【はじめに】
前回に引き続いて民間企業のデジタル化への取り組みについて書きます。多くの企業の努力によって、自動車、炊飯器、洗濯機などなど、ほとんどの家庭電器製品の中にはコンピューターが内蔵される様になりました。残念ながら多くの政治家の頭の中は空っぽで、半導体の『ハの字』も入っていいません。
【KS社の例】
中規模の機械の設計製造会社(KS社)について書きます。KS社は、有る市場規模の小さい分野で日本でのシェアを50%以上を占めています。2005年頃にKS社が得意な分野の装置を一式注文しました。 その装置には、新しい工夫が必要でした。同業の複数の会社にも引き合いを出しましたが、私が指摘した技術的な問題点を軽く考えて、KS社よりも安い見積を出して来ました。
KS社の技術者だけが、「経験の範囲外で難しいが、やってみたい!」と正直に言いました。最終ユーザーの担当者は、技術的に難しい事を把握されていて、十分な予算を取ってくれていました。それで、私はKS社に殆ど値引き要求をし無いで発注しました。
KS社の工場に受取検査に行きました。長期戦を覚悟していたので、着替えを沢山バックに詰めていました。最悪の場合は2回は行く覚悟で出掛けました。予想通り、性能がなかなか出ませんでした。技術者達が必死になって、夜遅くまで頑張ってくれました。結局、三泊四日の出張になりましたが、何とか目標の性能を達成出来ました。
私は愛煙者です。現場には時々しか行かないで、日中は工場の周辺の道路を、夜中は工場内を散歩しながら喫煙しました。 調整している機械の横に煩い人間がいたら、仕事がはかどりません。
《男女平等》 夜中に工場の中を女性が歩いていました。制御設計部の社員だとの説明でした。KS社は既納機が沢山有り、年に一回定期点検/修理をしていました。「定期点検は顧客の操業時間外の夜中に行うケースが殆どで、昔は機械担当と制御担当の男性社員を2名派遣していた」、「シーケンサー制御の時代になったので、制御設計部を四直三交代にして、機械担当者を1名だけ派遣する事にした」、「制御プログラムに問題が有ったり、顧客から変更要求が有った場合は→→工場で勤務している制御設計部員が直ぐに→→修正したプログラムを作成して→→E-メールに添付して送る」体制にしたのだそうです。
定期点検の料金を大幅に下げたので、顧客には好評だったそうです。 女性社員は出張し無くて良い等の理由で、給与を安く設定していましたが、「私達も四直三交代にして、給与を男女平等にして欲しい!」と言う要求が有り、試しにやってみたらメリットが沢山有ったので、女性達の要求を呑む事にしたそうです。
デジタル化を進めると、『同一労働同一賃金』に移行出来る職種が沢山有る様に思いました。
【S社のデジタル化】
2005年頃に社員130名程の会社(S社)に出向しました。若手社員が数名PCを使用していました。出向して直ぐに事務職全員にディスクトップパソコンが支給され、「何月何日までにPCをマスターしないと、会社を辞めて貰う」と言い渡されました。
命令を出した60歳程の社長もPCを使えませんでした。取扱説明書を全く読まないで、メモも取らないで若手社員に教えて貰うのです。 事務所内は大変な事になりました。若手社員達は数日で音を上げてしまいました。 結局、3人以外は期日までに、何とか使える様になりました。
マスター出来なかった3人(S1氏、S2氏、S3氏)の内、S1氏とS2氏は65歳程の高齢で、S1氏は少し痴呆症が始まっていて、S2氏は配達用のトラックの運転手を兼務していました。S3氏は50歳代でしたが、いい加減な仕事をする社員でした。 多くの社員は、「これを機に、3人に退職して貰うべきだ」と言っていましたが、社長は有耶無耶にしてしまいました。
社員の一部がPCを使用出来ないと、ややこしい事になってしまいます。S社には複数の会議室と複数の社用車が有りました。予約をPCでする事になりましたが、S1氏~S3氏は他の社員にインプットしてもらう必要が有りました。S1氏は痴呆症が始まっていたので、予約しないで使用するケースが多々有りました。
【Y社のデジタル化】
2010年に社長が(80歳ほどの)超高齢の会社(Y社)に、高給を提示されたので入社しました。とんでもないブラック企業だったので、私は半年間ほどで退職しました。Y社は、社員数が120名ほどでの会社で、事務職は全員PCで仕事をしていました。
