これ!どう思います?

マスコミがあまり報道しない様な問題を、私なりに考えてみます。

政治家や官僚と賄賂 (その5)

2020-03-21 09:42:29 | 社会問題
 今回は選挙の話しです。「政治には金が掛かる」とは、「選挙に金が掛かる」と同義語です。 昔の政治家は超高級料亭や高級ホテルで密会していましたが、その費用は選挙の費用と比較したら大した額では無かったと思います。

【ボランティアの選挙運動をやってみませんか!】
 リタイアされた方には、ボランティアでの選挙運動をお勧めします。 足腰が丈夫でしたら仕事は沢山有りますから、参加させてもらえます。特に、車を持っていたら大歓迎されるでしょう。 日本の選挙の問題点だけで無く、政治家の問題についても勉強出来ます。

 私は2009年7月の衆議院選挙で、民主党候補の選挙運動に参加しました。(この選挙で民主党政権が誕生しました。) 私は”手弁当”で参加したいと考えたので、最初に五万円政治献金しました。 (ちゃんと領収書を頂きました。) この時の話しは、本稿の最後に書きます。

 選挙運動に参加して、若い人達に参加してもらえる様な選挙運動にする必要が有ると痛感しました。選挙は、春休み/夏休み/冬休みに行う事にして、インターネットを活用する等したら、選挙が盛り上がり、投票率が高くなると思います。

【選挙と法律】
 公職の選挙については、1948年(昭和23年)に制定されたと政治資金規正法・1950年の『公職選挙法』に従って行わなければなりません。選挙で、やってはいけない事が細かく規定されたいる、先進国では珍しい法律の様です。 この法律は総務省の所轄だと思いますが、衆議院のホームページで『公職選挙法』で検索すると全文が読めます 選挙運動の規定の解説は『総務省❘現行の選挙運動の規制』で検索して下さい。

 公職選挙法の精神は「金を掛けない選挙をしなさい!運動は原則として無償のボランティアを集めてやって下さい。ウグイス嬢、手話通訳者や事務員には規定の給料を払って良いが、届が必要だ!」 法律に従った選挙をしたら、昔から(1950年から)そんなにお金は掛かりません。然し、現実には違法な事が半ば公然と行われてきたので、昔はトンデモナイ金が必要だったのです。

 時々問題になるウグイス嬢の給料は公職選挙法施行令の第129条「実費弁償及び報酬の額の基準等」に規定されています。 衆議院選挙の場合は、ウグイス嬢は連続12日間、朝8時から夜8時(12時間)働いて、最大で18万円しか貰えません。声が綺麗で、まあまあの美貌で若い女性を、こんな金額で雇えと言う法律が間違っています。 いっそのこと、「シルバーセンターに依頼しなければならない」と施行令に書くべきです。

① 公職選挙法&公職選挙法施行令
② 政治資金規正法&政治資金規正法施行令

【政治家への国からの補助】
 国会議員の受ける恩恵を以下に整理して見ました。落選して次の選挙を目指している政治家と比べると、国は現職議員に沢山お金を与えています。然し、野党議員でも地元に事務所を持っており、公設秘書以外の事務員を抱えているので、政治献金が必要です。政治力の無い議員は、自分の歳費を回す必要があります。

 私の独断と偏見ですが、有力議員の秘書は多忙で、秘書は三人では足りない様ですが、陳情者が殆ど来ない議員に三人も公設秘書が必要か?疑問に思います。

 国会議員の年金は2006年に、地方議会議員の年金は2011年に廃止されました。従って、現在・議員は国民年金に入る事になります。 老後を考えると、議員のうちに蓄財する必要が有ります。(地方議員の中で御用組合出身者は、会社の社員として厚生年金に加盟している人もいる様です?)

① 東京事務所 :衆・参議員会館 ;100m2 無料
② 地元事務所 :議員の自己負担
③ 東京の宿舎 :格安マンション ;3LDK(82m2)で8.4万円
④ 秘書 :国費で三人の秘書が雇える(政策担当秘書、第一秘書、第二秘書)
⑤ 旅費 :JRと飛行機の切符が国から貰える。
⑥ 文書通信交通滞在費 :100万円/月

【選挙の仕事】
 選挙には多種雑多な仕事が有ります。給料を払って良い仕事と、無給(ボランティア)の仕事が有ります。費用対効果の観点で法律を見直す時期ではないかと思います。例えば、ハガキやポスティングの廃止。 関西大学の三浦麻子教授は、「選挙カーは効果が有る」と報告していますが、顔と名前で投票するのは止めませんか!

❶ 出納責任者
❷ 選挙事務所の責任者 :仕事の分担、演説場所の決定
① ウグイス嬢 :有給
② 選挙カーの運転手 :有給
③ 手話通訳者 :有給
④ 事務員 :有給
⑤ 応援演説者
⑥ 電話掛け
⑦ ビラ配り
⑧ ハガキの宛名書き :衆議院選挙では35,000枚以下
⑨ ポスター貼り :有給
⑩ ポスティング
⑪ 街頭演説の準備/場所取り
⑫ 個人演説会の会場設定 :椅子を並べるなど
⑬ 昼食や飲み物の手配

【党員とボランティア運動員】
 前述の様に、選挙には色々な仕事が有るので、運動員が沢山必要です。然し、法律では一部の仕事を除いて無給(ボランティア)でやる事になっています。「候補者の後援会員と党員を動員して選挙しなさい」と言うのが法律の建前です。

 ウイキペディアで調べた近年の党員数を下に整理しました。公明党と共産党は全国で戦える党員数です。自由民主党の党員数は、ずば抜けて多いいですが、「汗水たらして選挙運動をする党員は極めて少ないのでは?」と推察します。「金持ちは喧嘩も、選挙運動もしない」のでしょう?!

 立憲民主党と国民民主党は党員数が少ないので、連合の支援が得られ無ければ選挙運動は難しいと思います。同じ選挙区に立憲民主党と国民民主党が、それぞれ候補者を立てたらどうなるか?連合がどちらを支援するか?興味深いです。

 日本維新の会は、歴史が浅く、党員も少なく、労働組合と財界(企業)の支援が殆ど無いと思われるのに、国政選挙を戦っている事に感服します。多分、党員で無い支持者達が選挙運動に参加しているのでしょう!

★ 自由民主党 :約107万人
★ 公明党   :約47万人
★ 日本共産党 :約28万人
★ 立憲民主党 :約6万人
★ 国民民主党 :約8万人
★ 社会民主党 :約1.5万人
★ 日本維新の会 :約2万人 ;衆議院=10名、参議院=16名

(余談 :自由民主党と選挙の方法) 私が見聞きした範囲から判断すると、自民党議員の選挙運動を熱心にやるのは、公明党の中年の婦人達の様です。自民党は党員を増やす運動をしていますが、”しんどい”選挙運動に参加して貰えない党員の数を増やしても問題は解決しません。大昔は手弁当で応援する旦那衆達が沢山いましたが、すでに絶滅しています。

 自民党は、党員組織の弱点/力を分析して、従来の人手の掛かる/騒々しい選挙方法を変えないと、法律違反で逮捕される議員は今後ますます増加する様に思われます。自民党にとっては、欧米先進国の選挙を参考にした、公職選挙法の改定が不可欠です。最近話題になっている河井夫妻は、「金で運動員を集める」と言う初歩的な法律違反をやった様です。党本部は、「地盤・看板・鞄」の無い候補者にどう戦えと指導しているのでしょか?

