木材(杉、檜、松、翌檜など)が必要でしたが、高層住宅が増えて木材の需要が急激に減少しました。 然し、政治家や役人は今でも、建築用の木材に固守している様に見えます。 日本に限れば木材の需要は減少して、種々の木材が使用される時代になって来ていると思います。

 私は木材加工工場を数か所見学しましたが、木材に樹脂を含浸させたり、板を加熱して曲げたり、合板の表面に突板を貼ったり、集成材の製造、・・・木材の加工技術が進んで、天然材よりも優れた板や柱が出来る様になっています。京都迎賓館の廊下の床材は、欅の突板を貼った物ですが、ハイヒールを履いた女性が歩いても傷が付かない工夫が施されているそうです。

 私は、「山林政策を立案する上で、現在のニーズ、木材の加工技術を調査して、将来予想も加味する必要が有る」、「現在の森林組合を生かすための補助金政策は駄目だ!」と言いたいのです。

(余談 :私の机) 1971年に入社した頃、企業の机は金属製でしたが、1995年頃には広い木製の机が主流になっていました。1985年に家を建てた時に、私はマホガニー製の163cm✕80cmの机を買って、今でも使っています。35年経ちますが、びくともしていません。 近年・家具と言うと、テーブル、机、椅子、ソファー、本箱、ベッドくらいになってしまいました。 上等な素材で作った家具は、二、三世代で使えますから、家具屋の経営は益々難しくなると思います。

(余談 :モンキーポット) 私は二人の息子に「拘りを持ったら、人生がより愉快に過ごせる」と言って来ました。次男がマンションを買う時に、嫁さんと二人で注文家具店を廻って、テーブルを物色していました。ある日、二人が急に来て「今から、テーブルを注文に行くから付いて来て欲しい!」と言うのです。並べた板材の中から客が好きなのを選んで、好みのデザインのテーブルを作ってくれる店でした。

 ザット見て・価格も手ごろで紋様も素敵な板が有りましたが、口には出しませんでした。息子が、「これを買いたいと思っている」と言ったのが、私が良いと考えていた板だったので、「良いね!」とだけ言いました。日立のコマーシャルソングの『この木何の木」のモンキーポットでした。テーブルにも座卓にも出来る設計にして、大事に!大事に!使っている様です。

【鉱業】
 現在、日本の陸の鉱物資源は掘り尽くされていますが、領海や排他的経済水域には夢の様な多量の鉱物資源が眠っていると言われています。 詳細が分かって来たら、中国が手を出して来る可能性が高いと思われます。 採取技術の開発と並行して、中国対策を検討する必要が有ります。

 技術開発が進んで、海底の鉱物資源が経済的に採取出来る様になったら、日本は資源大国になります。宇宙飛行士に掛ける金を、こちらの開発に廻して欲しいです。

令和維新のすゝめ (その6)

2020-10-10 11:55:08 | 社会問題
★★★★ 少子化対策 ★★★★
 今回は、少子化対策の最終稿です。

【はじめに】
 比較的簡単に伴侶が見つかって、悩む事無く子供が出来て、楽しい家庭を築いた方が多いいと思います。 然し、世の中には、結婚出来無かったり、子宝に恵まれ無かったカップルも沢山います。 今回はそんな例を幾つか書きます。人は色々ですから、少子化対策は難しい事だと思います。

【避 妊】
 セックスを楽しみたいと言うのは、男女を問わず人間の本能です。 「妊娠を心配しないでやりたい」と言う神の意思に反する願望は大昔から有る様です。 コンドームは5,000年前のエジプトが起源だそうです。 『コンドーム』は17世紀のイタリア人の名前だと言う説が有ります。 17世紀のコンドームは牛の腸膜製だった様です。20世紀の初めに、ゴム製が作られる様になりました。

 戦後、日本でもコンドームが普及し、その他の避妊具と避妊薬も普及して、少子化が問題になる様になりました。換言すると、人類の長い!長い!歴史の中で、この百年間は「子供を儲けるかどうか?」をカップルの意思で決める時代になったのです。少子化対策とは、カップルの意思を「子供を産もう!」と言う方向に誘導する事です。

(余談) 私は会社の名前の入った大きな独身寮に入りました。そこに二、三年先輩の二人の男性がいて、私と同じ部に所属していました。 彼らはコンドームの通信販売を始めました。 宛先に大手企業の名前が入っていますから、顧客も安心です。段々と注文が増えて来ました。毎日・十通以上、注文の手紙が来る様になりました。 商売は大繫盛になったのです。 (昔は若い奥さんが対面でコンドームを買うのが恥ずかしかったのです。)

 寮長が不信に思って、彼等の押し入れを開けたら、溢れる程のコンドームが有ったそうです。アルバイトは社内規定で禁止されており、会社の名前を利用するのは以ての外でしたので、「商売を続けるのなら、会社を辞めろ」と言ったそうです。私は寮長と親しかったのですが、「あいつら、一生コンドームを買う必要が無い!」と笑っていました。

【流 産】
 余程・親しい関係で無いと、奥さんが流産した事は分かりません。 40歳・少し前に、高給を得ていた男性と結婚した女性がいました。直ぐに一人目は出来たのですが、その後は流産を繰り返して、結局二人目は授かりませんでした。

 彼女は持病の無い、健康な方で今でもお元気です。 女性が40歳を過ぎると、流産する確率が高くなる様です。 出産適齢期(20歳~35歳)に産んで貰える様にするのが、少子化対策のポイントの一つです。

(余談) 男性も加齢と供に異常な精子が混じる様になるそうですが、卵子を我が物にする為に、精子達は過酷な競争をして、正常な/元気な精子が最初に到達出来る事になります。その為に、男性は年をとっても元気な子供が授かるのです。 山本五十六は、お父さんが56歳の時に生まれました。 (私の幼友達に五二君がいます。てっきり父親が52歳の時に生まれたのだと思っていましたが、父親に会ったら若くてビックリしました。名前を考えるのが面倒くさかったので、5月2日生まれだから『五二(ごに)』にしたそうです。)