男性社員は40歳代と50歳代が大半でしたが、女性社員は二十歳代~三十歳代前半でした。多分、女性社員達が男性社員にパソコンの操作を教えたのだと推察しました。
PCとソフトは、女性も含め社員が自費で購入する事になっていました。 私は、入社条件としてCADのソフト(AutoCAD)だけ買って貰いました。 「退職する時、データーの入ったPC持って出る事になるから、PCは会社が支給すべきだ!」と何回か社長にアドバイスしましたが、『近欲』の社長は聞き入れませんでした。
【製造コスト】
私が中小企業に出向して一番困った事は、殆どの会社が製造コスト(原価)を把握していなかった事です。 期末に入金と出金を計算して、今年が黒字だったのか?赤字だったのか?判断しているような状態でした。見積書を出す時、積算して金額を出す会社は一社しか有りませんでした。
最初に出向したN社では、購入価格、外部委託した機械加工、溶接などの支払い、輸送費・・・を経理データーとしてエキセルで整理していました。そのデーターを貰って、見積積算プログラムを作成しました。
私は、出向先が変わる度に、機械の仕様(スペック)をインプットすると、原価が算出出来る見積積算プログラムを作成しました。
(余談 :経理データを調べて分かった事) N社では、薄い鉄板を溶接して特殊なダクトを設計したいましたが、溶接工事は(町工場で作らせたら1/3程の価格で済むのに、)一部上場企業に発注していました。部長の一人が『金』を貰っていたのです。社長は気付いていましたが、この製品はN社しか出来ないケースが多く、非常に高く売れたので『目をつぶる』事にしていたのだと思いました。
(余談 :経理の女性社員) 私が最初に出向したN社には、十年ほど前に入社した・銀行OBの女性社員(FT氏)が経理を担当して、パソコンを使っていました。FT氏は私と同い年(50歳)で、『酸いも甘いも噛み分ける』立派な方で、皆から好かれていました。 FT氏の旦那さんは高校の教師で、二、三年後には定年になる年齢でした。FT氏は子供を授からなかった事も有って、退職を希望していました。社長が、「後継者を育てたら、退職して良い」と言ったので、二十歳代前半の経理経験者の独身の女性(NK氏)を採用して、教えていました。
私が出向して直ぐに、NK氏が頻繁に休暇を取る様になりました。思いも寄らない事でしたが、NK氏はシングルマザーで、子供の体調が良く無かったので、休暇を取っていたのです。NK氏は暫くして辞めてしまいました。10年後に私がN社に入社した時、正真正銘の二十歳代の独身の女性(NM氏)にFT氏が経理の仕事を教えていました。一年ほどして、NM氏の父親が定年退職して、N社から電車で片道2時間以上も掛かる滋賀県の某市に一戸建ての家を買って、一家で引っ越しました。NM氏は、一年間ほど滋賀県から通勤していましたが、流石(さすが)に”しんどく”なって、辞めてしまいました。
中小企業では、経理担当者を雇うのが難しいのです。経理担当者は会社の経営状態や社員の給与を知る事が出来るので、『口が堅い』事が要求されます。口の堅い人はなかなかいません!
【御参考 :デジタル化の歴史】
戦後すぐに、アメリカのIBM社が大型コンピューターを開発し、1968年には富士通が半導体(IC)を採用した大型コンピューターの販売を開始しました。第二次世界大戦で大打撃を受けた日本の企業には『金』が有りませんでしたが、(無理して)当時として非常に高価だった大型コンピューターを買って、業務の効率化を進めてきました。
1982年頃、(鈴木善幸首相/中曾根康弘首相の頃)大型コンピューターを導入してマイナンバー制度を始める計画を進めていましたが、何故か?社会党などの野党が反対して、実現出来ませんでした。この時、マイナンバー制度が導入出来ていたら、日本はデジタル化の先進国になっていました。2009年に蓮舫氏が、「「2位じゃダメなんでしょうか?」等と発言する事は無かったと思われます。 私は、「国鉄民営化は重要だった」と思いますが、「マイナンバー制度も重要だった」と思います。