【昔の田舎の選挙運動】
 私は山奥の村で育ちました。戦前に水力発電所が3か所建設されていましたが、電気は町に送っていて、村の個人の家に電気が引かれたのは、私が小学校に入学した1952年頃です。殆どの家は電力計無しの一灯契約(?)でした。居間に電灯用のコンセントを一つだけ設ける、定額料金制の契約です。ラジオを含め、家庭電気製品は何も無かったのです。

 新聞を取っている家も殆ど有りませんでしたので、村の人達は「世の中のニュース」には疎(うと)かったのです。衆・参、知事と県会の選挙の時は、集落の人達が集まって、誰を応援するか? どの先生に集落の票を何票分けるか?等を相談して決めていました。

 2月8日に書いた様に、当時・『買収請負人』が活躍しましたので、集落の決定通りにはなりませんでしたが、それで咎められる事は無かったです。 父は何時も開票立会人を務めていました。「誰が集落の決定に従わなかったか?分かる」と言っていましたが、「どうして分かるのか?」は教えてくれませんでした。

(余談) 家で寝込んでいた病人は、青年達が担架かリヤカーで運んで投票させました。 病人は久しぶりに、外の景色を楽しめて良かったのかも知れません。

【昔の故郷の村長選挙】
 1965年頃、村に山林地主が二軒の残っていて、一軒は白浜の別荘で生活されていましたが、一軒(K氏)は村に住んでおられました。 村長選挙が近づくと、候補者達がK氏に支援をお願いしました。K氏は、自分の選んだ候補者に”ポント”選挙資金を提供したそうです。 私の父は、「K氏は金は出すが、口は出さない!」立派な方だと言っていました。

 選挙運動は、村に残っていた青年達が中心になって、お祭り騒ぎの様にして(ボランティアで)やっていました。 公職選挙法で(既に)酒宴を設けるのは禁止されていましたが、選挙期間中は、何処かの家に集まって、毎晩の様に”どんちゃん騒ぎ”をしていました。当時、村には居酒屋は無かったと思います。

 選挙が終わると、警察は落選した候補者と運動員を出頭させて、取り調べをしました。刑務所に入った人はいなかったと思います。安酒と裂きイカ程度では、”目くじらを立てる”程の金では無かったのです。 今から考えると、娯楽の少ない村の青年達にとっては、秋祭と同じほど楽しみな事だったと思います。 落選した人には痛手だったでしょうが、青年達が(自分達の楽しみの為に)、「野心の有る/裕福な人を煽てて立候補させたのは、民主主義を広める点で意味の有る事だった」と私は思います。 そうしなかったら、無投票当選になったでしょうから。

(余談) その後、国からの補助金で、各種道路(国道、県道、村道、農道、林道)の改修工事、簡易水道と簡易下水工事、学校の建替えなどが毎年の様に行われ、村長には『金の悪魔』が頻りに手を差し伸べて来るようになりました。村には、青年が少なくなってきた事も有って、お祭り騒ぎの様な村長選挙は無くなりました。

【明治生まれの人達が元気だった頃】
 私の父は衆・参と知事選挙の時は、家に帰って来ませんでした。特に知事選挙の時は一か月ほど留守にしました。何処で何をしていたかは一切話しませんでしたが、選挙運動をしていたのは確かです。義理の父も、元気な頃は家業をホッタラカシテ選挙で走り回っていたそうです。旦那衆達は『損得抜き/魂胆無し』のボランティアでやったのです。

 旦那衆達の活躍は段々と無くなりました。 逆に、日本は豊になって、土木工事が全国的に行われる様になりました。(土木工事が地方の重要な産業と言われる様になったのです。) 中小の土建会社が雨後の筍の様に設立されて、選挙運動に社員を派遣する様になりました。 私の従弟も土建会社を設立して、選挙に社員を出していました。勿論、土建会社は魂胆が有って、与党を応援したのです。 (企業が社命で従業員を選挙運動に参加させるのは、”違法”です。)

 全国的に土木工事の予算が増えなくなり、衆議院が小選挙区制になった事も有って、土建会社が社員を選挙運動に派遣する悪習は少なくなってきたと思います。 (現在は無いと信じています。)

(余談) 先見の明の有る暴力団の親分達も、土建会社を設立する様になりました。親分は息の掛かった人間を市や町の議員にまでしました。そして、継続的に土建の仕事を獲得する様になりました。現在は大分少なくなって来た様ですが、私の知っている暴力団の会社は今でも存在しています。

【連合が支援する選挙】
 初めに書いた様に、2009年の衆議院選挙で民主党候補者(D氏)の選挙運動に参加しました。その時に知った、差しさわりの無い話を書きます。

 D氏は、国会議員で有る他にキリスト教の牧師で有り、福祉団体の理事でした。国会が休みの日曜日には地元に必ず帰って来られて、牧師を務められていました。地元事務所には女性秘書が一人勤務していて、パートの女性一人と、時々ですがパートの若い男性が一人いました。 私は、与党議員の事務所を少し知っていましたが、公示されるまではD氏の事務所に出入りする人は無く、全く違う静寂の世界でした。

 私は、子供の頃は敬虔なカトリック教徒でしたので、牧師のD氏と宗教の話をしたかったのですが、水を向けても応じて貰えませんでした。 (本当に神を信じていたのか?少し疑問に思いました。)

 D氏は市民運動家の様な方で、既に6回当選していましたが、経済、産業、教育、防衛・・・には興味が無かった様に見えました。政治のドロドロした面にも興味が無かったと思います。 市会議員が、「市役所職員の天下り問題を、こんなに改善した」と言う話をしても、全く聞いていなかったです。

 D氏の後援会名簿を見せてもらいましたが、ビックリするほど会員が少なかったです。公示の少し前から、女性の会員(小母さん達)が、十人ほど事務所に出入りする様になりました。県会議員と市会議員から、後援会名簿が届けられました。 私は、やっと腕が振るえると思ったのですが、彼女達は躊躇い(ためらい)も無く、選挙ハガキの宛名書きを始めました。 法律で衆議院候補者の選挙ハガキは35,000枚以下と定められています。 私は、エクセルで名簿を作成して、『フィルター』機能を使って重複しない様にするつもりでした。 法定数を遥かに超える枚数の宛名書きが完了したら、真夜中に日本郵便の郵便区分機で町内毎に仕分けして、重複しているハガキを破棄しました。

 公示直前に東京事務所の秘書・二人がやって来ました。 二人とも「選挙は自分の仕事では無い」と言う態度で、傲慢/無礼で、選挙は素人だと直ぐ分かりました。公示日から連合が選挙事務所に沢山の運動員を連日送り込んで来ました。連合の責任者が、運動員の仕事の分担を決めていました。 私は、12日間の選挙期間中に、朝から晩まで外を走り回っていて、事務所には朝と昼食時間にしか行きませんでしたが、連合の責任者が東京の秘書に「東京に帰れ!」と怒鳴っている所に遭遇しました。 そこにいた人達は、「よくぞ言ってくれた」と言う顔付でした。

(トラブル ①) 公営の選挙ポスター掲示板の見回りが必要でした。私がチェックしていた範囲でも、投票所の近くの掲示板でD氏のポスターだけが3枚剥がされていました。

(トラブル ②) 私は二人一組で、市会議員達が了解を取ってくれていた家のヘンス等にポスターを貼って回りました。 奥さんが、「主人から、ポスターを貼りに来ると聞いているのですが、町内に○○会の方がおられて、嫌がらせをされるので勘弁して下さい」と、何軒も断られました。