【薬の為に子供を諦めたカップル】
 大規模農家が二軒あって、その一人息子(K氏)と一人娘が結婚しました。K氏は家業を継がずに私が勤務していた会社で働いていました。 二十歳代で結婚したのですが、結婚して直ぐに耳鼻科の病気になって、強い薬を服用する様になってしまいました。 医者から、「この薬を飲んでいる間に子供を儲けると、奇形児になる可能性が有る」と言われたそうです。

 K氏は薬を飲み続けていたのですが、45歳頃・奇蹟が起こった様に完治しました。完治祝いの席を設けたのですが、「更年期だから子供は諦めている」と寂しそうに言いました。

(余談) K氏が30歳代の時に、両家の両親が相次いで亡くなりました。大きな二軒の家屋敷と数町歩の田圃を相続し、誰かに委託していた様でした。

【趣味に生きた男性】
 結構・魅力的な男性なのに、独身で趣味に生きた方を二人知っています。その一人のF氏は大手優良企業の社員で、私が面識を得たのは彼が定年になる2年程前でした。 何時も、高価そうな趣味の良い服装で、十歳は若くみえました。  F氏の趣味はスキューバダイビングで、年に何回か一週間ほどの休暇を取って、インドネシアに一人で出掛けていました。

 もう一人のG氏は、仲間三人で設計会社を設立して、私が勤務していた会社に出向して、同じ機械を担当していました。彼等は正社員よりも担当の機械を熟知していて、会社に取って無くてはならない存在だったので、出向者としては破格の賃金を得ていたと思いました。

 二人は結婚して子供さんがいましたが、G氏は独身でした。高校時代からサーフィンに夢中になって、40歳を過ぎても休日には大抵、サーフィンに出掛けていました。多分・一生独身で過ごしたと思います。

【超過保護で育った男性】
 私の親戚に一人っ子で超過保護で育った男性(M1氏)がいます。M1氏は40歳を過ぎていて、学校を出てから一度も就職しておらず、家に閉じこもって暮らしている様です。勿論・独身です。M1氏の父親(M2氏)も一人っ子で、彼も超過保護で育った様です。M2氏の父親(祖父=M3氏)は、税務署長で定年を迎えたので、節税対策は得意だったと思われます。 M2氏が私の親戚の女性と結婚して数年後に、沢山の不動産と預貯金を残して亡くなりました。

 M2氏は私の親戚の冠婚葬祭には何時も、奥さんとM1氏を連れて参加しました。私は、まだM1氏が幼い頃から話をしようとしましたが、話し始めると直ぐにM2氏か奥さんが飛んできて間に入りました。 その為に何時も短い会話でしたが、M1氏は私とは真面に話が出来ました。

 M2氏は定年退職しても、質素な暮らしをして、貸家などの収入をセッセト貯金している様です。M1氏が一人になっても困らない様にと考えているのだと想像します。私には本末転倒の様に思えるのですが!?

【若くして大成功した男性】
 若い時に起業して大成功した男性(O氏)がいます。ガムシャラに働いて、結婚したいと考え出した時は、40歳近くになっていました。 バブル崩壊後・数年経っていましたが、彼の所得は羨ましい額でした。

 彼は、積極的に婚活を始め、気に入った女性とデートするのですが、「金目当てでは?」と疑ってしまい、別の女性と付き合っても・また疑って・・・。 母親から「結婚相手を探して欲しい」と依頼されました。 私は、「正直に年収を女性に告げたら、普通の女性でも金目当てに変貌してしまう!」とアドバイスしました。 「年収は誤魔化せても、会社名と役職(社長)は正直に書かないと、婚活会社は受け付けてくれません。交際を始めると女性が調べて、年収がバレテしまいます」と言われました。 結局、彼は今でも独身の様です。

【1960年頃に結婚した男性の話し】
 大昔の羨ましい二人の男性(N氏とM氏)の話しです。 N氏はダンディで多趣味、話し上手な方でした。 M氏の方は、ブ男では有りませんでしたが、優しいと言う以外に褒め言葉が有りません。極普通の方でした。

 共通するのは、大学卒で、結婚した時期(1960年頃)がほぼ同じで、超高収入を得ていた女性の方からプロポーズされた事です。 二人とも結婚して最初の給料を奥さんに渡そうとしたら、「貴方の給料は当てにしていません。小遣いにして下さい」と言われたそうです。 N氏の奥さんはブティックを数店経営されていて、M氏の奥さんは美容院を数店持っていました。

 奥さん達は超多忙だった様で、結局子供は儲けられませんでした。今の様に保育園が沢山有って/充実していたら、子供を産んでいたかも知れません。

(余談) N氏は中規模の会社の重役になられ、M氏は大企業の部長になられたので、結構な年収が有ったと想像しますが、定年まで給料は全て小遣いだった様です。 私は、二人に二、三回・洒落た店で御馳走になりました。

【親の介護で結婚が遅れた女性】
 娘さんが一人の家が有ったのですが、娘さんが30歳くらいの頃、両親が相次いで癌になって自宅療養をしていました。 娘さんは会社を辞めて、両親の面倒を見ました。 二人を見送った時、35歳を過ぎていたと思います。

 近所の人達が結婚相手を探して上げようと努力しました。私の所に、「料理も上手だ・・・」と言う手紙を同封して、ポートレートが届きました。綺麗な優しそうな女性でした。出向していた会社に四、五歳年下の男性がいたのでポートレートを見て貰いましたが、会う所まで行きませんでした。

 結局、彼女が40歳になった頃、実家を処分して両親の故郷に帰って行ったそうです。暫くして、「結婚した」と連絡が有った様ですが、子供は授からなかった様です。

【難産だった奥さん】
 100所帯以上が入った社宅に住んでいた時の話しです。「YK氏は高級ソープランドに行っている」と言う噂が、社内と社宅で広がりました。 赤ちゃんを抱いたYK氏の奥さんを、私は社宅で時々見掛けました。まだ二十歳代の綺麗な方でした。 「初産が難産で、以来・怖くてセックス出来なくなってしまったので、高級ソープランドに月に一回だけ行って貰っている」と奥さんが言われたそうです。 そんな事を聞き出した人は、鬼ですね!