1995年頃から、中小企業でもパソコン(PC)を採用し始め→→2005年頃には、どの会社でも使用する様になりました。政府は重い腰を上げて、2015にマイナンバー制度を導入しました。デジタル化が進まないので、2021年にデジタル庁を設立しました。本来は、デジタル化を進める前に設けるべきだった『サイバー警察局』を2022年に設立しました。
国と地方公共団体は、プログラマーを養成してこなかったので、役所のデジタル化は、(株)電通などに『負んぶに抱っこ』して貰わないと何も出来ない状態です。
★ 46年 :IBMが電子式コンピュータ(ENIAC)を完成させた。
★ 54年 :富士通がリレー式のコンピューター『FACOM100』を開発
★ 68年 :富士通が半導体(IC)を採用したコンピューター『ACOM230-60』を開発
★ 71年 :私が大学を卒業・・・会社はIBM製と富士通製の大型コンピューターを導入していた。
★ 72年 :ノルウェーの兵器廠が大型コンピューターを使用した、社内メールシステムを導入していた。
★ 72年 :ロッキード社が機械系CADソフト(CADAM)を発売開始・・・IBMの大型コンピューターが必要でした。
★ 77年 :アップル社・・・パソコン『Apple II』」を販売開始
★ 77年 :富士通がFACOM230-75AOU
★ 80年 :富士通がワープロ・オアシスを販売開始
★ 81年 :IBMがパーソナルコンピュータ(パソコン)「IBM PC」を販売開始
★ 81年 :NECがパソコン「PC-8800」を販売開始
★ 82年 :NECがパソコン「PC-9800」を販売開始
★ 82年頃 :政府がマイナンバー制度導入を計画・・・社会党等の反対で立ち消えになった。
★ 82年 :アメリカのオートデスク社がパソコンで使用出来る「AutoCAD」を発売開始
★ 90年頃 :私が勤務していた部署で、アップル社製パソコンを用いた社内メールシステムを導入した。
★ 95年 :マイクロソフトが「Windous 95」を販売開始
★ 06年 :私が中小企業に出向・・・この頃から中小企業でもデジタル化が始まりました。
★ 15年 :個人番号カード(マイナンバーカード)と法人番号カード(法人マイナンバーカード)制度がスタート
★ 21年 :デジタル庁
★ 22年 :サイバー警察局
【御参考 :私とコンピューター】
私は入社以来、コンピューターを使用する点では、非常に恵まれた環境で仕事をして来ました。今から50年以上も前からキーボードを叩いてきました。
入社して直ぐに1週間ほど科学技術計算に使用する『フォートラン(FORTRAN)』と言うプログラム言語を、新入社員研修の一環として教えて貰いました。 研修が終わった後、直ぐにフォートランが必要な仕事をやりました。
昔、アメリカ政府は民間企業をバックアップする為に、企業に大金を出して科学技術計算ソフトの開発を委託しました。その結果はナショナルレポートとして公表されました。 どのレポートにも、❶理論の説明と使用している計算式、❷フォートランを使用したプログラム、❸インプット・データー、❹計算結果が入っていました。 然し、必ず数カ所以上、『わざと』間違っているのです。プログラムだけで無く、理論/計算式にも間違いが有るのです。
30代半ばの係長、私の同期(O氏)と私、3人で、GE社(ゼネラル・エレクトリック)が開発した非常に特殊な熱交換器のシュミュレーション・プログラムのミス(罠)を見つける仕事をしました。係長は数学が全く駄目で、O氏は超有名な私大の機械工学科卒でしたが、「今更勉強したくない」と言う態度でした。二人は仕事をしている振りをして、毎日過ごしました。
私は、専門書(伝熱工学、熱交換器)を数冊買って、GE社の報告書に記載されていた参考論文を取り寄せて猛勉強しました。3ヶ月ほど掛けて、GE社のミス(罠)を修正したプログラムを作成しました。富士通製の大型コンピューターで走らせたのですが、受け付けてくれませんでした。凄く落胆してしまったのですが、煙草を吸っていて、「富士通製とIBM製では、何処か違いが有るのでは?」と思いつきました。キーボードを比較すると、記号が一つか?二つ?違っていました。GE社のプログラムはIBM製大型コンピューターを前提にしていたのです。 GE社の報告書に添付されていた『計算結果』と全く同じ計算結果が出た時の嬉しさは、今でも忘れられません!