(感想) 連合が全面的にバックアップしてくれる候補者の場合は、現行法の枠内で選挙運動をする事は出来ると思います。但し、連合の集票力は衰えている様に見えます。

(余談) 公示日と翌日くらいは、マニフェストやチラシを強引に渡す状態でしたが、欲しい人が段々増えてきて、在庫が少なくなって来ました。欲しい人にだけに渡す事になりましたが、「もう・これだけしか残ってない! 明日からどうしようか?」と言っていたら、党本部から追加が届く様になりました。 一週間程して、週刊誌が「民主党が勝利する」と報じ、私も選挙事務所で「民主党の勝利は間違いない」と言いたのですが、周りの人達は半信半疑でした。 (D氏は7回目の当選を果たされました。)

政治家や官僚と賄賂 (その4)

2020-03-07 09:33:29 | 社会問題
 今回は、「どんなにして裏金を作ったのか?」と言う話しです。「金が欲しい」と言う欲望は無くなっていませんから、今でも裏金造りは、何処かで毎日行われていると思います。

【チケットショップが開店しました!】
 1980年前半の話ですが、当時・私は東京勤務でした。新聞に小さく、「御徒町にデパートの商品券を売る店が出来た」と言う新聞記事を読んで、興味を惹かれたので”半ドン”の土曜日に行ってみました。駅から直ぐの所に小さな店が有り、私は探偵の様に電柱の陰から様子を伺いました。風呂敷包にデパートの商品券を沢山入れた男性が入って、数百万円受け取って帰りました。十数分すると、アタッシュケースを持ったパリッとした身なりの男性が来て、さっきの商品券を買い取っていきました。 (買い取った男性は、多分デパートの社員だと思いました。) 多分、この店は「デパートに商品券が入った」と電話したのでしょう。

 店に入ってみると、商品券は『5%引き』で売っていました。「実に旨い商売を考え付いたものだ」と感心しました。 さっきの取引が二百万円だとすると、30分もしない間に十万円も儲けた事になります。

 「何が行われていたのか?」、皆さん分かりますか? 合法的に”裏金”を作っていたのです。 A社がデパートから百万円分の商品券を買ったとします。A社は百万円分の領収書が貰えます。A社がCチケットショップに90万円で売ると、損した様に見えますが、実はA社は大儲けしているのです。

 90万円の使途不明金が出ると、A社は税務署に90万円納めなければならないのです。A社が90万円の賄賂を渡すためには、180万円の出費になります。 商品券方式だと100万円ですむ事になるのです。 (A社がデパートの商品券ばかり、多量に購入すると税務署が疑い出すので、他の手も考える必要が有ります。)

(余談) 当時・デパートの店舗数は多く、どこも結構繁盛していました。安い商品券が多量に出回るのは好ましく無かったと思われます。デパートは100円で売った商品券を95円で買い戻し、また100円で売ったら少し儲かります。現在は逆に、デパートは顧客数の減少が問題ですから、誰かが金を出して商品券を安く売ってくれたら、客が増えるので”大歓迎!”だと思います。

【神保町の古書店】
 東京勤務の頃は、週に二、三回遠方に出張していました。車内や機内で読書していたので、週に数冊読んでいました。半ドンの土曜日に、神保町の古書店で纏め買いしていたのですが、新刊が出た数日後に”真新しい本”がドサッと店頭に積んだ所が有りました。(ベストセラーの本は、ビックリするほど沢山積んでいました。) 確か?10%引き程になっていました。私は、高価な機械工学便覧を買いましたが、私にとっては機械工学便覧は非常に大切な存在だったので、買いながら「こんな貴重な本で裏金を作ってはいけない!」と思いました。

 当時は、政治に巨額の金が必要でしたから、裏金作りに精を出す社員が沢山いて、”あの手この手”知恵を絞っていたのだと思います。

【裏金を作る商社】
 某大手企業に機械設備を買って貰える事になったのですが、「数百万円上乗せするから、その分はフィードバック(領収書無しで、現金を返却)して欲しい」と、急に言われました。 仕方なく、顧客の地元の小さな『裏金作りの商社』経由にする事になりました。

 建前は、『顧客(A社)が→商社(B社)に発注する→メーカー(C社)に発注』です。 A社がB社の口座に『D円=D1円+D2円+D3円』を振り込むと、D1円を現金でA社に返し、B社の取り分(D2円)を残して、「A社とC社で決めた金(D3円)」をB社がC社の口座に振り込む。 通常の商社経由の案件では、製作打合せや引取り検査に商社は立ち会いますが、この手の取引では、商社の仕事は金の遣り取りだけします。

 当時の営業部長は、入社以来・工場の製造畑で活躍された方で、商売についての知識/経験は殆ど有りませんでした。部長は商社経由にする事は認めたのですが、「銀行保証を付けろ」と言って、一歩も引かないのです。

 銀行保証を付けた事は、銀行は商社には秘密にしてくれるのがルールですが、この時は商社にばれてしまいました。 この手の商社は『信用が命』なので、「本件には関わらない」と強い口調で営業担当者に言ってきました。 顧客の担当者、営業担当者が商社の重役を説得する場に、私は立ち会いました。 私の役割は、「営業部長が技術屋出身で、世間知らずで、商売のルールを知らない頑固もんだ!」と言う様な話をする事でした。 何とか説得して事なきを得ました。

 私は技術屋ですから、裏金を受け渡す現場は見た事が有りません。 殆どのケースは数百万円でしたが、一億円と七千万円が動いたと思われる案件を知っています。 こんな大金を税務署に見つからない様に動かすには『裏金作りの商社』の手助け無しでは不可能だったと思いました。 全国で年に一兆円とか二兆円の裏金が動いていたのです。私は裏金造りの方法に非常に興味が有ったのですが、関係者全員が口が堅くて聞き出せ無かったです。

(余談) 私は、この営業部長を技術屋としては尊敬していました。彼は高卒でしたが、難しい機械加工技術を開発したり、欧米から最先端の測定装置や工作機械を導入しました。当時、部長以上はほとんど派閥人事でしたが、彼はどの派閥にも入らず、実力で若くして工場の製造部長になり、50歳を過ぎて営業部長になられたのです。営業部長になってからは、世の中のルールを無視されるので私は何回も酷い目にあわされました。

 営業部長は東京勤務でした。私達がフォローしていた九州の案件が受注直前まで進んで、「顧客の重役に挨拶に行って頂きたい」とお願いすると、「僕は忙しい、一億円程度の案件では行けない」と言い張られました。入社した頃の上司が他事業部の専務になっておられたので、お願いすると、気軽に引き受けて頂いたので事なきを得ました。他にも何回も、何回も同様の被害に遭いました。

【裏金が作れる設計事務所】
 2000年頃に小さな会社に出向していた時に、ベトナムから受注しました。商社から顧客を接待する金を用意する様に指示が有りました。「接待は商社でするが、その費用は君の会社持ちで、領収書は出さない」と言うのです。300万円ほどでしたが、小さな会社でしたから、そんな大きな使途不明金を出したら税務署に睨まれるのは必定です。社長と二人で悩みました!

 その会社に出入りしていた小さな設計事務所の社長が、表敬訪問に来ました。社長が「裏金300万円作るのに困っている」と愚痴を言うと、設計事務所の社長が「お力になりましょうか?」と言ってくれました。 この設計事務所の仕事の大半は、地方公共団体から頂いていたので、裏金造りは得意中の得意だったのです。

(余談) ご存知の通り、ベトナムは共産国です。機械の受け取り検査に来た方達は、国営企業のトップクラスの人達でした。滞在したのは一週間ほどでしたが、機械を見たのは二、三時間で、後は温泉地巡りの豪遊をされて、大満足で帰られました。 (どこの国の人間でも同じですね!)