(余談) 社員の誰かがソープランド街に行って、たまたま見掛けたYK氏の後をつけて、噂を広めたのだと思います。「君もソープランドを利用したのだろう!」と言ってやりたかったです! 『武士の情け』は無くなってしまったのです。

【出産と転勤拒否】
 私が勤務していた会社では、理由の如何を問わず・転勤を拒否すると、その時点で昇格がストップしました。この社内ルールは、私が定年退職する時も存続していた様です。最初に配属された部にいた、数年先輩の男性社員二人の話しです。彼等の奥さんが相次いで出産されました。 出産二、三ヶ月後、それぞれに遠隔地への転勤辞令が出ました。彼等の奥さんは”産後の肥立ちが悪く”、二人とも転勤を拒否しました。

 その内の一人(KO氏)が、私が出向した会社に一年ほど遅れて出向して来ました。KO氏は仕事に情熱が湧かない、駄目社員になっていました。 KO氏は日本酒が好きで、私をよく呑み屋に誘うので、たまに相手をしました。彼の悲惨な人生を延々と話すので、楽しい酒にはなりませんでした。奥さんは、出産後・重症の鬱病になり、入院して時々自宅に帰り、数日後に入院する様な生活をしていた様でした。数年すると、医者の許可が出ても「病院の外は怖い」と言い出して、以来、病院を出る事が無かったそうです。(KO氏が奥さんと、普通に暮らしたのは3年ほどでした。)

 産後・1年程した時、奥さんの御両親が、「子供は私達が育てるから、娘と離婚して、新しい人生を始めなさい」と言われたそうですが、彼は断って息子を一人で育てました。最後にKO氏と会った時、息子さんは30歳程になっていましたが、「仕事にも就かず、僕から毎月小遣いを貰って、年上の女性と同棲している」と嘆いていました。

【子連れの女性と結婚した友人】
 入社同期の友人の二人(H氏とS氏)が、女の子を連れた女性と結婚しました。 そして、2組とも結婚して、直ぐに子供が出来ました。 H氏の方は、奥さんが専業主婦になられ、暫くして三人目も誕生して、三人とも立派に育てられました。 

 S氏の方は、奥さんが優秀な(コンピューターの)プログラマーでした。結婚した時、退職されて専業主婦になっていました。上の子は幼稚園児で、下の子が一歳になった頃、「高給を出すから、復帰して欲しい」と何回も誘われたので再就職しました。S氏は内心、再就職には反対だった様で、私と飲んでいる時、時々「僕より高給だから!」と寂しそうに言いました。

 40年ほど前でしたので、学童保育は充実しておらず、上の子は『鍵っ子』になってしまいました。小学校の高学年になった頃から、時々・登校しなくなり、無試験で入れる様な私立の高校に入学しましたが、殆ど登校せずに、中退してしまいました。

【鋭利な刃物が怖い】
 三十歳前後の二人の男性が電車の中で話していました。 「美人の○○さんは、まだ独身らしいね!」、「彼女は結婚出来ないよ! 包丁や針の様な鋭利な物が怖いらしい。 料理を作った事が無い」・・・と言うのです。

 知り合いの医者に話したら、『先端恐怖症』と言うそうです。「時間が掛かる様だが、治るケースも多々有る様だ」と言いました。 彼女の様な場合は、決して恥ずかしい事では無いですから、家族だけで悩まないで医師の力を借りるべきです。 多分、健康保険の対象になっていると思われます。

【子供がいると嘘ついた男性】
 大手重電(ME社)の協力会社に出向した時、ME社が雇った設計の派遣社員(T氏)がいました。 狭い設計室で、T氏と私・二人で仕事をしました。 T氏は楽しそうに、一人息子の話をするのです。

 二、三ヶ月後に、経理の女性に「T氏は息子の自慢話しをする」と言うと、「Tさんは、独身で御父さんと二人で暮らしている、子供はいませんよ!」と不思議そうに言いました。その後、私に嘘がバレたと気付いたのか?息子の話しはしなくなりました。 彼は日頃、「息子がいたら、こうして遣ろう!ああして遣ろう!」と想像して、楽しんでいたのだと思います。 だから、実際に有った事の様に話せたのだと思いました。

【不思議な男性の話し】
 これも、中小企業に出向した時の話しです。50歳代の男性設計担当者(N氏)を採用しました。 面接の時は、「某大手企業で20年ほど設計をやった」と言っていましたが、仕事を始めるとレベルが非常に低い事が分かりました。

 N氏の履歴書には『内縁の妻』との記載がありましたが、三、四ヶ月後に、N氏には正妻さんがいる事がバレテしまいました。N氏の給料は大学卒の新入社員程度しか有りませんでしたが、「その一部を正妻さんに渡して、学校の先生をしている『内縁の妻』の給料で生活している」と話しました。 二人の女性には子供はいませんでした。

 N氏は、ブ男では有りませんでしたが、中肉中背の話し上手でもない普通の男性でした。 N氏は、一年も経たない内に辞表を提出して、何所かに行ってしまったのですが、パートの女性達は「二人の女性がN氏を離さないのは何故か?」勝手に類推して、楽しそうに喋っていました。