それ以来→→リタイヤするまで、種々のプログラム言語などを勉強して、強度計算プログラム、シミュレーションプログラム等を作成しました。
・・・ 私が勉強したプログラム言語など ・・・
★ 1971年 :フォートラン
★ 1982年 :ベーシック
★ 1988年 :エキセル
★ 1995年 :ビジュアル・ベーシック(VB)
★ 1996年 :シーケンサー(PLC)の言語(ラダー言語)
★ 2000年~ :CAD・・・4種類のCAD
★ 2001年 :ANSYS(有限要素法)
前回に引き続いて民間企業のデジタル化への取り組みについて書きます。多くの企業の努力によって、自動車、炊飯器、洗濯機などなど、ほとんどの家庭電器製品の中にはコンピューターが内蔵される様になりました。残念ながら多くの政治家の頭の中は空っぽで、半導体の『ハの字』も入っていいません。
【KS社の例】
中規模の機械の設計製造会社(KS社)について書きます。KS社は、有る市場規模の小さい分野で日本でのシェアを50%以上を占めています。2005年頃にKS社が得意な分野の装置を一式注文しました。 その装置には、新しい工夫が必要でした。同業の複数の会社にも引き合いを出しましたが、私が指摘した技術的な問題点を軽く考えて、KS社よりも安い見積を出して来ました。
KS社の技術者だけが、「経験の範囲外で難しいが、やってみたい!」と正直に言いました。最終ユーザーの担当者は、技術的に難しい事を把握されていて、十分な予算を取ってくれていました。それで、私はKS社に殆ど値引き要求をし無いで発注しました。
KS社の工場に受取検査に行きました。長期戦を覚悟していたので、着替えを沢山バックに詰めていました。最悪の場合は2回は行く覚悟で出掛けました。予想通り、性能がなかなか出ませんでした。技術者達が必死になって、夜遅くまで頑張ってくれました。結局、三泊四日の出張になりましたが、何とか目標の性能を達成出来ました。
私は愛煙者です。現場には時々しか行かないで、日中は工場の周辺の道路を、夜中は工場内を散歩しながら喫煙しました。 調整している機械の横に煩い人間がいたら、仕事がはかどりません。
《男女平等》 夜中に工場の中を女性が歩いていました。制御設計部の社員だとの説明でした。KS社は既納機が沢山有り、年に一回定期点検/修理をしていました。「定期点検は顧客の操業時間外の夜中に行うケースが殆どで、昔は機械担当と制御担当の男性社員を2名派遣していた」、「シーケンサー制御の時代になったので、制御設計部を四直三交代にして、機械担当者を1名だけ派遣する事にした」、「制御プログラムに問題が有ったり、顧客から変更要求が有った場合は→→工場で勤務している制御設計部員が直ぐに→→修正したプログラムを作成して→→E-メールに添付して送る」体制にしたのだそうです。
定期点検の料金を大幅に下げたので、顧客には好評だったそうです。 女性社員は出張し無くて良い等の理由で、給与を安く設定していましたが、「私達も四直三交代にして、給与を男女平等にして欲しい!」と言う要求が有り、試しにやってみたらメリットが沢山有ったので、女性達の要求を呑む事にしたそうです。
デジタル化を進めると、『同一労働同一賃金』に移行出来る職種が沢山有る様に思いました。
【S社のデジタル化】
2005年頃に社員130名程の会社(S社)に出向しました。若手社員が数名PCを使用していました。出向して直ぐに事務職全員にディスクトップパソコンが支給され、「何月何日までにPCをマスターしないと、会社を辞めて貰う」と言い渡されました。
命令を出した60歳程の社長もPCを使えませんでした。取扱説明書を全く読まないで、メモも取らないで若手社員に教えて貰うのです。 事務所内は大変な事になりました。若手社員達は数日で音を上げてしまいました。 結局、3人以外は期日までに、何とか使える様になりました。
マスター出来なかった3人(S1氏、S2氏、S3氏)の内、S1氏とS2氏は65歳程の高齢で、S1氏は少し痴呆症が始まっていて、S2氏は配達用のトラックの運転手を兼務していました。S3氏は50歳代でしたが、いい加減な仕事をする社員でした。 多くの社員は、「これを機に、3人に退職して貰うべきだ」と言っていましたが、社長は有耶無耶にしてしまいました。
社員の一部がPCを使用出来ないと、ややこしい事になってしまいます。S社には複数の会議室と複数の社用車が有りました。予約をPCでする事になりましたが、S1氏~S3氏は他の社員にインプットしてもらう必要が有りました。S1氏は痴呆症が始まっていたので、予約しないで使用するケースが多々有りました。
【Y社のデジタル化】