【空出張】
 全国で営業マンと設計が十数人ほどの小規模な部隊の話しです。官庁向けの仕事は少なく、裏金も余り沢山は必要では無かったのですが、年間二百万円ほどは要った様でした。

 出張届にハンコを押してもらうと、領収書無しで旅費、宿泊費、日当などが現金で支給されていました。営業担当者達と顧客回りの設計担当者達が、カラ出張してチビチビと裏金を作っていました。 営業担当者個人名義の口座に貯めていましたが、魔が差して使い込んだ輩がいたのです。彼は返済して事なきを得たのですが、当時・私の隣の席に座っていた設計担当者が金を預かる事になりました。

 彼は、私と同じ貧しい家の出で、入社以来ずっと親に仕送りを続けており、『酸いも甘いも嚙み分ける』尊敬すべき人物でした。私同様に超多忙でしたが、毎日の様に持ってくる少額の裏金を、いちいち銀行に持って行っていました。 こんなに苦労して貯めた金が、「良からぬ人間に渡って、良からぬ事に使われる」と考えると、少し腹立たしかったです。


政治家や官僚と賄賂 (その3)

2020-02-29 11:05:36 | 社会問題
 今回は、「どんなにして貴方に魔の手が伸びてくるのか?」と言う話しです。 にわかには信じられない話しも書きますが、断じてフィクションでは有りません。 (私は、土曜日に投稿しているのですが、27日(木曜日)に『新型コロナウイルスと政治(その2)』を急遽公開しました。是非読んで下さい。)

【関西電力の不正】
 2019年に関西電力の重役達が高浜町の元助役から多額の現金や物を受領していた不正が発覚しました。 問題の根本は未だに報じられていない様に私は思います。

 電気料金は、電気事業法で「掛かった費用✖〇〇係数」となっています。「〇〇係数」は国が決めるので、電力会社は「掛かった費用」を大きくすると、売り上げ額や『利益』が増えます。(通常の民間企業の常識とは真逆です。) 電力会社は国が認めてくれそうな価格まで、『買値を高く』する必要が有るのです。

 『買値を高くする』にはどうしたら良いか? 種々の理由を付けて『随意契約』で発注します。企業間の競争が無いから、幾らでも高く買えます。 一例を挙げると、塗装工事が必要になったとします。出入りの業者(A社)に発注します。 A社は塗料メーカーから塗料を買いますが、缶のシールを剥がして、A社が製造した『特別な塗料』で有るかの様なシールを貼ります。こうして置けば、万一国の検査が入っても、塗料を不当に高い価格で購入した事はバレません。

 関西電力の重役達は、「元助役が何をするか?分からない怖い人間だったから、受け取って/返せなかった」と言い訳していましたが、本当に隠したかったのは、『掛かった費用』を水増ししていた事だと私は思います。少し頭の切れる方が電力会社と取引したら、問題の本質が分かると思います。 元助役は、この不正な料金制度を利用して、関西電力に食い込んだのでは?

 私は、関西電力の重役達が悪いのではなく、寧ろ・こんな料金体制を続けてきた国と、それを問題にしなかった我々国民が悪かったのだと思います。貴方が、関西電力の重役だったとして、元助役から、「買値を高くする不正をバラス」と脅されて、毅然と対応出来ますか?

 政治家の一部は電力会社の支援を受けており、野党を支援している連合には、電力会社や、電力会社から仕事を貰う会社の御用組合が入っています。 従って、政治家が電気料金体制の不備を正すのは難しいと思います。 官僚の一部が、この問題を緩和する手段として考え出したのが『電気料金の自由化』だと私は受け取りました。

 多分、「電力だけ自由化するのは不公平だ!」と誰かが言い出して、「ガスも自由化」する事になったのでしょう。 一見・公平な様に思いますが、現在の電力会社とガス会社では体力に差が有り過ぎます。電力会社には原子力発電所の稼働率低下、LNGが長期契約で通常の国際価格より高い、古い発電設備を多数保有する等の重い足枷が付いていますが、数年先には足枷を外して、ガス会社を壊滅させるのでは?と私は心配しています。

 電力会社とガス会社が、通常の民間会社となる『料金体制』を考え出す必要が有ります。でないと、元助役の様な人間が暗躍する事になってしまいます。私は前から考えていますが、まだ妙案が浮かびません。皆さんも考えて下さい‼

(余談 :月夜の晩ばかりでは無いぞ!) 関西電力の重役達は、「高浜町の元助役が怖くて、金品を返せなかった」と言い訳していましたが、私も脅迫された事が有ります。製紙機械を製造する小さな企業(N社)に出向した時に、製紙ラインの多くに採用されているカナダ製の装置の特許を調べました。カナダの某社(K社)が2件特許を持っていましたが、とっくの昔に期限切れになっていました。

 カナダのK社は、予備品を異常に高い値で売り、納期が一年と言う『殿様商売』をしていました。改造には一切応じず、使い勝手の良い様に工夫する製品開発も一切しませんでした。私が出向する前から、N社は強く頼まれた製紙会社に限って、(特許権に触れると思いながら)数台・問題の製品を作って/納入していました。

 ある日、体格の良い、強面(こわおもて)のK社の社員が訪ねて来て、「特許侵害だ、今後・作ったら提訴する!」と言うのです。 私が、「特許はとっくに期限切れです」と言うと、彼は「月夜の晩ばかりでは無いぞ!」と捨て台詞を吐いて帰りました。 N社の社長は、余程怖かったと見えて、問題の製品を積極的には売ろうとしませんでした。

【二重底のお土産】
 高浜町の元助役は、お菓子の入った箱に金の小判を入れて渡した事も有った様ですが、この手は昔からよく使われています。 普通は新札の一万円札を入れます。そして、その箱を”そっと”奥さんに渡した様でした。直ぐに開封して食べる物を入れないと、「到来物です」と言って、奥さんが親戚に回したら”えらい事に”なってしまいます。

 関係者が生きておられても90歳を超えているので、白状しますが、私は入社2年目頃から時々でしたが、超高価な神戸肉を買う担当をしました。店に入ると、「今日は50用でお願いします」と言うと、店員は何も言わずに仮包装した箱と、包装紙を渡してくれました。 「何をしていたか?」分かりますか?

 ”50”とは50万円のことで、二重底にして50万円がピッタリ収まるスペースを設けてもたらったのです。隙間が有ると、渡す時に音が出て困ります。 (当時の私の月給は6万円弱でした。)

 渡すのは、その晩・旦那さんが帰宅された時か、翌朝の出勤前です。渡したら、「何時もお世話になっています」とだけ言って、直ぐに帰った様です。その場で突き返したり、後日・返した方はいなかった様でした。 これを『夜討ち朝駆け』と言って、新聞記者達だけの用語では有りません。

【デパートの外商】
 私が東京勤務の頃、総務部から「出入りのデパートの外商担当者(D氏)に机を貸してやってくれ」と頼まれました。D氏は注文を受けた商品を超特急で包装する必要が有ったのです。 それから時々、私の居室で急ぎの包装をする様になりました。

 大抵は商品券でした。少額だと紙の箱に入れていましたが、百万円ほどになると立派な桐の箱でした。 時々、超高級でセンスの良いマフラーなども有りました。「これを見たら家内は満面の笑みを浮かべる」と思いました。「これは返す」とは言えませんから、贈り主に便宜を図らざるを得ないのです。