(余談 :一生独身だった男性の話し)
 この話は、1995年頃に親しくしていた同僚から聞きました。 大昔、(多分・大正時代だったと思いますが、)大阪に長男(A氏)と次男(B氏)・二人息子の資産家が有りました。B氏は、勘当されて家を出た切り音信不通になってしまいました。 A氏が若い時に両親が亡くなられ、沢山の遺産を相続したそうです。

 遺産には数区画(数番地分)に建つ・賃貸の多数の長屋が含まれていて、第二次世界大戦時にこの長屋群は震災を免れました。 家賃の取り立てや長屋の補修などは、全て弁護士(C氏)に任せていました。 A氏は生涯独身で、古い実家で料理・洗濯・掃除を全て自分でやって、質素な暮らしを続けたそうです。 1990年頃から、年老いたA氏は通いの家政婦を雇って、1997年頃に亡くなられました。

 昔は”見合い結婚”が主流でしたが、「金目当ての話しが続いて、A氏は嫌になって、生涯独身だったのでは?」と、私は勝手に想像しました。

 A氏が亡くなられた後で、弁護士(C氏)が相続人の次男(B氏)を探したら、関東に住んでいた事が簡単に分かりました。 B氏は既に亡くなっていて、一人息子が生存されていたそうです。 二、三区画分の長屋を解体→整地→現物納付で税金を納める事になりました。

 私の同僚は、解体される長屋群に住んでいたので、心配していましたが、予想していたより高額の立ち退き料が出る事になりました。 彼は、その金を基にマンションが購入出来て喜んでいました。

脳死や植物状態になった人の生死

2020-08-29 07:47:47 | 社会問題
 今回は、非常に”重い”人の生死の話しです。世の中には色んな考えの方がおられますから、私の考え方に非難が噴出すると思いますが、敢えて書きます。 我が国の政治家達は先送り主義で、人の生死に関わる法律の整備は殆どして来ませんでしたが、真面目に議論して→決定しないと健康保険制度が崩壊する恐れがあります。

【人の生死と神の領域】
 私は医学には疎いので『脳死』と『植物状態(延性意識障害)』の区別が良くは分かりません。 然し、昔は両ケースとも助からなかったので、「神が定めた天寿を全うして死んだ」と皆が納得したのです。 換言すると、心臓が停止したら昔は死んだと誰でもが思いました。

 20世紀になって、医薬、医療機械、医療技術が進歩して、脳死状態になっても機械の助けを借りると、呼吸して”生きていく”事が出来る様になりました。 現在は、「生きている」と「死んでいる」の定義/判定が非常に難しくなっているのです。

 身内の方が治る見込みの無い状態になった場合、元気な内に本人が「延命処置を希望しない」旨の書類を作って置かないと、貴方が「生死の決断」を要求される恐れが有ります。 私は、主治医に頼んで「延命処置を希望しない」と言うカードを作ってもらって、何時も財布に入れて持ち運んでいます。 (家内と子供達に、その事を話しています。)

 脳死状態になって、機械の助けを借りて生きている人も『生きた人間』で、日本国民です。 国民が法律で与えられている権利の全てが保証されます。 選挙権、被選挙権、年金の受給権、・・・

 延命処置で発生する医療費は高額ですが、日本では、自己負担限度額を超える分は国が出してくれます。 高額の年金受給者の場合は、延命処置を施して少しでも長く生きてくれると、家族が豊かな生活を送れるケースも有ります。(私は、そんな家を知っています。)

 医療費も年金も大半は、現役で働いている人達が負担しています。平均寿命が高い事は国の誇りでは有りません。その分、若い人達が苦しい生活を余儀なくされているのです。「少子化の原因の一つだ」と私は思います。スウェーデンの制度を調査/検討して見る必要が有ります。

【脳死】
 日本は何も決められ無い国ですから、未だに生死の区別/判断を法律では定義していません。 その典型が、脳死状態になって機械に接続されて呼吸している人間の扱いです。法的解釈では「生きた人間」と扱うのだと思われます。 従って、臓器を移植するケース以外で、機械を外したり、停止させると殺人罪に問われます。

 『臓器の移植に関する法律の第6条(臓器の摘出)』の規定は、『死体(脳死した者の身体を含む)』から臓器を取って良いとなっています。 従って、人口呼吸器を付けていた人から、臓器を摘出する為には、人口呼吸器を取り外し→死んで頂く必要が有ります。

【父が死んだ時の決断】
 87歳の父を救急車で病院に運んで貰った時、84歳の母はまだ元気でした。 入院して二、三時間後に、先生は母では無く、私だけを別室に呼んで、「もう意識は回復しません。機械に繋いだら生きる事は出来ます。一度機械に繋いだら、法律で外す事は出来ません。どうされますか?」と聞かれました。

 私は迷うことなく、延命処置はしない様にお願いしました。その後・数時間して父は亡くなりました。母にも、姉達にも相談しないで決断しましたが、誰も非難はしませんでした。

(父が好きでした!) 延命処置は望みませんでしたが、私は父を尊敬し/好きでした。 父は息子が欲しかったのですが、生まれた五人は女の子で、諦めていた時に待望の男の子が出来たのです。 溺愛では無かったですが、父は私を大切に育ててくれました。 色んな所に連れていってくれ、色んな仕事を一緒にやりました。 楽しい思い出が沢山有ります。

【母が亡くなった時】
 父が逝って20年後に、母も病院で103歳で亡くなりました。 その時、医者は延命処置については何も言いませんでした。

【脳血栓で動けなくなった方】
 我が家と親しくしている家の主人(S氏)が、13年ほど前(60歳の時)に脳血栓で動けなくなり、喋る事も出来なくなりました。 手と顔は少しだけ動かせました。 寝込んでからの彼の唯一の楽しみは、テレビで野球を観戦する事でした。 ドラマ、歌、ニュースなどは見ても理解出来無かった様です。 倒れた時に、幼い孫が二人いましたが、可愛がる余裕が無く、寧ろ、騒々しいと嫌がった様でした。