2010年に社長が(80歳ほどの)超高齢の会社(Y社)に、高給を提示されたので入社しました。とんでもないブラック企業だったので、私は半年間ほどで退職しました。Y社は、社員数が120名ほどでの会社で、事務職は全員PCで仕事をしていました。
男性社員は40歳代と50歳代が大半でしたが、女性社員は二十歳代~三十歳代前半でした。多分、女性社員達が男性社員にパソコンの操作を教えたのだと推察しました。
PCとソフトは、女性も含め社員が自費で購入する事になっていました。 私は、入社条件としてCADのソフト(AutoCAD)だけ買って貰いました。 「退職する時、データーの入ったPC持って出る事になるから、PCは会社が支給すべきだ!」と何回か社長にアドバイスしましたが、『近欲』の社長は聞き入れませんでした。
【製造コスト】
私が中小企業に出向して一番困った事は、殆どの会社が製造コスト(原価)を把握していなかった事です。 期末に入金と出金を計算して、今年が黒字だったのか?赤字だったのか?判断しているような状態でした。見積書を出す時、積算して金額を出す会社は一社しか有りませんでした。
最初に出向したN社では、購入価格、外部委託した機械加工、溶接などの支払い、輸送費・・・を経理データーとしてエキセルで整理していました。そのデーターを貰って、見積積算プログラムを作成しました。
私は、出向先が変わる度に、機械の仕様(スペック)をインプットすると、原価が算出出来る見積積算プログラムを作成しました。
(余談 :経理データを調べて分かった事) N社では、薄い鉄板を溶接して特殊なダクトを設計したいましたが、溶接工事は(町工場で作らせたら1/3程の価格で済むのに、)一部上場企業に発注していました。部長の一人が『金』を貰っていたのです。社長は気付いていましたが、この製品はN社しか出来ないケースが多く、非常に高く売れたので『目をつぶる』事にしていたのだと思いました。
(余談 :経理の女性社員) 私が最初に出向したN社には、十年ほど前に入社した・銀行OBの女性社員(FT氏)が経理を担当して、パソコンを使っていました。FT氏は私と同い年(50歳)で、『酸いも甘いも噛み分ける』立派な方で、皆から好かれていました。 FT氏の旦那さんは高校の教師で、二、三年後には定年になる年齢でした。FT氏は子供を授からなかった事も有って、退職を希望していました。社長が、「後継者を育てたら、退職して良い」と言ったので、二十歳代前半の経理経験者の独身の女性(NK氏)を採用して、教えていました。
私が出向して直ぐに、NK氏が頻繁に休暇を取る様になりました。思いも寄らない事でしたが、NK氏はシングルマザーで、子供の体調が良く無かったので、休暇を取っていたのです。NK氏は暫くして辞めてしまいました。10年後に私がN社に入社した時、正真正銘の二十歳代の独身の女性(NM氏)にFT氏が経理の仕事を教えていました。一年ほどして、NM氏の父親が定年退職して、N社から電車で片道2時間以上も掛かる滋賀県の某市に一戸建ての家を買って、一家で引っ越しました。NM氏は、一年間ほど滋賀県から通勤していましたが、流石(さすが)に”しんどく”なって、辞めてしまいました。
中小企業では、経理担当者を雇うのが難しいのです。経理担当者は会社の経営状態や社員の給与を知る事が出来るので、『口が堅い』事が要求されます。口の堅い人はなかなかいません!
【御参考 :デジタル化の歴史】
戦後すぐに、アメリカのIBM社が大型コンピューターを開発し、1968年には富士通が半導体(IC)を採用した大型コンピューターの販売を開始しました。第二次世界大戦で大打撃を受けた日本の企業には『金』が有りませんでしたが、(無理して)当時として非常に高価だった大型コンピューターを買って、業務の効率化を進めてきました。
1982年頃、(鈴木善幸首相/中曾根康弘首相の頃)大型コンピューターを導入してマイナンバー制度を始める計画を進めていましたが、何故か?社会党などの野党が反対して、実現出来ませんでした。この時、マイナンバー制度が導入出来ていたら、日本はデジタル化の先進国になっていました。2009年に蓮舫氏が、「「2位じゃダメなんでしょうか?」等と発言する事は無かったと思われます。 私は、「国鉄民営化は重要だった」と思いますが、「マイナンバー制度も重要だった」と思います。
1995年頃から、中小企業でもパソコン(PC)を採用し始め→→2005年頃には、どの会社でも使用する様になりました。政府は重い腰を上げて、2015にマイナンバー制度を導入しました。デジタル化が進まないので、2021年にデジタル庁を設立しました。本来は、デジタル化を進める前に設けるべきだった『サイバー警察局』を2022年に設立しました。