(余談) 私は紀州の出身ですが、親戚に一回りほど年上で、背が高く美男子の方がいました。彼は定年までデパートの外商でした。口が堅くて顧客の話しは殆どしませんでしたが、私の育った家よりも更に山奥の山林王の所に時々行っていました。当時は、どの家を訪問するか?は外商担当者が自分で決めていた様でした。「幾ら金が有る方でも、気持ちよく話が出来るのでなければ行かない」と彼は言っていました。 現在でも、単に金が有るだけではデパートの外商は来てくれない様です。

(余談 :紀州の山林王) 子供の頃に二軒残っていた山林王は、破産したのか?現在は存在しません。 一軒の建物はゲストハウス『吉祥』になっています。私の祖父は山林地主の子供でしたので、どんな所で育ったのか?と興味があったので、昨年・吉祥に行って見ましたが、昼間は門が閉まっていて、中に入れませんでした。 興味の有る方は『ゲストハウス吉祥』で検索して下さい。

【盆/暮れの受け取り検査】
 関西だけの習慣だったかも知れませんが、お盆と年末に業者に受け取り検査に行くと、検査成績書の入った封筒に万札が何枚か入っていました。それを楽しみにしている社員が、結構沢山いました。

 私は入社して直ぐに、尊敬していた先輩から「その場で封筒を開けて、必ず万札は返せ」と教えられました。アドバイスを守っていたのですが、一回だけ帰社後に封筒を開けたら、十万円入っていました。社長に返そうとしたのですが、頑として受け取って貰えなかったので、税務署が認めてくれそうな領収書を集めて渡しました。

【二号さんを手配する慣例】
 日本を代表する会社の話しです。 取締役に昇格すると、出入りの某商社が幹事になって、二号さん付きの家を手配する事になっていました。この慣例は1970年頃には廃止されていましたが、二号さんとの間で出来た子供は一人前になるまで出入り業者の団体(?)で”面倒を見る”と言う慣例は残っていました。勿論、その金は税務署に認めて貰えません。(私が顧客回りを始めた1975年頃には、まだ小さい子の面倒を見ていたようです。)

 1980年代の話しですが、某大手のエンジニアリング会社の本社資材課長になると、出入り業者の団体(?)が都心の一等地の高級マンションの一室を借りて、二号さんを手配していました。本社資材課は毎年、2,000億円ほど発注していたので、月に二百万円ほどの金は大した金額では無かったのでしょう。

 この慣例は本社の資材課長にだけ適応されていました、部長に昇進したり、他部署に移るとマンションを明け渡す事になっていました。二号さんに毎月のお手当を運ぶ幹事会社の担当者と私は懇意になって、課長さんを紹介して貰った事が有りました。 その課長さんが部長に昇格する内示が出たのですが、「二号さんと別れたくない」と言い出したので、担当者は”ほとほと困って”いました。

(余談 :正妻さんの気持ちは?) 男達は楽しかったでしょうが、「奥さん達はどんな気でいたのか?」と私は思いました。私に二号さんを手配すると言われても、家内が怖いので辞退したと思います?!

(余談 :外国でも) これは、1970年代の話しです。東南アジアの石油産出国の大手企業が、ヨーロッパからやり手の経営者をヘッドハンティングしました。多分彼は独身だっと思います。 プール付きの豪邸を与え、更に若い綺麗な女性まで準備したのです。 彼は関西が好きで、その女性を連れて年に一、二度来日していました。某大手商社が観光の案内をしていましたが、時々私の会社に接待の依頼があり、私も会った事があります。(彼は、日産のゴーン氏とはまるで違って、気持ちの良い人でした。) 彼と彼女は、年は相当違いましたが、仲が良さそうで夫婦の様に見えました。彼は、自慢の豪邸の写真を見せてくれました。 「英雄色を好む」と言いますから、説得するには美人を使うのが最良の方策だったのです!

【産業スパイの魔の手】
 私は長く研究開発に携わったのですが、産業スパイと思われる人間が接触してきて、「何を開発しているのか? 進捗状況は?」、「貴社では〇〇を開発しているらしいが、何処で?誰が?開発しているのか?」と聞くのです。 その内の何人かは、不思議なことに帝国データバンクの社員だと名乗りました。御承知の様に帝国データバンクは企業調査の会社ですが、企業の極秘情報を盗む会社では無いと思います。

 私は面白そうだったので、騙された振りをして、二、三回そんな人間と雑談しました。 私の部下だった、入社3年目の社員(T氏)に帝国データバンクの社員と名乗る男から「会って、少し話を聞きたい」と電話が有りました。経験を積んでもらう良い機会だと思って、彼ともう一人の若手社員(S氏)に産業スパイとの接し方を教えました。 勿論、「絶対にお金を受け取ってはいけない」と教えました。

 会社に300人は座れる広い社員食堂が有り、食事時間以外は喫茶店兼打合せ室として使っていました。 帝国データバンクの偽社員とT氏が座ったテーブルの、直ぐ近くにS氏と私は座って打合せをしている振りをしました。T氏はポーカーフェイスで、実に上手に応対したので、私は感心し/彼を見直しました。

 産業スパイはあの手・この手を使います。開発部隊のトップをA取締役とします、その上の、更に上がC専務だとします。若手社員はC専務の名前は聞いた事が有っても、声を聞いた事など有りません。 「本社のCだが、〇〇の開発はどうなっている?」と電話を掛けてきます。 そんな時は、私が代わる事にしていました。私が代わって出たら、電話はプツンと切れました。

【KGBの集金と魔の手】
 日本には未だにスパイを罰する法律が無い、非常に珍しい国です。「スパイ天国」と呼ばれているそうです。 ソビエト時代(1991年まで)、ソビエトのスパイ組織(KGB)は日本国内で大活躍していました。私の若い知人(N氏)がモスクワに出張しました。帰国後、皆で飲んでいた時、N氏が得意満面の顔で、「街で・綺麗な若い女性と知り合い楽しく酒を飲んだ」、「その夜、彼女がホテルの部屋に来て一夜を共にした。僕はソビエトではモテるんだ!」と言いました。

 同席していたベテラン営業マンが、「ソビエトで英会話の出来る女性は全てKGBで、きっと後日、ホテルでの”あられもない”写真を持った男が近づいてきて強請(ゆす)られる」と言いました。十日ほどして皆で飲んでいると、例のN氏が、「道を歩いていたら男がホテルでの写真を持って近づいてきた、僕は独身だから写真をバラまかれても困らないと言ってやった」と話しました。 KGBは当てが外れて引き下がった様でした。

 KGBが日本で活躍する為には『円』が必要です。 その集金組織は東京の某大手高級ホテルの一室に有りました。表向きには、ソビエトの某衛星国の商社(K社)の事務所となっていましたが、実際はKGBの集金組織だったのです。ソビエトへの輸出商談が進んで、金額等が合意されたとすると、K社から、「○○万円持って来い」と電話が入って、K社が受け取らない限り、正式契約書にサインして貰えなかったのです。 (日本は馬鹿な国ですね!民間の会社がKGBに金を渡して、自分の国の情報を盗むお手伝いをしていたのです。 勿論ですが、この金は税務署は認めてくれません。)

 今回のIR汚職の金は中国から不法に持ち込んだ様ですが、ソビエトは日本国内で巧妙に『円』を調達していました。ソビエトと取引していた企業の営業担当者で、K社を知らない人はいなかったと思われます。K社の記事は売れると思いましたが、何故か?三流雑誌は取り上げませんでした。記者達も命は欲しかったのでしょう?!