 女性看護師(?)を連れた医者が定期的に訪問し、身体を洗う介護士が週に一、二回来て、更にリハビリ担当の介護士まで来ていた様です。結局、S氏は寝込んで13年間・一言も話せず、起き上がる事も出来ませんでした。 何年か経った時に、「いくら何でもリハビリは不要だ!」と私は思いました。

 寝込んで10年ほどすると、奥さんが介護疲れで・気の毒な状態になりました。その頃、S氏が肺炎になり、医者が「普通の治療をすると、助からない! どうされますか?」と聞かれたそうです。その時、私は奥さんから相談を受けたので、「もう十分介護したのだから、普通の治療にされたら!」とアドバイスしました。 奥さんは暫く悩まれた後で、「主人の死を私が決めるのは怖い!特別な治療をしてもらいます!」と言われました。

 症状は段々と悪化して、3年ほど前には野球観戦も出来なくなってしまいました。そんな状態になっても、「駄目だ!」とか「嫌だ!」とかは、手で合図する事は出来ました。まるでワガママな幼児の様でした。

 今年になって病状が悪化して、血液中の酸素濃度が低くなり、医者は気管切開を薦めたそうです。 奥さんは大決断して、気管切開は拒否されました。 そして、救急車で運ばれて集中治療室(ICU)で二、三週間治療を受け→退院→救急車・・・を何回か繰り返しました。 そして、先日・亡くなられたのです。

 13年間の在宅介護は大変です。「映画やデパートに行ったりして、たまには気晴らしされたら!」とアドバイスしましたが、「留守の間に死んでいたら、一生後悔すると思う」と言われて、近くのスーパーに行くのと、美容院に時々行く以外は出掛けられませんでした。

 S氏は中規模の会社の重役でした。その会社には企業年金制度が有り、寝込んでからは身体障害者の扱いでしたから、お金は沢山入った様でした。 「生きていてくれたら、沢山お金が貯まるのよ!」と、奥さんは自嘲する様に言われていました。

(昔だったら!) 私が子供の頃にS氏の様になられたら、長生きは出来なかったでしょう。 「S氏にとって13年間は価値/意味が有ったのか?」疑問です。犠牲を強いられた家族にとっても、13年間は価値は有ったのか? 「医学の進歩は単純には喜べないのでは?」と私は考えています。

ある賃貸マンションとコロナ対策

2020-04-11 12:09:35 | 社会問題
 安部総理はやっと重い重い腰を上げて、好い加減で、無責任で不十分な緊急事態宣言をしました。今回は、安部総理に「君達はリタイアした用済みか、国家の役には立っていない人間だから面倒は見れない。自分で頑張って生き残ってくれ」と言われている様な人達の話しです。

【はじめに】
 私は、大阪市内の小さな賃貸マンションの管理をしています。 そこの住人(19人)と政府の新型コロナウイルス対策について考えてみました。住民の所得は、(多分)全国平均より少ないと思われます。 老人が多いですが若い人もいるので、年齢は全国平均ほどだと思われます。

 4月10日時点では、(幸いにも)住人に感染者はいない様です。然し、感染すると助からないと危惧される方が何人もいます。

【推奨記事】
 アメリカのニュージャージー州で活躍されている日本人・医師(斎藤孝氏)とダイヤモンド社の杉本りうこ氏のインタビュー記事を是非とも読んで下さい。 (ニュージャージー州は、コロナウイルスの拡散が凄まじいニューヨーク州の南側に隣接しています。) テレビでは報道されていない、生々しい事が書かれています。多くの方に読んで頂きたいので、友達に推奨して下さい!

タイトル :日本の緊急事態宣言が遅すぎる理由、コロナ最前線の米医師が戦慄の提言
掲載日 :2020年4月7日
https://news.livedoor.com/article/detail/18081562/

【マンションの概要】
 築後33年、鉄筋コンクリート造りで南北に二棟有ります。エレベーターは有りません。 地下鉄の駅から徒歩3分弱の所にあり、半径1km程の範囲内にスーパーが6店舗、ドラッグストアが4店舗、近所には飲食店が沢山有るので、便利です。 間取りは、6畳二間、6畳程の台所、風呂、トイレと、各室南北にベランダが付いています。

 最寄りの駅から、ほぼ30分程で環状線の内側の何処にでも行けます。近くに町工場が多数有るので、徒歩か自転車で通勤している方が3人います。

 徒歩数分の範囲内に、病院一か所、介護施設一か所、開業医は多数有ります。

【マンションの住人】
 この賃貸マンションは交通の便が良いのと、家賃を低めに設定している為か?空き部屋が出来ても直ぐに入居します。現在は満室です。12室の住人(合計19)を以下に整理しておきます。

 極最近、厚生労働省が『LINE』を使って健康調査を始めましたが、このマンションで感染すると命が危ないと思われる人は、スマホを持っていません。私の予想では、80歳以上の人でスマホを持っている人は少ないので、『LINE』を使った調査は気休めにしかならない様に思います。(私は、2回とも直ぐに返信しました。)

凡例 :★=無職、 ☆=勤務、 ▲=子供
⑪ :介護ヘルパー派遣会社の事務所
⑫ :2名 ;★男性(80歳)、★女性(80歳) ・・・二人とも毎年一回は入院
⑬ :3名 :☆男性(50歳代)、★女性(60歳代)、☆女性(20歳代) ・・・60歳代の女性は寝たっきり
㉑ :1名 :★女性(75歳) ・・・足が不自由、ホームステイを利用している。朝鮮籍?
㉒ :2名 ;☆男性(40歳代)、☆女性(60歳代) ・・・親子
㉓ :1名 :☆女性(40歳代)
㉔ :2名 ;☆女性(30歳代)、▲幼児(4歳) ・・・フィリピン人
㉛ :1名 :★男性(73歳)
㉜ :1名 :☆女性(70歳) ・・・少し足が不自由
㉝ :2名 ;☆男性(40歳代)、☆女性(60歳代) ・・・親子
㉞ :3名 :☆男性(30歳代)、★女性(30歳代)、▲小学生(10歳) ・・・中国人
㊶ :1名 :☆男性(40歳代)