国と地方公共団体は、プログラマーを養成してこなかったので、役所のデジタル化は、(株)電通などに『負んぶに抱っこ』して貰わないと何も出来ない状態です。
★ 46年 :IBMが電子式コンピュータ(ENIAC)を完成させた。
★ 54年 :富士通がリレー式のコンピューター『FACOM100』を開発
★ 68年 :富士通が半導体(IC)を採用したコンピューター『ACOM230-60』を開発
★ 71年 :私が大学を卒業・・・会社はIBM製と富士通製の大型コンピューターを導入していた。
★ 72年 :ノルウェーの兵器廠が大型コンピューターを使用した、社内メールシステムを導入していた。
★ 72年 :ロッキード社が機械系CADソフト(CADAM)を発売開始・・・IBMの大型コンピューターが必要でした。
★ 77年 :アップル社・・・パソコン『Apple II』」を販売開始
★ 77年 :富士通がFACOM230-75AOU
★ 80年 :富士通がワープロ・オアシスを販売開始
★ 81年 :IBMがパーソナルコンピュータ(パソコン)「IBM PC」を販売開始
★ 81年 :NECがパソコン「PC-8800」を販売開始
★ 82年 :NECがパソコン「PC-9800」を販売開始
★ 82年頃 :政府がマイナンバー制度導入を計画・・・社会党等の反対で立ち消えになった。
★ 82年 :アメリカのオートデスク社がパソコンで使用出来る「AutoCAD」を発売開始
★ 90年頃 :私が勤務していた部署で、アップル社製パソコンを用いた社内メールシステムを導入した。
★ 95年 :マイクロソフトが「Windous 95」を販売開始
★ 06年 :私が中小企業に出向・・・この頃から中小企業でもデジタル化が始まりました。
★ 15年 :個人番号カード(マイナンバーカード)と法人番号カード(法人マイナンバーカード)制度がスタート
★ 21年 :デジタル庁
★ 22年 :サイバー警察局
【御参考 :私とコンピューター】
私は入社以来、コンピューターを使用する点では、非常に恵まれた環境で仕事をして来ました。今から50年以上も前からキーボードを叩いてきました。
入社して直ぐに1週間ほど科学技術計算に使用する『フォートラン(FORTRAN)』と言うプログラム言語を、新入社員研修の一環として教えて貰いました。 研修が終わった後、直ぐにフォートランが必要な仕事をやりました。
昔、アメリカ政府は民間企業をバックアップする為に、企業に大金を出して科学技術計算ソフトの開発を委託しました。その結果はナショナルレポートとして公表されました。 どのレポートにも、❶理論の説明と使用している計算式、❷フォートランを使用したプログラム、❸インプット・データー、❹計算結果が入っていました。 然し、必ず数カ所以上、『わざと』間違っているのです。プログラムだけで無く、理論/計算式にも間違いが有るのです。
30代半ばの係長、私の同期(O氏)と私、3人で、GE社(ゼネラル・エレクトリック)が開発した非常に特殊な熱交換器のシュミュレーション・プログラムのミス(罠)を見つける仕事をしました。係長は数学が全く駄目で、O氏は超有名な私大の機械工学科卒でしたが、「今更勉強したくない」と言う態度でした。二人は仕事をしている振りをして、毎日過ごしました。
私は、専門書(伝熱工学、熱交換器)を数冊買って、GE社の報告書に記載されていた参考論文を取り寄せて猛勉強しました。3ヶ月ほど掛けて、GE社のミス(罠)を修正したプログラムを作成しました。富士通製の大型コンピューターで走らせたのですが、受け付けてくれませんでした。凄く落胆してしまったのですが、煙草を吸っていて、「富士通製とIBM製では、何処か違いが有るのでは?」と思いつきました。キーボードを比較すると、記号が一つか?二つ?違っていました。GE社のプログラムはIBM製大型コンピューターを前提にしていたのです。 GE社の報告書に添付されていた『計算結果』と全く同じ計算結果が出た時の嬉しさは、今でも忘れられません!
それ以来→→リタイヤするまで、種々のプログラム言語などを勉強して、強度計算プログラム、シミュレーションプログラム等を作成しました。
・・・ 私が勉強したプログラム言語など ・・・
★ 1971年 :フォートラン
★ 1982年 :ベーシック
★ 1988年 :エキセル
★ 1995年 :ビジュアル・ベーシック(VB)
★ 1996年 :シーケンサー(PLC)の言語(ラダー言語)
★ 2000年~ :CAD・・・4種類のCAD
★ 2001年 :ANSYS(有限要素法)