【立派な人の話しです!】
 浅ましい人の話しばかり書いて来ましたので、(口直しに)私にとって兄の様な存在で、大切な人(M氏)の話を書きます。M氏の父親は、M氏が小学生の頃に亡くなり、祖母、母、弟の四人家族の貧しい家でした。M氏は村の高校を卒業すると、信用金庫に勤め、彼の給与を殆ど出して、弟を家からは通えない町の高校に入れました。

 M氏の母親の兄の一人は、人格者で面倒見の良い方でした。彼は、事業に大成功して裕福になっていたので、援助をお願いしたら放ってはおかなかったと思います。 然し、M氏の母親は貧しくても『清廉潔白』を終生信条にして、誰にも頼らずに頑張って『名もなく貧しく美しく』生きられました。 M氏は今でも母親の教を大切にしている様に見えます。

 二十歳前後の男性が小遣い無しではやって行けません。M氏は、給与一、二か月分ほどの横領をして、露見してしまいました。大した額では無かったので、多分大目に見てくれたと思われますが、M氏は責任を取って辞めてしまいました。

 故郷の川は一級河川で、水力発電所が有るので砂利や砂が多量に堆積して水害が発生する様になっていました。一方、川砂や川砂利は全国的に不足して、高価になっていました。川の砂利や砂を採取する事業が始まり、採取権利の奪い合いの様な状態になりました。

 村長さんが(独断で)M氏の名前で採取の申請書を出して許可を取ってくれました。採取し易い場所だったので、権利を売れば一年は優に食べていけるお金が得られたと思いましたが、M氏は辞退しました。村の人達は、「M氏は馬鹿正直過ぎる!」と言いましたが、私は・ますますM氏を尊敬する様になりました。 私の田舎に帰る楽しみは、M氏と一献傾けることです。 (息子さんは立派に育って、医者になっています。)、

新型コロナウイルスと政治 (その2)

2020-02-27 12:05:26 | 社会問題
 政府が新型コロナウイルス対策に、全力を挙げて取り組まないので、もう一度、私の考えを書く事にしました。

【私は呆れています!】
 2月15日に『新型コロナウイルスと政治』と言うタイトルで投稿しました。その後の政府の対応は、私の予想を遥かに超える『お粗末極まりないもの』でした。私は、”怒る”よりも”呆れて”います。

 韓国の文大統領は、四月の選挙を控えている事も有るかも知れませんが、安倍総理/加藤厚労相より全力で取り組んでいる様に見えます。新興宗教団体『新天地イエス教会』の信者の感染が確認される直前から、検査体制と隔離施設確保に動いていた様です。それでも、韓国では予想以上に感染者が増加しています。

 日本は、世界に約束したオリンピックを7月に控えています。安倍政権にとって、新型コロナウイルスの感染を抑えることは、文大統領よりも重大な課題のはずです。オリンピックの事を考えると、4月の末までには感染を抑え込む必要が有ります。時間は殆ど残っていません!

 野党は、やっと国会で取り上げ始めましたが、今までの対応の不備/不手際を追求するだけです。私は、今までのミスを議論する時間的な余裕は無いと考えています。野党は、具体的な対策案を提案すべきです。 幼稚だと言われるのを覚悟して、以下に私の対策案を提案します。

【直ぐにやるべきこと :①若手に総理の座を譲るべき!】
 安倍氏は、最後の仕事として今の国会で、『コロナウイルス対策専任大臣』を設ける法律(大臣を一名増やす特例法)を制定すべきだと考えます。 これは、極めて急を要します。

 超エリートコースを歩んでこられた加藤厚労相は、現行法と慣例の枠内で対処されています。多肢に渡る厚労省の仕事の一つとして、コロナウイルス対策をとらえている様に見えます。ダイヤモンド・プリンセス号の対応を見ても、加藤厚労相の手法では感染を短期間に抑え込む事は無理でしょう。

 「桜を見る会」、「検事長の定年延長」、「消費税アップによる景気後退」、「首相補佐官と女性官僚の海外出張」の問題が有るので、今後も国会はこれらの問題で貴重な時間を浪費する事になりそうです。 首相が代わって、謝れば野党の追及は下火になると思います。 今が辞める潮時だと思います。

【直ぐにやるべきこと :②専任大臣】
 安倍氏は、最後の仕事として今の国会で、『コロナウイルス対策専任大臣』を設ける法律(大臣を一名増やす特例法)を制定すべきだと考えます。 これは、極めて急を要します。

 現在は、都道府県知事がコロナウイルス対策を行う事になっていますが、各知事の協力を得て、専任大臣が陣頭指揮すべきです。現行法では、その都道府県内の感染拡大に知事が責任を負う事になっています。人口が少なく、予算も少ない県は医療体制も十分では有りません。そんな県で感染が広がったら、政府が対応せざるを得ないでしょうが、今から検討/準備しておく必要が有ります。

 ダイヤモンド・プリンセス号への厚労省の対応を見ていたら、専任大臣の下には厚労省の役人は最小限しか付けてはいけません。危機意識の強い役人を選任すべきです。防衛医科大学校出身者を私は推薦します。

【直ぐにやるべきこと :③国債の発行】
 十分な対策を行うための国家予算が足りないと思われますが、『コロナウイルス対策国債』を発行したら解決します。一、二兆円は直ぐに調達出来ます。

 財政法第5条で、国会の承認が得られたら日銀が直接国債を引き受けて良い事になっています。丁度良い事に、国会開催中ですから直ぐにでも国会の承認は得られます。その金を全て、専任大臣に与えたら、思い切った事が出来るはずです。 (野党は反対出来無いと私は思います。) 要は、政府に「やる気が有るか?どうか?」だけの問題です。

 対策を進めるために必要な資材を洗い出して、増産が必要な物の製造設備を国が金を出して買って、企業に貸与する方法を取るべきです。買取数量と買取金額を国が保証したら、企業は無理してでも協力してくれると思います。 医薬品、医療機器、マスク、防護服、ベッド、寝具、食器、調理器具、食料品・・・

【直ぐにやるべきこと :④情報の一元化】
 『情報の一元化』が絶対必要です。国民は豊になっており、交通機関が発達して、皆さん遠くにまで出掛けます。感染者の移動経路を都道府県知事が追跡するのは至難の業になっています。

 厚労省はやっと、『新型コロナウイルス 国内感染の状況:(https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/)』を立ち上げました。このブログを公開する前に見ようとしましたが、開けませんでした。厚労省のやる事は信頼できませんね!

【直ぐにやるべきこと :⑤検査体制】
 地域別(市町村別)に、一日に検査出来る人数を正確に把握/公表する必要が有ります。不足する地域には、至急対応策を検討し、実行して欲しいと思います。国が主体で実行しないと、お金の無い県では対応出来ません。 国が最新の検査機器や検査試薬を買って、全国に配布すべきです。

【直ぐにやるべきこと :⑥隔離施設の確保】
 予定通りにオリンピックを開催するためには、感染者と濃厚接触した人を、「自宅に閉じこもってもらって様子をみる」のではなく、隔離施設に入ってもらうべきです。

 ダイヤモンド・プリンセス号では20%ほどの人が感染してしまいました。自宅だと家族が感染するリスクは高いと思われます。家族が自由に出歩いたら感染を拡大する恐れは無いのでしょうか?