【重篤化の恐れ】
 このマンションには感染すると重篤化する恐れの有る人が、少なくとも四人います。

 ⑫の二人は、高齢で持病が有るのでコロナウイルスに感染したら、重篤化する恐れが有ります。 二人は交互に、毎年一回は入院しています。買い物に奥さんが出掛けられますので、菌を持ち帰る可能性が高いです。(固定電話しか持っていません。)

 ⑬の女性は、数年前から寝たっきりの状態の様です。男性(夫)と娘さんが働きに出ているので、ウイルスを持ち帰る恐れが有ります。(娘さんはスマホを持っています。)

 ㉑の女性の持病の有無は分かりませんが、殆ど歩けないので運動不足になっているのは確実です。時々、シルバーカーを押して散歩していますが数百メートル歩くのに1時間ほど掛かり、座り込んでしまうと自力では立ち上がれません。 30年以上前に入居した時は旦那さんと同居でしたが、現在は国内に身内はいない『天涯孤独』の様です。(固定電話しか持っていません。)
 彼女は昨日(4月10日)もホームステイに行きました。そこは特別養護老人ホームを兼ねた所なので、コロナウイルスが持ち込まれると大変な事になりそうです。この種の施設は「真っ先に出入り禁止にすべきだ」と、私は考えます。

【自宅療養】
 「37.5℃以上の高熱が4日以上続くまでは、自宅で療養しなさい!」と言うのが政府の方針ですが、このマンションは狭いので、複数で住んでいる部屋の一人が感染すると、同居人に移してしまう可能性が極めて高いでしょう。 住人が複数の部屋は、3密(密閉空間、密集場所、密接場所)と言えます。

 大金持ちの場合は自宅療養は可能かも知れませんが、多くの家では家族間の感染は避けられない様に、私は思います。

【現金の給付について】
 政府は一所帯当たり30万円給付すると言っていますが、給付条件が厳しいので、このマンションの住人の多くは該当しないのではと思います。現在公表されている給付条件と、その説明を以下に整理しました。

 政府は、給付の事務処理は地方公共団体に任せるつもりで、「給付条件を厳しくしたら申請者が少なくなるから、窓口がパンクしない」と考えていると推察します。然し、自営業者等が会計士などに相談して、条件をクリヤーする書類を作成するのでは? 政府が想定している以上の申請が出て、審査に手間取り、長い行列が出来たら感染を拡大する恐れが有ります。

 現金の給付には、①生活を支援する、②短期間に使って、経済を活性化させる、という二面が有ると思います。麻生財務大臣が言われた様に、国民全員に給付したら年金や生活保護で生きている人は、少しずつしか使わないと思われますが、気前良く全員に支給する案に私は賛成します。 (「全員に配布したら、国会議員や給与の減らない公務員も対象になってしまう」と総理は発言されましたが、私なら「国会議員、知事、市町村長、地方議会議員、公務員と年収が2,000万円以上の民間人を除外する」とします。)

 この賃貸マンションの住民の多くは、『底辺で生きてきた人、底辺で生きている人』です。 「感染したら助からない!」、「感染したら子供をどうすればよいのか?」など、皆さん半分諦めながら暮らしていると思います。 この際、硬い事を言わずに、住民全員に30万円給付して「生きていて良かった!」と思わせてやって下さい。

給付条件① :世帯主の2~6月のいずれかの月収が新型コロナ発生前よりも減少して、個人住民税が非課税水準となる世帯。

★ 所帯主が夫で、奥さんにも収入が有ったケースでは、奥さんが首になっても対象外です。
★ 非課税水準とは、「東京在住の夫婦二人の所帯で年収が『156万円』以下」と言うことです。
★ 元々、所帯主の収が156万円以下の場合は、年収が更に低下しないと給付されません。従って、年金や生活保護だけの所帯では、収入は減少しませんから給付の対象外になります。

給付条件② :月収が半分以下となり、個人住民税非課税水準の2倍以下に落ち込む世帯。

★ 「非課税水準の2倍以下」とは312万円のことです。その倍は『624万円』ですから、624万円が312万円以下に低下する事が証明出来たら30万円貰えます。 (コロナウイルスの蔓延が収まって、収入が元に戻ったら30万円の一部を国に返すのでしょうか?)

★ 現在公表されている条件を文面の通りに解釈すると、所帯主の年収が623万円のケースでは312万円まで低下しても「半分以下」にはなりませんから、給付されない事になります。この場合は、「給付条件①」に該当しないと給付されません。即ち、623万円が156万円以下まで下がったら30万円給付されます。 余りにも不公平ですから、実施までには条件の見直しが行われると、私は政府を信じています。

(馬鹿馬鹿しい見直し) 昨日(4月10日)になって、「(地域によって異なる)非課税水準をベースにするのを止めて、全国一律にする」と言い出しました。 実施までに・まだまだ修正せざるを得なくなると私は予想しています。 然し、頑固な安部氏の事ですから、このマンションの住人に給付する所まで妥協するとは思えません。

【私のコロナ対策】
 妻と私は70歳を超えています。二人とも持病は有りませんが、感染すると重篤化する恐れの有る年です。 妻は以前から出掛ける時はマスクをしていましたが、私も今週からマスクをしています。 階段に手摺を設けた所が多くなっていますが、手摺に触らない様に注意しています。 3月の中旬から、二日に一度くらいしか外に出ない様にしていますが、毎日・10分×2回・屋内で体操をしています。