【直ぐにやるべきこと :⑦入院施設の確保】
 陽性者が増加してくる事を想定して、ドンドン入院施設を増やす努力が必要です。韓国の様に、一日に百人、二百人と感染者が増加したら、現状では直ぐにパンクしています。

【直ぐにやるべきこと :⑧ポスターとチラシ】
 政府はガイドラインを発表しましたが、具体的な内容にして、ポスターとチラシを作成して周知徹底を図るべきだと思います。 どう言う状態になったら、何処(○○番号)に電話して、どんな交通手段を使って、何処に行け・・・マンガや図入りの資料を作成して配布するのです。 先日のガイドラインには、以下の様な問題が有ると思いますので、再検討すべきと考えます。

 私の予想では、チラシを見たら「新型コロナウイルスの検査が出来る施設」が少なくて、「国民は呆れてしまうのではないか」と思います。 検査に行く人は、人ごみの中を歩く事も出来ず、電車にもタクシーにも乗れません。 「37.5度」になって、4日間も我慢していた人が、自家用車を自分で運転して検査施設に行くのですか? 車を持っていない人や、運転出来ない人はどうするのですか?

 単身世帯が多くなっています。一人住まいの人が、高熱を出して4日間も部屋に閉じこもっておれると思いますか?

 感染した人が、開業医の所に行ったら大変な事になるのは理解出来ます。 然し、日本ではインフルエンザで少し熱が出たら、クリニックに行くのが普通になっている事も配慮しておく必要が有ります。

 御用学者かな?と疑いたくなる医者がテレビで、「新型コロナ肺炎は、インフルエンザと同程度の病気だ、心配無用」の様な話しをしていました。肺炎は入院するのが常識です。インフルエンザは殆どのケースで自分の体力で治りますが、新型コロナ肺炎患者を自宅療養にしたら死亡率が高くなるでしょうから、決して同程度では有りません。

【オリンピック】
 オリンピックとパラリンピックは目前に迫って来ています。(7月22日から、サッカーと野球の試合が予定されています。) 最近、オリンピック委員会は「5月に、どうするか?」決めると公表した様ですが、私は「どういう状態なら予定通りに開催する」と早急に、政府が決定しておくべきだと考えます。

 『開催出来る条件』の達成を目指して、政府と与党議員が全力で取り組む必要が有ると、私は思うのです。 (今は、政局の密談をしている場合では有りません。) このまま、好い加減な対策を進めていたら、オリンピックを取り止めざるを得なくなります。日本の無能ぶりを世界に示す事になってしまいます。

 そうなったら、安倍政権は破綻してしまうでしょうが、自民党と公明党は大きなダメイジを負う事になってしまいます。次の選挙では、政権交代の可能性すら有ると、私は見ています。

① 予定通り開催する。
② 延期する。
③ 無観客で実施する。
④ 取り止める。

【国会は休会すべきではない】
 山本太郎氏は「国会を休会すべきだ」と提案した様ですが、「感染したら重体になる恐れの有る議員は欠席しても良い」と決めれば十分です。休会は以ての外で、国会議員全員で感染抑制に取り組むべきです。

【私の前稿の提案】
 2月15日に提案した下の①~③についても、今国会で議論して欲しいと考えています。防衛医科大学校は”お坊ちゃん”では務まらない厳しい環境で学ぶ様になっています。 学生は全て寮生活で、なんと、朝の6:30起床で、8:30~17:00まで授業が有ります。”ずる休み”なんて以ての外です。

 防衛医科大学校出身の医師は、新型コロナウイルスの治療の様に、厳しい勤務にもきっと耐えてくれると私は信じています。

① 防衛医科大学校を二、三校増やす。
② 自衛隊の地域病院を各都道府県に設ける。
③ 病院船を建造する。



政治家や官僚と賄賂 (その2)

2020-02-22 11:22:06 | 社会問題
 今回は領収書の貰えない金の話しと、金に纏わる不正の話しです。日産のゴーン氏は桁違いですが、会社の金を旨く回して、個人名義で不正に不動産を買った社長が何人かいました。ここには書きませんが、中小企業で、その会社に無くてはならない(首に出来ない)社員が、複数の出入り業者からワイロを貰っていたのも知っています。人間の金に対する欲望は底知れず/凄まじいですね!

【闇献金の集金】
 脇の甘い政治家は事務所の裏などで闇献金を受け取っていましたが、裏事務所での遣り取りも多かった様です。お粗末な政治家は、選挙中に人の出入りの激しい選挙事務所で受け取るケースも有った様で、金を運んだ人が「警察にばれないか?」心配していました。

 某県では一つの裏事務所が県全体の闇献金を一括して受け取っていました。別の県でも一括受け取りでしたが、なんと!責任者が野党の古手市会議員(A氏)だったのです。当時・私達は、その県で毎年の様に受注していたのですが、A氏は高齢だったので次の市会選挙に立候補しませんでした。「何処に金を運んだらよいのか?」と営業担当者が悩んでいたら、「同じ野党のB氏市会議員」を指定してきました。 警察が、A氏やB氏の不審な動きを察知しても、野党議員ですから立証は至難の業です。

【不正な金を要求する人は沢山います!】
 民間企業のサラリーマンでも、時々でしたが、公然と”金”を要求する人がいました。私の経験した範囲では、最高が40万円でした。国の検査を代行する団体に天下った元公務員が、”金”を要求するケースは結構多かったです。 『せこい役人の話し gooブログ』で検索して見て下さい。

 去年、私が管理している賃貸マンションに家賃滞納で強制執行が行われました。 巧妙な手を使われたので強制執行は不調になりました。 この時の経緯は、『法律の不備を正せない日本  gooブログ』で検索して見て下さい。 某弁護士さんに教えてもらったのですが、「家賃保証会社の一部では、執行官に小遣い程度の金を渡して、執行日を速めてもらったり、部屋で問題の書類が見つかったらポケットに入れてもらう」様です。 執行官は裁判所の職員ですから、不正な金を受け取っていたら、世も末ですね!

【民間企業の悪人】
 有る中堅の装置産業の某工場の営繕課(えいぜんか)の話しです。課長が本社から転勤して来ました。営繕課の係長は業界で有名な悪人で、高額の付け届けをする会社にだけ発注して私腹を肥やしていました。 歴代の課長達は無視されていたのです。

 新任の課長は我慢できなくなって、私の会社に「係長に内緒で、計画を進めたい」と言って来ました。課長は機械についての経験/知識の無い方でしたが、手取り足取りで、何とか計画を纏めました。問題の係長は、注文書を発行する為には課長印が必要な事を忘れてしまっていた様でした。結局、私の会社が受注しました。

(余談 :憎めない悪人) 超大手企業のメイン工場の機械設備担当課長さんの話しです。彼はマージャンが趣味で、強かった様です。週に一、二回、出入り業者を集めてマージャンをしました。 二、三半荘(二、三試合)はルールに従った正常なマージャンですが、彼は突然「待った!、あれはポンだった、それはチーだ、それで上がってた!」と言い出すのです。そんな事を何回か繰り返して、十分な掛け金を得たら、「僕のおごりで飲みに行こう」と言いました。 彼は、「絶対に業者の接待は受けない、業者と飲む時は僕が金を出す」と公言していました。

 彼は結構な酒豪でしたが、綺麗な飲み方をしたそうです。問題点をお気付きになりましたか? 領収書が貰えませんよね! 企業の担当者は自腹を切るか?裏金を作るか?する必要が有ります。

【若い資材課の担当】
 これは私の会社の恥かしい話しです。ある工場の資材課に、大学卒で入社二年程の男性社員(A氏)がいました。 私は出入り業者の社長を沢山知っていたのですが、M社長から「30万円くれたら数百万円の仕事を回すと、さっき、A氏に言われた」と相談を受けました。「その仕事が欲しいかったら、金を渡すしかない」とアドバイスしました。M社長はこの時は、A氏にキッパリと断りました。勿論、仕事は別の会社に発注されました。

 A氏は、段々と大胆になってきて、入社五年目頃に工務店に依頼して一戸建ての家を建て始めました。懇意にしていたN社長が遊びに来て、「A氏からシステムキッチンを買えと言われたので、現場を見に行った。S社長とT社長が瓦と浴槽を持って来ていた。」、「柱、板材、クロス材等々、すべて出入りの業者に手配させたらしい!」と言いました。もう、二人で笑うしかなかったです。 結局、N社長は高価なシステムキッチンを持っていきました。 ドラマは勧善懲悪ですが、A氏は今でも首にならずにいると思います。もしかしたら、資材部長になっているかも知れません。

 私が資材課長に、A氏の悪行を報告したとします。資材課長が部長に報告したら、「君は部下の指導が出来ないのか!」と怒鳴られるのが必定です。部長が真面目な方で、上司に相談しても、「君は部下の指導/監督が出来ないのか!」と言われるのです!

 コンプライアンス遵守を標榜する会社が多くなっていますが、本気で取り組んでいる会社は少ないと思われます。多くの会社ではコンプライアンスの定義が曖昧で、A氏の様な悪行を無くそうと努力している会社は殆ど無いと思います。

 A氏が巧妙に動いたとしても、A氏の噂は社内に広まってしまいます。 会社の進めているコンプライアンス運動に違反する事を、上司から命令されても、「A氏のやっている事より罪は軽いから、まあいいか!」とやってしまうでしょう。

【接待費を自分のために使う社員】
 この話は裏金の話しでは有りませんが、親の七光りで入社して、やりたい放題した社員のとんでもない話しです。お坊ちゃん育ちですから、顧客の接待は大の苦手で、顧客に胡麻をするなんて事は全く出来ない人間でした。 親がいくら偉い方だったとしても、”ぼんくら”で”我がまま”で、会社の金を私用に使う人間を営業課長にしてはいけないと言う話しです。

 私が東京勤務の頃に担当していた機械の営業は、課長(S氏)と部下3人の部隊でした。課長のS氏は、昔・メインバンクの副頭取だった方の息子で、何をやっても咎められませんでした。 S氏は酒は殆ど呑めないのに、女性を口説きに高級クラブに足繁く通っていました。

 課の接待費は半年で二、三百万円ほどでしたが、殆ど全てS氏が個人の遊興に使っていました。 転属して来た課員が、一年ほどしてS氏を見習う様になったので、営業はお歳暮やお中元を買う金が無くなってしまいました。

 官公庁向け案件が多かったのですが、担当者の机の周りに座って話を聞いてもらうケースが殆どでしたが、盆暮れの時は各社が待ってきたお歳暮やお中元を、お雛様の様に並べた部屋に通される事が多々有りました。真面目な営業担当者二人が、ボーナスを出し合ってお歳暮やお中元を買いました。余りにも気の毒だったので、私はボーナスを貰うと毎回数万円、二人に渡しました。

(余談) 年に一、二度、クラブのママさん達が会社に取り立てに来るのです。ママさんが来ると営業担当者が私を呼びに来てくれました。毎回、S氏は早々に逃げてしまうので、ママさんは部長に噛みつきました。「これは酒の金では無い、身体の金だ! この金を払って貰え無いと私は銀座で商売出来無い!」と大きな声で部長を責め続けました。部長は終始無言で、ママさんは小一時間すると、諦めて帰りました。

 当時、部長の接待費は半年で五百万円ほどでした。 部長は自分の接待費でママさんが要求した金を処理させていました。 普通の社員だったら首になったと思いましたが、S氏は部長から叱られる事は無かったので、全く懲りずに悪行を続け、一年もしない内に別のママさんが押しかけて来ました。 (彼の机の引出しには、呑み屋の請求書が溢れるほど入っていました。)

【民間企業のフィードバック】
 昔は非上場で中規模のオーナー会社が結構沢山有りました。そんな会社から10億円の仕事を貰ったとすると、数千万円を現金でフィードバックする慣習が有りました。(会社が給料として社長に支給すると多額の税金が掛かります。要するに脱税していたのです。) 私の経験では、2000年頃にまだやっている会社が有りました。

 当然の事ですが、フィードバックする金には領収書は発行されません。税務署にバレナイ様に数千万円用意するのは、想像以上に大変な事です。

【飲む打つ買う】
 『飲む打つ買う』と言う言葉は若い人達には死語になっている様に思います。『大酒を飲み、ばくちを打ち、女を買う』と言う、男の煩悩です。私は、「自分の金でやれ!」と言いたいのですが、その金を企業に要求する人間は今でも絶えません。

 『飲む』は領収書が貰えるケースが多いいですが、『打つ』の金は裏金を渡すしか手が無いように思います。『買う』の金は意外と領収書が貰えます。

 昔は大手企業の一部に、重要な顧客を接待する”寮”が有りました。”寮”は、高級料亭であり、宿泊所でもありました。夜の接待をする女性達が沢山いたのです。1970年までに”寮”を廃止した会社が多かったですが、1975年頃まで私の勤務していたビルの近くに、某大手企業の”寮”がまだ有りました。 その寮の担当者と仕事で知り合ったのですが、彼はまだ三十歳ほどで、入社以来15時頃から寮関係の仕事をしていました。 勿論、私は昼の前後に彼に応対してもらったのです。 彼は、「会社を辞めたい!」と言い続けていました。

 女性を要求する顧客は少なかったですが、今後も絶対に無くならないと思います。『英雄色を好む』と言いますから、そんな要求をする顧客は”遣り手”の方が多く、重要な顧客です。税務署が認める業種の(実在する)会社名で領収書を発行して貰える、超高級ソープランドに営業が連れて行きました。『容姿端麗、眉目秀麗』の若い女性達が働く、顧客満足度No.1・請負のソープランドだった様です。 (この手のソープランドは今でも有る様です。)

【昔の個人の不正】
 1987年の『マルサの女・伊丹十三、宮本信子』は面白かったですね! 確か?二号さんが隠し貯金の印鑑を多量に隠していて、見つかってしまうのです。 当時は、同じ金融機関で同じ名義で通帳を何通も作れました。 新しい口座を開設する時、印鑑さえ持って行けばOKでしたから、他人の名前や実在しない人の名前でも通帳を発行して貰えたのです。

 万年野党だった社会党の重要な使命の一つは金持ちの脱税防止だと、私は考えていました。 1980年頃に、不法な資産隠しの防止が出来るマイナンバー制度の導入を自民党政権は進めていたのですが、反対して潰したのは社会党などの野党でした。 野党の政治家達は、金持ちの実態を知らなかったのか? 政府のやりたい事に反対すれば票が集まると考えたのか? この時、金融機関の口座とマイナンバーを連動させていたら、映画『マルサの女』は製作されなかったと思います。

(余談) 大昔、私は、まだカードの無い時代に大手銀行に口座を設けました。去年、カードが必要になって銀行に電話して手続き方法を聞きました。暫く後に銀行から電話が有り、「貴方の名義の通帳が3通有るので、1通・解約して欲しい」と言われました。 全く心当たりが無く、「どこの支店の発行か?残高は幾らか?・・・」と聞いたら、「個人情報ですから答えられない」との回答でした。 個人情報は本人にも秘密なんですね! 今でも他人名義で預金する方がおられるのですね!