 新型コロナウイルスの初期段階で、嗅覚が無くなる人が多いいと聞いたので、毎日”酢”の臭いを嗅ぐ事にしています。 (人は加齢とともに嗅覚が低下して、男性の場合は80歳過ぎると急激に低下して殆ど臭いが分からなくなるそうです。)

 私は、この賃貸マンション以外にも管理を任されていて、月に2回以上は電車で片道2時間弱の所に行っています。大阪メトロから環状線に乗り換える時、階段を歩くと6階か7階分を上り下りしないといけないので、そこではエレベーターを使用してしまいます。 狭い空間ですから、感染者がいたら確実に感染すると思います。 当分は、出来るだけ行くのを止めようと考えています。

 この近所のスーパーやドラッグストアでは、キャッシュレス化が進んでいません。現金での買い物をせざるを得ないのです。 政府が「現金の遣り取りでの感染する可能性」を調査して、公表して頂くと有難いです。もしも、感染のリスクが高いのなら、クレジットカード決済の出来る、少し遠いいスーパーを利用しする事にします。

【皆さんにお願いしたい事】
①スーパーに行くと、食品トレイを”いじくり回して”いる人が、結構多いいです。感染している人が触ったら、トレイに菌を塗り付けている事になります。 感染が収まるまでは、止めましょう! 

②最近・暖かくなってきたためか、マスクもしないで道路の脇に座って、通行人を観察している人を時々見掛けます。「私を感染させて下さい」と言っている様なものです。止めましょう!


政治家や官僚と賄賂 (その6)

2020-03-28 11:13:07 | 社会問題
 ”金”に関する不正を減らしましょう! 今回は、不正を減らす対策について書きます。

【結論 :私の提案】
 サラリーマンは税金や社会福祉の掛け金を給料から天引きで、”きっちり”と徴収されますが、中小企業の社長や開業医等は子供に車を買ったり、その車のガソリン代を経費で落としたり出来ます。不公平だと思いませんか?

 私は2月8日から5回に分けて、「政治家、官僚や民間人の金に関する種々の不正や、その黒い金をどんなにして調達して来たか?」について書きました。 種々の不正が横行しているので、「こうすれば、不正はなくなる」と言う妙案は有りません。 少しずつ、減らしていく継続的な努力が必要です。

 私は、以下の①~⑤を同時に進めたら、大口の”金”に纏わる不正を大幅に減らせると思います。

① キャッシュレス化を進める。
② 金を扱う全ての組織に番号を付ける。
③ 金融機関の口座と、マイナンバー及び②の番号を連結させる。
④ 大口の取引の書類は電子化を義務化し、相手の番号(マイナンバー及び②の番号)を記載させる。
⑤ 高額紙幣を廃止する。

【お金に関する不正を減らそう!】
 「お金が欲しい!」と言うのは、誰にでも有る『煩悩(ぼんのう)』の一つです。大抵の人は、「不正の金は欲しくない」と言われますが、「誰もいない所で、目の前に札束を積まれたら欲望を抑える事が出来なくなる」と私は思います。

 お金になる権力を握った人の周りには、金を”そっと”持ってくる悪魔が”うようよ”と集まって来ます。 現在は、超大形のコンピューターが比較的安価で買えますから、政府と政治家達がその気になれば、悪魔が近づけ難くする事は出来ます。

 日本でも(遅ればせながら)個人の識別番号(マイナンバー)と法人番号が導入されました。 私は、お金を扱う全ての団体に識別番号を与え、金融機関の口座に連結させて、さらにキャッシュレス化を進め、2000円以上の高額紙幣を廃止したら、お金に関する不正は激減出来ると思っています。

 将来、キャッシュレス化が進んだ時に、田中角栄氏の様な強力な権力を握った政治家が出てきたとします。闇献金が銀行振込でしか出来なかったら、振込側も、受け取り側も難しくなります。 (これは、今・まさに中国が進めている腐敗防止対策です。)

【識別番号の現状】
 日本に住民票が有る人間には、全て国民識別番号(マイナンバー )が振られます。税金を取るために株式会社などには、国税庁が法人番号を付けています。 然し、税金が免除される組織の場合は全てでは有りません。

 私は、お金を遣り取りする組織/団体には全て番号を振るべきだと考えます。そうすれば、金の流れを把握する事が今よりは簡単に出来ます。特に政治団体には必須です。

 近年、写真付きの身分証明書の提示が要求されるケースが増えて来ています。金の遣り取りのケースでは、マイナンバーカードに限定し、取引の書類にマイナンバーを記入させるべきだと考えます。

① 法人番号 :国税庁
② 国民識別番号(マイナンバー ) :市区町村長が住民基本台帳(住民票)を元に発行
③ 政治団体の識別番号
④ 一般社団法人
⑤ 一般公益財団法人
⑥ 宗教法人 :寺、神社、教会、新興宗教
⑦ 教育機関
⑧ 労働組合
⑨ 各種団体/組合などなど
⑩ 町内会

(余談) マイナンバー制度に、何故か左派系政党が反対して導入が遅れたのです。1980年代前半に、関東地方建設局(関東地建;現在は関東地方整備局)がマイナンバーのためのコンピューター・センターの建設計画を進めていました。私は非常用発電設備の営業活動のために何回も関東地建を訪問しました。計画は順調に進んで何時でも着工出来る状態になっていたと思いますが、社会党の猛反対で実現しなかったのです。

【キャッシュレス化の世界状況】
 「個人情報が全て、国などに把握されてしまう」等を理由にして、キャッシュレス化に反対する方が沢山おられる様ですが、キャッシュレス化は世界的な流れです。 「2007年から2016年で、各国のキャッシュレス化がどの程度進んだか」を以下に整理して見ました。日本とドイツが遅れています。

参考資料 :世界のキャッシュレス比率から日本のキャッシュレス化の現状を解説!
https://www.ebisumart.com/blog/cashless

★ 韓国  :2007年:61.8%→2016年:96.4%
★ イギリス  :37.9%→68.7%
★ オーストラリア:49.2%→59.1%
★ カナダ :49.0%→56.4%
★ アメリカ:33.7%→46.0%
★ フランス:29.1%→40.0%
★ 日本 :13.6%→19.8%
★ ドイツ :2007年:10.4%→2016年:15.6%
● 中国 :2016年には60%程、現在はもっと進んでいると思われます。

【リクルート事件のあと】
 1988年にリクルート事件が発覚しました。リクルート社は、裏金を渡すと言う昔からの方法では無く、値上がりが見込める未公開株を譲渡すると言う『画期的な手法』を考え出したのです! 私は、素人が考え出した『馬鹿な手段だ!』と思いました。 賄賂には”足のつかない金”が鉄則です。株の取引には必ず金融機関が介在するので、検察が調べ始めたら”白を切る”事は不可能です。

 戦後・少しずつですが、国会議員が黒い金を集めなくてもやって行ける様に、改革が進みました。一番効果が有ったのは、リクルート事件後に政党交付金制度を導入し、衆議院を小選挙区比例代表制にした事だったと思います。政党交付金は25年も前に始まりましたが、金額は殆ど増えていません。

① 公設第一秘書 :1947年から
② 公設第二秘書 :1963年から
③ リクルート事件の発覚 :1988年
④ 政策担当秘書 :1994年から
⑤ 政党交付金 :1995年から(約302億円)→2019年≒318億円
⑥ 衆議院を小選挙区比例代表制に :1996年~

【政治家の不正を減らす】
 政治家への闇献金は、1990年までと比較すると、現在は激減している様に思います。最近の政治家は”金”より”票”が欲しいのです。(昔は、金で票を集めたのです。)

 河井克行/案里夫妻がウグイス嬢等に法定額以上の給料を支払った様な問題は、法律を現状に合う様に改定しない限り、今後も発生すると予想します。(自民党から案里議員に1.5億円もの大金が支給されたと報じられましたが、その用途に関する報道は有りません。正常な選挙運動にそんな大金が必要な分けがないので、不正を行ったのでしょう? ウグイス嬢より、そちらの方が問題だと思いませんか?)

 「政治家が不正を繰り返すと、国民の政治への関心が薄れて、投票率は低下していく」と私は恐れています。民主主義の根幹は、選挙で投票することです。 その対策について、長年考えてきた私の提案を次回に投稿する予定です。

【役人と天下り役人の不正を減らす】
 入札情報と引き換えに、企業に金を要求する役人や元役人の不正は、金額が大きいので前述の『私の提案』で減らせると思います。

 2018年4月27日に投稿した、『せこい役人の話し』に書いた様な不正は、数千円~数十万円と少額なので撲滅は難しいと思います。10万人の役人が、一人平均10万円の不正な金を受け取っても、100億円です。役人のモラルを向上させるのは至難の業ですから、この程度の不正には目を瞑るしか方法が無い様に思います。

【個人の不正を減らす】
 オーナー会社の社長が業者に支払った金の一部を現金でフィードバックさせる様な、大口の不正は前述の『私の提案』で減らせると思います。

 業者に品物を要求したり、数万円の金を要求する社員の不正を減らすのは難しいと思いますが、企業が進めているコンプライアンス運動の中に、この手の社員の不正を含めたら激減するかも知れません。日本の企業にとっては信用が大切ですから、役人の不正よりは減らせられると思います。

【相続税の節約】
 高齢の金持ちの関心事は、相続税の節約です。 私は高齢ですが子供に残す金が無いので、相続税を減らす方法を考えた事が有りません。然し、色々工夫している方を知っています。

 私の乏しい知識で考えた相続税の節約方法を下に列記します。いずれも、本人が生きている間は違法では有りません。亡くなった親から貰った③と④の品物を売る時にマンナンバーを記載させるなどによって、不正を減らせるでしょう。(現在は、写真付きの身分証明書の提示が要求されるだけです。)

 ②の現金を残すケースについては、二千円以上の高額紙幣を廃止すれば、ほぼ無くなると思います。 (千円札で一千万円の物を買う為には、銀行の帯封の付いた札束が100必要です。)

 超・超金持ちは、スイスの銀行に預けて脱税する事が可能です。 2010年頃から段々とスイスの銀行も、各国からの圧力で秘密保持が難しくなって来ています。現在・既に建前上では、日本政府が情報開示依頼をスイス政府に出し、スイス政府が銀行に情報開示を指示すると、銀行は従わなければならない様です。

① 外国の銀行に預ける :スイスの銀行など
② 箪笥貯金 :現金を保管
③ 金、白金、宝石、絵画、美術工芸品
④ 記念硬貨 :特に金貨

(余談) 先日、酒の買取店の店員と話していたら、「サントリーの山崎・50年が3,000万円で売れた」と言っていました。 ほんとか?と思ってRakutenで調べたら、なんと!3,880万円円で売っていました。ウイスキーも投機の対象なんですね!

(馬鹿馬鹿しい例) 某中小企業の社長(T社長)は、少しずつ脱税してバブル景気の頃に庭付きの一戸建て住宅を五軒以上買いました。 2000年頃に取引先の大手企業から、定年まじかの優秀な社員を紹介されたのですが、彼の入社条件は社宅の提供でした。その時、私はT社長から相談を受けました。T社長は持ち家の間取り図を数枚出して来て、「どれがよいか?」と聞くのです。 奥さんが大反対されて、話は無かった事になりました。 T社長は、現在90才を超え、息子に社長を継がせていますが、健在で、固定資産税を30年程払い続けています。 築後30年程になりますから、家屋の価値は有りません。地価も暴落していますから、T社長は大損をした事になります。